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第20話
「……」
まだ小さかった頃──熱を出した僕を、母は容赦なく引っ叩いた。
ぶたれた反動で後ろに転がり、床に頭をぶつけて痛かったのを覚えてる。
母とは違う手。
だけど。僕が昔思い描いていた母像に似た若葉の手が、僕のおでこに優しく当てられただけで……たった、それだけで。母にして欲しいと願っていたあの頃の僕が、救われたような気がした。
「熱は、無さそうね」
スッと離れていく温もり。
縋るように見つめれば、若葉の口角が綺麗に持ち上がる。
「色んな事があって、きっと疲れが溜まっていたのね」
「……」
「大丈夫。あのアパートはもう引き払ったし、幹生くん……巡査の岩瀬さんが、この辺りの警備 を強化してくれるって言ってたから」
「……」
乱れた僕の前髪を、指先で摘まむようにして直してくれる。
……なんだか、擽ったい。
「お腹、空いてない?」
「……」
「あったかいうどん、食べよっか」
「……え」
「ん?」
両手を床に付き、僕の顔を覗き込んだ若葉が、笑顔を保ったまま瞳を少しだけ見開く。
「……お蕎麦、じゃないの?」
「あら、引っ越し蕎麦の方が良かったかしら」
ふふ……
僕の返しに、揶揄うような目付きをした若葉が吹き出す。
その柔らかな表情は、何処か女性的な甘い色気を孕んでいて。本当に女性なんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
長い睫毛。曲線の美しいアーモンドアイ。小鼻が小さくて、スッとした形の良い鼻。飴細工のように艶のある、少し厚めの赤い唇──
……とくん、とくん、とくん、
間近に寄せられたその顔は、精巧に作られた人形のように美しくて。陶磁器のような白い肌をしていて。ふわりと香る甘い匂いも相まって。よく解らない……内側から熱い何かが込み上げて、頬や身体が、火傷をしたように熱くなってしまう。
「……」
まるで、禁断の果実に触れてしまったような、高揚感と背徳感。
本能を揺さぶるような、甘っとろい匂い。
勝手に昂ってしまう感覚に襲われ、不安が募り、片手で心臓の辺りの布地をきゅっと掴む。
「………可愛い」
クス……
それに抗いながらも、瞬きを忘れ、眼を見開いたままじっと見つめる僕に、長い睫毛を下げた若葉が潤んだ瞳を細めた。
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