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第7話
タクシーの車内で男は始終無言で、俺が何を質問してもこちらを見ようともしない。
仕方なく窓の外を見つめていると、酒のせいか徐々に瞼が重くなる。
靖国通りを抜けて、男の指示通りに車が進んでいく。
心地のいい揺れに身を任せていると、俺はいつの間にか意識を手放していた。
「降りるぞ。」
男に肩を揺すられて目を開けると、そこは見慣れない場所だった。
新宿から大分離れた場所らしく、時間を見ると40分ほど経っている。
いつの間にか深く眠ってしまったようで、頭も随分すっきりしている。
ふたつに割れていた月も、今はひとつに重なった。
眠らない街にいたせいか、ここは随分薄暗く思えたが、その分月がキレイに浮かんでいる。
男に促されるままタクシーを降り、目の前にそびえたつ建物に身体をそらす。
「……でか。」
「行くぞ。」
男に腕をとられてそのままエントランスホールに入ると、コンシェルジュが律儀に頭を下げる。
重厚感のある雰囲気に圧倒されながら、にこやかなコンシェルジュの笑みに、俺はひきつった下手な笑みを返した。
和モダン調のシックなエントランスを抜け、広めのエレベーターに乗り込む。
天井には満点の星がきらきらと瞬いていて、それをじっと眺め続ける。
東京でこんな星空見たことないなぁなんて考えていると……子どもの頃、砂羽と行ったプラネタリウムを思い出した。
なんだか気持ちよく酔えた時のような、ふわふわとした軽い足取りで男の部屋へと辿りつく。
「ほら、上がれよ。」
「……うん。」
――勢いというか雰囲気というか、流れにまかせてここまで来てしまったけれど……俺、大丈夫か?
男からは先ほどの肌に刺さるような空気は消え、特に害があるようには見えない。
しかし、危ない匂いがプンプンする男の部屋に上がり込むのは、どうにも腰がひける。
透の彼氏である男の家に、浮気相手だと疑われてるこの俺が、のこのこついてきていい場所にも思えない。
やっぱり帰ろうかと男をちらりと見上げると、柔らかな笑みを返された。
先ほどの毒々しい笑顔とは異なり、角が取れて丸くなっている。
さっきは暗がりだったし、見た目程悪い人間ではない気がして、俺は覚悟を決めて男の部屋へと上がりこんだ。
玄関を上がると、独り身に思えないほど広めのリビングに通された。
ほとんどものが置かれてないせいか、男に飾るという概念がないせいか、白が基調の部屋はひどく寂しげに映る。
小ぶりのテーブルとイス。
そして、二人掛けの革張りのソファ。
奥の部屋にある大きめのベッドが、わずかに開いた扉から見える。
俺の視線に気が付いたからか、見られたくないものでもあるのか、男はさっと扉を閉めた。
もしもの時のためにサボさんには連絡を入れておこうと携帯を取り出すと、男に背中からひょいと取り上げられた。
「サボさん?」
男は俺の携帯を自分のもののように雑に扱うと、ディスプレイに表示された名前を棒読みした。
俺のことを睨む鋭い目つきに耐えられず、俺はあっさりと自白する。
「……知り合いのマスター。」
「友達いねえのかよ。」
そう吐き捨てるように言われて、奥歯を噛んだ。
俺がなぜ連絡しようとしていたかということまで読まれていて、俺も居直って男を睨む。
「あんたよりは多いと思うけど?」
この偉そうな男よりは、友達は多いはず……。
同業者だけでも軽く3桁はいる。
携帯のメモリーに登録されている件数でいえば、社交的な砂羽と並ぶ可能性すらある。
友達という広いカテゴリーで見ると、俺も社交的と言えなくもない。
ただ、こういう時に連絡出来る友達がいないだけ。
新宿の友達には俺の見せられない部分があって
学校の友達には俺の見せられない部分があって
その両方を見せられる友達は、俺にはいない。
一番の親友である砂羽には、絶対にこんなことを言えるわけもなく。
かといってその場限りの友達にも頼れない。
「で、こういう時に連絡するのがマスターかよ?」
痛いところを突かれて無言になると、男は慣れた様子で携帯を弄り始める。
「どうでもいいじゃん。返せよ。」
「没収。」
そう言ってポケットにしまい込むと、ソファにどっかりと座りながら長い足を組んだ。
「はあ?」
「で、透とどういう関係?」
話が終わるまで携帯を返す気はないようで、俺のことをじっと見据えている。
その目に見つめられるのが嫌で、リビングの椅子に男から背を向けて腰をかけた。
しばらく、どう話そうかと思案したが……頭のキレそうな男に俺の下手な嘘は通用しそうもない。
「透……さんとは、さっき店で会っただけ。」
俺が素直にそう言うと、男は大きなため息をついた。
