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9 イベントシーンにて

 竜生(りゅうせい)がゲーム研究部に入部して二週間ほどが経ち、初めて顧問が顔を出した。その顧問が竜生を見るなり、目を輝かせた。 「おお!うちの部の顔面偏差値がまた上がったな!」  顧問は三年の数学を担当しているという、長めの(びん)が特徴的な、四十代前半の桑島(くわしま)という男の教師だった。彼は今月末に行われる文化祭の運営に携わっている為、現在、部活に顔が出せないほど忙しいとの事だったが、今日はその合間を縫って顔を出したのだそうだ。 「先生と松山先輩が偏差値下げてますけどね。」  数輝(かずき)が年上二人に対して、爆弾を投下した。 「梨尾(なしお)ぉ!可もなく不可もなくって感じのお前に言われたくない!」  ゲーム研究部唯一の二年生男子の松山が反論する。  制服のポロシャツがズボンの中に丁寧にINされているこの先輩は、極度の汗っかきの為、いつも髪の毛がぺったりと額に張り付いる。竜生は初めて彼を見た時、水でも被ったのだろうかと勘違いしたくらいだった。 「そして俺は顧問だから、加えないでくれよな…。」  桑島も悲し気な目をして、数輝にデコピンを喰らわせた。 「…ッテ!可もなく不可もなくはないでしょう!高身長の価値を分かってないですね!」  輪の中に入っていながら、竜生が何も言えずにいると、絢音(あやね)が声を掛けてきた。 「ねぇ、桃たんと志柿(しがき)君でさ、ちょっとモデルになってよ。」  その手には小さなデジタルカメラが握られている。  彼女も一見、地味な眼鏡女子なのだが、よく見るとその顔は整っており、部の顔面偏差値の向上に一役買っているうちの一人だった。 「嫌だよ。」  少し離れた場所から、正統派美少年の(けい)が即答した。 「一瞬でいいから!」 「写真に撮られるなんて、尚更嫌だって!」  絢音が食い下がるも、蛍に一蹴されてしまった。  絢音は今回製作する、BLシミュレーションゲームの画面に登場するキャラクターを描く担当をしている。そのイベントシーンの一つとなる資料が欲しいのだろう。  必要な事のようなので、竜生は引き受ける事にした。 「…どんなポーズとればいいの?」  絢音の少しキツイ印象を与える目が、キラリと光った。 「志柿君が桃たんの両手を壁に押さえつけて、キスしようとする絵が欲しいんだ。」 「絶っっ対にやらない!」  蛍が全身全霊を掛けて拒絶するので、竜生は絢音に譲歩を求めることにした。 「俺と松山先輩は?」  松山と蛍の身長が同じくらいなので、彼をチョイスしてみた。 「松山先輩のルックスが邪魔をする…。」 「悪かったな!」  絢音が渋り、話を聞いていた松山が怒声を上げた。 「じゃあ、俺と梨尾君。」  今度は高身長の数輝を指名してみた。 「それだと、志柿君が受け担当になるよ。…身長差が若干イメージと違うんだけど。」  因みに竜生と蛍の身長差は7センチ、竜生と数輝の身長差は9センチで、目視で2センチの差が、絢音のイメージにどう影響するのかは不明だった。 「少し調整してみたらいいんじゃないかな?…梨尾君、出来る?」 「モデルなら、いつでもOKだよ。」  数輝から快い返事が返ってきた。  絢音の指導の下に、早速ポーズを取らされる。 「…こんな感じ?」  竜生が壁に背を付けると、数輝が彼の両手を顔の横に縫い付けるように抑え込んだ。 「キスの手前ギリギリって感じで…。」  数輝は軽く屈み、竜生に顔を近付けた。思わず竜生は目を伏せる。 「おお!志柿君、受けもいけますな!」  絢音が興奮気味にシャッターを押して、あらゆる角度から撮影を行った。 ――一瞬じゃないじゃないか…。  竜生は心の中で突っ込み、暫しの間、受役に徹した。  部活が終わり、今日も竜生は蛍と二人、バスに乗って帰途に着く。 「ノリ、良すぎ…。」  蛍がぽつりと呟き、竜生は今日のモデルの件だとピンときた。 「協力すべきだなって思ったから、やったまでだよ。」 「…どうでもいいけど!次からも、受役、頑張ってね。」  蛍の物言いに、多少ムッとさせられた竜生は、蛍が触れられたくない事を口にする。 「桃田君、リアルがダメって頑なだよね。それなのに、痴漢には大人しく触られてたのは何故?」 「それは…。」  蛍の顔が強張り、彼は言葉を詰まらせた。 「ご免。ちょっと疑問に思っただけだから…。」  蛍の辛そうな表情に、竜生は慌てて取り繕おうとした。 「…体が固まっちゃうんだよ。今年の春に初めて痴漢されて…。そしたら、男友達の普通のスキンシップもダメになってた。」  数輝が以前、蛍がイケメンとは絡まないようにしていると言っていた情報には、多少、誤りがあったのだと、竜生は気付かされた。  蛍の幼気(いたいけ)な姿に、竜生は心を鷲掴みにされる。 「そうだったんだ。…桃田君、傷付いていたんだね。それなのに、俺、無神経な訊き方した。ご免ね。…俺が守るから!…痴漢からも、他からも。」  庇護欲を掻き立てられた竜生は、一大決心を告げた。 「あ、有難う。…他からもって?」 「無理矢理スキンシップされそうになるとか、そういうシチュエーションの時、傍にいたらフォローしてあげるよ。」 「今日みたいに?」 「そう。今日みたいに…。」  蛍の表情がふわりと和らいだ。 「あのさ、…志柿君と朝、一緒になってから、痴漢に合わなくなったから。」 「そう、良かった。」  蛍との距離が少し縮まったような感覚に、竜生も口元を綻ばせた。

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