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第3話

「あー……風呂、入れば」 「はい、借ります」  視線を逸らして言うと、男はすくっと立ち上がって風呂場へと向かった。その後を追いかけて、風呂の使い方を説明する。男は殊勝に頷いて話を聞き、「ありがとうございます」と礼を言った。「ごゆっくり」と言い置いて、脱衣所を後にした。  がさごそという音を聞き、いやにリアルな幽霊だな、と思う。濡れた服を脱いで、風呂に入り、――きっと、着替えも必要なんだろう。虎次はタンスの中から、未使用の下着と、半袖のTシャツ、スウェットを用意して、脱衣所に置いておいた。磨りガラスの向こうから、シャワーの音がする。ぼんやり見えるシルエットも妙にリアルで、虎次は目を逸らした。  「ありがとうございました」  風呂から出てきた幽霊は、幽霊らしからぬほかほかっぷりだった。タオルを首から掛け、虎次が用意した部屋着を着ている。濡れた黒髪から雫が滴っていて、妙に色気がある。ソファに座っていた虎次は、顔を上げた。 「ちゃんと拭けよ」 「はい」 「あー、なあ」 「はい?」 「幽霊って、寝るのか」 「え?」 「布団、敷いた方がいいのかなって」 「あ、」  幽霊は目を丸めた後、下を向く。ふるふると肩が震えているのは、もしかしたら泣きそうなのかもしれない。虎次は慌てて立ち上がって、彼の元へと行った。 「ど、どうした」 「い、いえ、そんなに優しくしてもらったのが久し振りで」 「ああ、おまえ、辛かったなあ……」  同情がわいてきてしまう。  虎次は彼の背中を軽く撫でるが、その手はすり抜けることはない。  「布団敷いておくな……」と言って、虎次は客用の布団を押し入れから出し、床に敷いた。幽霊は相変わらず、表情を見せない。とにかく今日一日でもゆっくり休んでもらって、さっさと成仏してもらいたい。  虎次は布団を敷くと、「じゃあ風呂入ってくるから、寝てていいぞ」と声を掛け、浴室へ向かった。「お言葉に甘えて」と、幽霊はすぐに布団に入っていく。  ――風呂に浸かるのは、一日の疲れを癒やしてくれる至福の時間だ。  狭い湯船に肩まで浸かり、今日一日を振り返る。いつもは疲れきっていてうとうとと意識が飛びかけるのだが、今日は違う。  ――寝ている間に取り憑かれて殺されたらどうしよう……。  幾ら顔が良くても、風呂に入ると言っても、相手は幽霊である。  どう出てくるかわからない。  明日のバイトのシフトを考え、最悪仕事に出られなくても大丈夫かどうかを即座に考えてしまう辺り、社畜根性が染みついてしまっている。信頼できるバイト君に、シフトを調整できるか聞いてみよう……。  結局休んだ気にならないまま、虎次は風呂から出てきた。半袖のTシャツとスウェットを着て、濡れた髪をタオルで雑に拭う。リビングに戻ると、敷いた布団に横向きに寝ている男が、心地良い寝顔を晒していた。その白い顔に、ぞくりとする。まるで、死んでいるように見えたから。  ――いやいやいや。  相手は幽霊だ、死んでいたって何もおかしくない。  そう考えるとまた、胸の辺りがぞわぞわする。  ホラー映画も怪談も苦手だった。  虎次は息を吐いて、部屋の電気を消す。  忘れないうちにスマホを引き寄せてバイト君にメッセージを送ってから、ベッドに上がり込んで布団をかぶった。  目を覚ましたときには幽霊の姿がなくなっていて、全部夢でしためでたしめでたし、で終わると良い。

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