「初めて会ってそのままホテル直行かよ?乱れた性生活だな。」
馬鹿にしたような口調で鼻で笑うと、既に俺には興味をなくしたようでテレビをつけた。
ちょうど動物園でホワイトライオンの赤ちゃんが生まれた番組がやっていて、アナウンサーが嬉しそうに原稿を読み上げている。
生まれてきただけでこんなにも喜ばれる存在と今の自分の存在を比較して、なんだか物寂しくなる。
「ってゆーか、ホテルとか行ってないし……。」
「看病してもらったんだろ?」
「変な意味じゃなくて、水飲ましてもらっただけで。」
「口移しで?」
「あれは、なんていうか……。」
口ごもりながらいい言い回しを探していると、男は足を組みかえながら口端を上げる。
「流された?」
「……はい。」
俺がそう白状すると、懐かしそうに目を細める表情に違和感を覚えた。
目を細めながらテレビを見つめる横顔が、誰かに似ている。
でも、その名前がどうしても思い出せなかった。
目を閉じて記憶の海を泳いでいると、男がふっと息を吐き出した。
「変わってねえな。」
ぽつりと呟く声に目を開けると、男と視線があう。
「え?」
「何?」
「もしかして、俺のこと知ってる?」
「さあ。」
「さあって……。」
そう言ってはぐらかしながらも、男は機嫌がよさそうに笑っている。
先ほどの作りものの笑顔ではなく、自然な笑顔を初めて見た気がした。
男は腰をあげると、クローゼットからタオルを取り出し、なぜか俺に投げてきた。
「風呂入るだろ?」
――もしかして、誘われてる?
そう思いながら男を見つめても、男の表情からは何も読み取れない。
「いや、普通に帰りますけど?復活してきたし……。」
「終電とっくに終わってるけど?」
「はあーーーーー!?」
男に言われて時計を見ると、既に時刻は1時を回っていた。
さっきから視界には入っていたはずだが、そこまで頭が回らなかった。
「遅えよ。」
呆れたような笑みを浮かべながら、クローゼットからさらにTシャツを取り出し俺に手渡す。
「いいっす、いいっす。その辺泊まるし。」
「また変なのに捕まってホテル行くくらいなら、ここ泊まれば?」
いや、今の状況がまさに変なのに捕まってる状態だし……なんてことは、本人を前に言える度胸もない。
「いや、でも……透の彼氏さん家に泊まるのはちょっと。」
俺がそう言ってやんわり断ると、男が顔を歪ませた。
どうやら、また地雷を踏んでしまったらしい。
「彼氏じゃない。」
「え?」
心底嫌そうにそう言うと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
「なんで俺があいつと?」
「じゃあ、俺は……なんでここ来たんすか?」
「看病されに、だろ?」
「……はあ。」
よく分からないまま頷くと、冷たいペットボトルを首筋に押し付けられた。
俺が短い奇声を上げると、男は声をあげて笑った。
肩を震わせて笑う男を睨んでいると、男はまだ笑みを浮かべながら断言した。
「そもそも男に興味ない。」
「え、ノンケ?」
「あそこに行ったのは人に呼ばれたからで、普段は行かない。」
「そう……でしたか。」
なんだかいろんな意味で安心したからか、身体の力がふっと抜けた。
イスに背をつけて男を見ると、男は訝し気な目で俺を見た。
「何?」
「いや、一発はぶん殴られるだろうと思ってたんで。」
絶対話し合いでは済まない相手だと覚悟していたからか、余計に安堵が大きい。
「……俺をなんだと思ってんだ。」
「いい人そうでなによりです。」
見た目ほどきつくはないし、話せば分かりそうな相手にほっと息をつく。
――透はなんだか傷ついた顔をしていたから、もしかしたら透のほうがこの男に片思いでもしているのか?
あんなにキレイでいい人なのに、上手くいかない恋もあるんだなぁ……と、自分に重ねて親近感がわいた。
今度は透の話を聞きに行こうと思っていると、いつの間にか男の顔が俺の顔の前にあった。
「そういうプレイがお好みなら、付き合ってやらなくもないけど?」
至近距離で絡む視線に、心臓が跳ねた。
すべてを見透かしたような目に、昼間の燦々と輝く太陽を思い出す。
別に触られたわけでもないのに、血がかっと下腹に集まるのを感じて、男を思い切り突き飛ばした。
「そういう趣味はないんで。」
男を押しのけ風呂場に逃げ込んでも、まだ心臓がドキドキと高鳴っている。
冗談だと分かっているのに、心臓に悪い。
砂羽に対してのときめきとはまったく違う。
見ているだけで心臓を引きずり出されるような、そんな高鳴り。
偉そうな男は好みではないが、男の低音がなぜか腹に響いた。
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