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11 感情の名前

 桃田蛍(ももたけい)は高まっていく動悸に、戸惑いを感じていた。 ――数輝(かずき)達が悪いんだ!…志柿(しがき)君が俺の事、好きだとか、狙ってるなんて言うから!  部活中、PCに集中出来ない蛍のもとへ、動悸の原因である竜生が近付いてきた。 「どうかした?…顔、紅いよ。熱でもあるんじゃない?」  竜生はいつも細かく蛍の表情を気にしていて、何かしらの変化を見留めると声を掛けてくれる。だからといって、安易にBL展開する現実は有り得ない、と蛍は頭の中で強く否定した。 「プログラムに夢中で、息するの忘れてただけ。」  蛍が竜生を見ずに、そう誤魔化すと、竜生は静かに彼から離れていった。  蛍が志柿竜生(りゅうせい)と初めて出会ったのは、九月の新学期初日の自宅最寄りのバス停だった。  朝、バスを待っていると、他校の女子生徒数名が「あの人、恰好良くない?」と言って浮足立ち、蛍は思わず反応してしまった。  自分と同じ高校の制服を着た男子生徒が一人、此方へ近付いて来ており、女子生徒の目線を追わなくても、彼の事だと直ぐに分かった。  長身で足が長く、遠目からでも彼が整っている容姿をしている事が見て取れた。 ――”受”も”攻”も、どっちもイケそうな感じかな…?  思わず腐男子脳が働いた処で、蛍は反射的に彼と目を合わさないように心掛けた。  蛍が乗るバスは、通勤、通学の人達でいつも混んでいる。 ――ああ…今日も…。  蛍は不意に苦悶の表情を浮かべた。その背後は、スーツを着た男性達に囲まれている。  四月から高校に進学し、バス通学になった蛍は痴漢に合うようになった。  最初は気の所為かと思うくらいの触れ方だったと思い返す。  初めての事で、蛍が理解出来ないでいると、本人にしか分からない角度で尻臀(しりたぶ)を抓られたり、中心に指を差し込まれたりするようになった。  最初は周りに気付かれたくない一心で、平静を装っていたのだが、その内、体が硬直するようになり、逃げたり躱したりすることも、ままならなくなってしまっていた。  そして、竜生と初めて出会った日も、痴漢は容赦なく蛍の背後へ忍び寄ってきた。  蛍の首の後ろで興奮したような息遣いが繰り返されると、臀部の中心辺りで、熱い塊がコロコロと上下し始めた。股間を擦りつけられているのだと気付いた時、蛍の体はいつものように硬直してしまった。  誰にも気付かれてはいけないと、必死に耐え忍ぶ。そこへ思わぬ救いの手が差し伸べられた。 「おはよう。…どこか、具合悪いんじゃない?大丈夫?」  いつの間にか蛍の真横に来て、耳元で囁く彼は、女子生徒達の視線を奪っていたイケメン高校生だった。  蛍がハッとした瞬間、痴漢の気配が消えた。 ――何、この人、王子様?  心拍数が上がるのを抑え込み、蛍は彼から目を逸らした。  高校前のバス停に到着し、バスを降りた蛍は、そのまま彼に話し掛けずに校門まで走って行こうと思った。しかし、この出来事を噂されるのを懸念して、口止めがてら、彼に助けて貰った礼を言う事にした。  少し彼と話してみて、彼が特別クラスである事を知ると、安心感に溢れた。  帰国子女のみで編成された彼のクラスと、蛍が属する一般クラスの生徒が絡む事は滅多にない。  蛍はわざと名乗らず、彼のもとを去った。  それなのに――幼馴染の数輝の伝手で、学校終わりに集まった部室に彼が現れた。  痴漢に合った事をバラされそうな予感に、一気に彼に反感を持ってしまった蛍だったが、彼が蛍の所属するゲーム研究部に入部することになり、登下校を一緒にするようになってしまった。  そこで彼の異性及び、同性との初体験話を聞くことになり、更に蛍はドン引きさせられた。  蛍の志柿竜生に対する印象は、颯爽と現れた王子様から、バイセクシャルなエロ魔人へと、悪い方向へ転落したのだった。  だからといって無視する訳にもいかず、そんな彼とは、自分とは違う世界の住人なのだと、一線を引いて付き合う事を蛍は決意した。  しかし、登下校や部活で接していく内に、竜生が予想より遥かに真面目で誠実な人間である事に気付かされると、再び彼への評価は変化していった。  竜生は下ネタに触れなければ、完璧な紳士で王子なのだ。  彼の事を改めて格好いいと蛍が思い始めた頃、同じ部の腐ってる代表の数輝と絢音(あやね)が、竜生が蛍を狙っているのではないかと囁いてくるようになった。  そんな訳はない、と否定しながらも、蛍は無意識に竜生を意識するようになってしまっていた。 ――アイツら、BLの読み過ぎなんだよ!…俺もだけど。  竜生の一挙一動に、ときめきそうになる度に、蛍は自分を戒めた。  そんな蛍だったが、文化祭の『ミスター&ミス賀茂泉コンテスト』を、ゲーム研究部部長の杏橋舞(きょうばしまい)を応援目的で観に行った際、出場していた竜生に蛍は心臓を撃ち抜かれた。 ――…あの弾き語りは反則だろ!  敢えて自身の感情に向き合わないでいる蛍だったが、中間テストが近付き、部活が休みに入った頃、舞が竜生に告白したという噂が、校内中を駆け巡ったのを切っ掛けに、彼の心に痛みが走った。  『ミスター&ミス賀茂泉』のカップルが誕生するのであれば、誰も介入出来ないのは目に見えている。  自宅でシャワーを浴びながら、竜生と舞の事を考えていた蛍は、無意識に涙を流す自分に気付いた。 ――何、これ…?俺、もしかして…。いや…、俺、疲れてんだな…。  蛍は感情に名前を付ける事を拒否し、うやむやにした。

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