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第3話

まだ太陽は遥か頭上にあるが、行きつけのカフェで夜を待とうと考え……ゆっくりとした足取りで駅に向かう。 せっかちな桜が花を手放し、憂鬱な雲が空を占拠していた梅雨がようやく開けた。 すると、待っていましたと言わんばかりに太陽が主役の季節がやってくる。 インドア派の俺にとって、太陽が燦々と輝くこの季節は少し苦手。 太陽という圧倒的なパワーに背を押され、何かしなければという妙な焦燥感にかられるから。 友人に後ろめたい気持ちを秘めているせいか、自分の姿を全て曝け出そうとするものに対して、苦手意識がある。 陽射しが徐々に強くなるこの季節。 ゆっくりと歩いていても、シャツが背中にべったり張り付く。 無駄に喉が渇くから、ミントタブを口の中に放りこんで涼を得た。 なるべく日陰を選んで駅へと向かいながら、先ほどの砂羽の姿が頭に浮かんだ。 癖のあるミルクティー色の髪の毛が、甘めな顔立ちによく似合う。 すっきりとした鼻筋に、少したれ目の柔らかい目つき。 そんな柔和な瞳に映る隣の女の笑顔と、砂羽を見る俺は、たぶん同じ表情をしている。 見ているだけで口元が緩んで、視線が合うと照れくさくてそらしてしまう。 いつまで小学生みたいな恋愛ごっこをしているんだかと自分に呆れながら、その夢のように幸せな時間を誰かに邪魔されるとすぐに拗ねる。 俺の幼稚さは、身体がでかくなった今でも変わらない。 砂羽が独り身という短い幸せは、綺麗な鳥によって簡単に奪われてしまう。 綺麗に着飾り、瞼が重そうなほどのつけまつげをつけ、高めのヒールでも軽やかに歩く女は、自信に満ち溢れ、自分が可愛い生き物であることをよく知っている。 自分が可愛いと分かっているから、砂羽が自分に笑顔を向けることも、優しくされることも、自分の荷物を持たせることも、当然のことだと受け入れている。 ――あんな女、さっさと振られればいいのに……。 細部まで作り込まれた女の顔を思い出しながら、頭の中でそう毒づく。 砂羽の視界いっぱいに自分が映るなんて、砂羽の思考の真ん中に自分がいるなんて、それがどれだけ幸せなことなのか、あの女は気がついているのか? そう思いながら、心臓の端がじりじりと傷む。 俺には絶対にまわってこない、そんな幸せ。 それをあいつらはちゃんと分かっているのかと、砂羽の歴代の彼女に問いただしたい。 ――友達って、なんでこうも不自由な立場なんだろう……? ため息を吐き出すと、ミントの涼やかな香りが鼻に届いた。 腹の中に溜まった苦い感情は、ため息を何度ついても消えてくれそうにない。 こういう日は、飲むに限る。 記憶がなくなるまで飲んで、飲んで……忘れるに限る。 苦い気持ちをほろ苦いビールで腹の中に流し込むと、頭も喉もすっきりとした爽快感だけが残る。 次の日の二日酔いも含めれば、2日間は空っぽの時間を稼げる。 そこに頭痛や吐き気がオプションでつきまとったとしても、この心臓の傷跡の痛みを考えたら……俺にとって酒は十分な良薬だ。 大学の友達では気を遣うから、飲むときは同業者と決めている。 中学時代の息苦しかった学校とは異なり、あそこは俺にとって唯一、普通に息を吸える場所だ。 普通に呼吸できる場所が、こんなにも安らげるなんて……それまでは、知らなかった。 誰の目を気にすることなく自然に笑えて、同性同士の恋愛話も純情な心の中も、なんでもかんでもぶちまけられる。 酔って思考が飛ぶことを心配することもなければ、その酔っ払った姿を好きな人に見られる心配もない。 初めてその楽園に訪れたのは、高校を卒業してすぐのことだった。 中学時代は、ネットで自分と同じような境遇の仲間を探すことが日課だった。 ネットで仲良くなると、飯に行ったり、カラオケに行くようになる。 最初の頃は純粋に仲間が欲しくて、学校の友達と同じように普通に遊んでいた。 しかし、普通の遊びに飽きてくると……知り合った男と身体の関係を持つことが増えた。 最初は恐怖心もあったはずだが、経験人数が増えてくると……その恐怖心も徐々に薄れる。 1人目が平気なら、2人目も大丈夫。 5人目が大丈夫なら、10人目も変わらない。 もう何人も相手にしているのだから、今更何をされても驚くこともない。 砂羽に彼女が出来る度に、嫌な記憶を重ねる度に、自分を認めてほしいと願う度に……挨拶代わりに身体を重ねた。 それでも、最低限のルールは決めている。 暴力を振るわない人、セーフセックスが出来る人、優しくしてくれる人。 セックスの最中に豹変する男もいるから、万事成功だったとは言えないが……そのお陰で、人を見る目が大分養われた。 俺が好む相手は自分よりも身体が大きな男が多く、力づくで押さえつけられては抵抗も出来ない。 無理やりされたことも何度かあったが、それでも刺激的な遊びは止められなかった。 それがやめられなかったのは、その男たちと砂羽を比べるためだ。 砂羽と同じところを男たちに求めて、砂羽と異なるところは全て嫌いだった。 そんな状態の俺が、砂羽以上の男を見つけることなんて出来るわけもない。 そんな状態の俺が、砂羽以外の男と付き合うことなんて出来るわけもない。 だから、身体はすっかり汚れているのに、恋愛経験はいまだにゼロ。 名前も知らない男と寝て、砂羽がどんな男よりも優れていることを確認して……また惚れる。 それを何度も何度も繰り返して、砂羽に溺れていた。 それに気が付いても、この生活を抜け出せずにいる。 きっと、この先も……そんな予感を感じながら、改札を通り抜けた。

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