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18.5 桃田家の人々

 (けい)が初めて竜生(りゅうせい)の家にお泊まりした翌週の週末、蛍の母親のたっての願いで、今度は竜生が蛍の家に泊まりに行くことになった。  桃田家を訪れるのは、もう既に五回は超えているのだが、泊まるのは初めてなので、竜生は緊張を携えて桃田家へ赴く。 「蛍!竜生君が来たわよ!」  インターホンを鳴らして数秒で出迎えてくれたのは、蛍と同じ目をした小柄な母親だった。  彼女は梨尾(なしお)家の数輝(かずき)の母親とは対照的で、とことん構い倒してくる。  数輝の母親が必要最低限しか接して来なかったのに対し、蛍の母親は何時(いつ)居なくなるんだろう、と気にするくらい、ずっと傍にいるのだ。 「遅かったね。」  母親の背後から蛍が現れ、竜生はほっとする。 「途中までの道程(みちのり)で、戸締りが心配になって、一旦戻ったりしたんだ。」 「大丈夫だった?」 「うん、取り越し苦労…。」  まだ何処か新築の香りが残る蛍の家は、全室床暖房装備という事で、どの部屋も一定の温度に保たれているようだった。 「一人暮らしって、やっぱり大変ねぇ。」  二階の蛍の部屋に移動中、自然な装いで母親も後から着いて来ており、それに気付いた蛍は、慌てて彼女を追い払った。 「いいわよ!…三時になったら、おやつ持って突入するから!」  閉め出された扉の向こうで、母親が文句を言った。多分、本気だろうと二人は予想する。  三時まで、後二十分足らずだ。 「いつも、ご免ね。…数輝とか、他の友達だと、あそこまで構って来ないんだけど。竜生の事、特別に気に入っててさ…。」  申し訳なさそうに謝る蛍に、特別待遇を受けていた事を知らされ、竜生は驚いた。  蛍の部屋は六畳程の広さで、高校生の勉強部屋といった雰囲気は一切ない。それはデスクトップのPCと、机の上の大き目なモニター、据付の棚を埋めるゲームソフトの数々と漫画本の所為だった。  桃田家の勉強用の部屋、というかコーナーが他にあるという。 「今日、まだしてないよね。」  シングルベッドに二人、並んで座ると、蛍がキス待ち顔になった。しかし、竜生は慎重な面持ちで歯止めをかける。 「待って、蛍君。もうひとつ確認しなければならない事が…。今日、弟いる?」 「…いるね。」  その瞬間、扉が開け放たれ、半袖、半ズボンの色黒の少年と猫が飛び込んで来た。  中学二年になる、蛍の弟の海斗(かいと)と、飼い猫の”アントネラさん”(命名:海斗)だった。  サッカー少年だという海斗は、蛍にはあまり似ていない。彼は何処か、小動物のような可愛さのある顔をしている。  アントネラさんの方は、セピア色と白がグラデーションを作る毛色が特徴的な、シンガプーラという種類で、濃いアイラインの愛くるしい顔をした猫だ。 「ブルガリア師匠ッー!」  海斗は竜生にブルガリアの血が混じっている事を知るや否や、”ブルガリア師匠”と呼ぶようになった。そして今日も、その呼び名を叫び、飛び掛かってくる。 「海斗君、その呼び方は意味不明だし、やめて。」  一応、海斗の体を受け止めながら、竜生は窘めてみた。 「じゃあ、ピアノ弾き語り師匠!」 「…俺の事、馬鹿にしてる?」 「とんでもないです!顔が綺麗なだけの兄とは違って、師匠は全てが格好いいので尊敬しています!」  流石に不機嫌になりかけた竜生だったが、海斗の悪意のなさが伝わり、許す事にした。しかし、蛍の方は悪意を感じたようで、怒りを目に湛えていた。 「海斗!ムカついたからハウス!」 「ここが俺のハウスだし!」 「自分の部屋に戻れって言ってんの!」 「じゃあ、師匠を連れて行く!」 「何でだよ!?」  蛍は立ち上がり、竜生にしがみつく弟を引き剥がしに掛かった。  そんな折、三時前なのに蛍の母親が部屋に入って来た。 「ねぇ、竜生君。…美味しい紅茶の淹れ方って、どうだったっけ?」 「お母さん、高学歴のくせに、物覚えの悪いフリするのやめてよね!」  竜生が来る度に、紅茶を淹れさせてしまっている母親に、蛍が怒った顔で注意した。 「こういうの、高学歴は関係ないでしょ?…美味しく淹れられる自身がないんだもの。」 「…いいですよ。俺が全部やりますから。」  事態を予期していた竜生は、海斗をやんわりと引き剥がしてキッチンへ向かった。  全員、その後を追ってキッチンへ移動する。  お湯が沸騰すると、竜生は温めたティーポットにティースプーンで、手際よく人数分の茶葉を入れる。茶葉は竜生が以前持って来た、メイドインUKのものだ。  スマートフォンのタイマーを起動して、きっちり三分間蒸らされた濃いめの紅茶が、ミルクの入った大き目のマグカップに注がれていく。  それを目前にうっとりしている蛍の母親が、感嘆の溜息を洩らした。 「ああ、素敵な紅茶ソムリエが、家に来てくれたみたい!」  そんな母親を、蛍は軽く睨んで咳払いをした。  夕方になると、仕事から直帰したとみられる、作業着姿の蛍の父親が帰って来た。電気技術士をしているという彼は、ぱっと見、二十代後半に見えるくらい若く、桃田家の中では一番の常識人のイメージだった。  ただ、毎回、竜生が一人暮らしだと思い出す度に、彼は涙を浮かべ、同情してくる。それは彼が極端に寂しがり屋だからという事だった。そんな彼を見ると、いつも竜生は微笑ましく思ってしまうのだった。  夜になり、就寝時間が訪れた。  未だに手すら握れていない竜生と蛍が、ひとつの部屋で眠る時がやってきたのだ。  それなのに、やっと二人きりになれると思いきや、海斗も一緒に寝ると言い出して、一階の客間に布団を敷いてもらい、三人で川の字になって寝ることになってしまった。  勿論、真ん中は海斗である。  そして海斗に一番懐いているアントネラさんも、必然的についてくる。 「もしかして、海斗君は見張り役?」  竜生は二人の関係を知られているのではないかと勘繰ってしまい、蛍の耳に囁いた。 「違うよ。純粋に竜生のファンなんだよ…。」  小声で返した蛍は、苦笑してみせた。  そして深夜――。  深い眠りに入りかけた竜生は、突然、乳首に襲撃を受け、目を覚ました。  布団に潜り込んで来た、猫のアントネラさんが、ピンポイントで竜生の乳首を踏み付けている。 「そこを…踏むのは…やめて下さい…!」  アントネラさんは大人猫なので、それなりにグッと来るものがある。  それは何回かに渡って、忘れた頃に竜生の乳首に繰り返された。 ――これ、絶対、わざとだよな…!  このお泊まりに次回があるのなら、なるべく誘いを断ろうと思う竜生だった。

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