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……はぁ、はぁ……
濡れた顔を、片腕で拭う。
そうして下から母を睨み上げれば、冷たい目が僕を見下ろしていた。
「……何をしてるの。早くなさい」
冷酷なまでに落ち着いた声。
拭い切れなかった水滴が、幾重にも新たな道筋を作りながら、頬を辿って顎先へと伝う。
重みに耐えきれなくなったそれは、そこからゆっくり、滴り落ちた。
まるで、スローモーションのように。
…ごめんなさい、お母さん…
五才の僕の、虚ろな瞳。
落ちる雫と同じ速度で、瞬きをひとつ。
そして、雫が床に触れる瞬間。
縋りついていた母から離れ──
……止めろ……
床に這いつくばり、零れた所をペロペロと舐め始める。
その度に見える、赤い舌先。
その光景は
まるで、猫そのもの……
何度も何度も
床を舐める。
それが正しいかのように。
惨めったらしい姿のまま……
……止めろ……
全身の血が、一気に逆上する。
目が異常に血走り、潤んで熱くなるのが解った。
膝を立て、両手を付いて半歩前に出れば
猫のような動きをした僕に、母が満足げな表情を浮かべた。
……消えろ……
右手が空を切り
僕の首を摑んで沈める。
……や、め……てっ……
暴れて、もがき苦しむ……僕。
その僕を容赦なくひっくり返し、上に跨いで、両手で首を絞めた。
……死ね……
純粋な瞳が、真っ直ぐ僕を捕らえる。
汚れのない……純粋な心の、僕。
だけどもう、要らない。
お前なんかいらない。
消えてしまえ。
……永遠に……
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