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第10話

──まさか! まさか、そんな…… その声が、僕の心臓を鷲掴み、容易く身体を震え上がらせる。 森崎を力尽くで退かす長身の男。奴を床に転がし、胸倉に掴み掛かる。 「……これは、公然わいせつだ! いい大人が、人前で何やってるんだよ!」 「──!」 その言葉に、初めて森崎の黒眼が忙しく動く。 「出て行け。もう二度と、さくらに近付くな。……さもなくば、警察を呼ぶぞ!」 ピンと張り詰める空気。 一斉に集中する視線。 強面の相手に立ち向かうその様は、まるで『正義のヒーロー』。 周りからはきっと、そう見えるんだろう。 だけど── 「大丈夫だよ、さくら」 森崎から手を離し、穏やかな笑みを僕に向ける。 悪びれる様子も無く。これまでの事など、まるで無かったかのように。 「……」 ……どうして、ここに…… 何で……ハルオが……? 息が、できない。 開ききった瞼を閉じる事も忘れ、ハルオをじっと見つめる。動揺する僕を余所に、優しげな瞳を潤ませたハルオが手を伸ばす。 「もう、大丈夫だから。……安心して」 「……」 「これからは、俺がさくらを養っていくよ。 だからさくらは、無理して身体を売らなくていい。……これ以上、傷つく事はないんだよ」 まるで、迷い猫との再会を喜ぶ飼い主のように。僕をそっと抱き寄せ、耳元で諭すように囁きながら、感極まったハルオの腕に力が篭もる。 「……」 ……なに、言ってるの……? 外耳を通り、脳へと伝うその言葉に──理解が及ばない。 ……僕が……身売り……? ハルオの肩口から、身体を起こした森崎の姿が目に映る。 苦虫をかみつぶしたような渋い顔。此方の様子を窺いながら立ち上がり、取り出した携帯を耳に当てその場を立ち去る。 「……」 本能的に身体が戦慄くだけで、動けない。 息が、苦しい。 鈍器で頭を殴られたように、脳内がズキンと痛み……眩暈さえ、する。 ……助けて……誰か…… そう思うのに、声が出ない。 視界に映る客達は、興味を失せたように各々視線を外していく。 カウンターの奥にいる若い店員までもが、事が収束したと感じ取ったようで…… 「……」 僕はまた、ハルオの重い鎖に……囚われてしまうんだろうか。 そう思った瞬間、首筋にヒヤリとした感触(もの)が纏わり付いたような気がした。

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