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第10話

「本当に会うのか?」 「ここまで来て何言ってんだよ。」 男の言葉にため息だけを返す。 いつもなら、一秒でも早く会いたい砂羽が、いつまでも来なければいいのに……そんなことを祈っていた。 *** 大学までの男の運転は、先ほどとは比べ物にならないほど荒かった。 俺の尻は何度も大きくバウンドしたせいで、ハーレーからおりた今でもじんじんと痺れている。 先ほどと同じように男の背中に身を任せながらも、俺はその背中を蹴り飛ばしたい衝動に何度もかられた。 さっきは頑丈で頼もしく思えた背中だったが、今は鉄壁の門のように硬く閉ざしているように見える。 砂羽に秘密がばれてしまうなら、このまま死んだほうがましだ。 そんな結論にようやく至った時、既に大学の門の前に辿りついていた。 近くのコインパーキングにハーレーを止め、男の広い背中を睨みながらも、男を止める術はない。 何度もため息をついて、言えない言葉を二日酔いで痛む頭の中にしまいこみ、男の後ろを亡霊のように歩いた。 *** 男に引く気は全くなく、門に寄りかかりながら静かに通行人を眺めている。 通行人は男を見上げ、女子は照れたような笑みさえ浮かべている。 ――イケメンって、本当に得だ。 俺ならもれなく不審者扱いになるところだが、男は新しいオブジェのようにいい意味で目立っている。 そんなお得な男を見上げつつ、砂羽に連絡をしたいところだが……その携帯すら見つかっていない。 広い構内でもここは必ず通る場所だし、男は諦めるということはきっとしない。 絶対に獲物は見逃さないという鋭い目つきで、ターゲットである砂羽をじっと待っていた。 俺はその男の隣で、本日何度目か分からない深いため息をついた。 「大学広いし携帯忘れたし、出直さね?」 約10分経過したところで俺が提案すると、男の口元に笑みが浮かぶ。 「片岡だ。」 「え?」 俺のことなどお構いなしに、男は砂羽に向かって最短距離でずんずん進んでいく。 まるで、イワシの大群のなかに突っ込んでいくカジキマグロのようだ。 その広い背中を慌てて追いかけていると、砂羽のふわふわとした髪の毛が人混みの中から垣間見えた。 思わず声をかけようと近づくと、砂羽の隣に女がいるのが見えた。 昨日の女と腕を絡ませ、楽しそうに笑っている。 2人の笑顔は幸せで満ちていて、一分の隙はない。 その光景を間近で見て、完璧に2人の世界に浸っている砂羽に声をかける勇気はない。 身体が金縛りにあったかのように動かず、俺はその場で足を止めた。 男の背中がどんどん遠ざかり、砂羽たちに近づいていく。 その背中を見つめながら、俺は人混みに身を潜めた。 「よう。」 男の低く響く声が、そう砂羽を呼んだ。 砂羽はその声で男に気が付くと、目を丸くしながら男に近づいていく。 ――やっぱり、知り合いだったのか……。 砂羽の反応を見て、そう確信した。 「……相葉?」 「久しぶり。」 相葉……って。 その名前を耳にして、なぜか冷汗が背中を流れた。 記憶の奥の奥にしまい込んだ黒い思い出。 それが一気に呼び覚ますような、そんな記憶の鍵が静かに開けられた。 耳奥で小さく響いていた音が、耳元で騒音のようにけたたましく鳴っている。 寝不足の朝けたたましくなるアラームのようにひどく不愉快で、口の中がやたらと苦い。 それが自分の心音だということに気が付いて、俺はなんだか意識が遠くなった。 「おはよ。」 砂羽はすぐに相葉だと気が付いたようで、親しみのある瞳で相葉を見つめている。 「なんでヒナが相葉と?」 砂羽は俺のこともしっかり見えていたようで、隠れているわけにもいかずに一歩前に出た。 相葉の横顔を見上げると、俺に向けるようなきつい視線ではなく、柔和な笑みを浮かべている。 「ねえ、誰?」 砂羽の隣にいた女が、甘えたような声で砂羽の袖を少しつまむ。 その言葉に砂羽が女を優しい瞳で見つめ、申し訳なさそうに眉をひそめる。 「ごめん。中学の友達なんだ。先行っててもらえる?」 女は俺と相葉を何度か大きな瞳で見つめてから、少し不服そうな表情を浮かべて校舎に消えていく。 その華奢な背中が人混みに消えていくのを3人で見送ってから、俺は記憶の海底から思い出したくもない記憶を呼び覚ました。 「相葉 司!!!」 俺が唐突にそう叫ぶと……砂羽や相葉はもちろん、通行人までも俺のことを不審者のような目で通り過ぎていく。 「うっせえな。耳元でわめくな。」 「急にどうしたの?」 相葉は眉間に皺を寄せながらそう言うのに対し、砂羽は笑顔を浮かべながら楽しそうに話す。 「今、気付いたのかよ。」 「だって、全然違うし……。」 中学の頃の相葉は俺よりも身長が低く、声変わりもしていなかったから少年のように爽やかなイメージだった。 もちろん、それは見た目だけの話で、昔から性格は最悪だった。 何度も嫌味を言われたし、何度も何度も馬鹿にされたお陰で、俺の自尊心は修復不可能となっている。 中学1年の頃を思い出すたび、胃の辺りがむかむかして心臓がきりきり痛む。 「ってゆーか、なんでこの組み合わせ?」 「昨日ばったり会って家に泊まった。」 「相葉の家に?」 砂羽が不思議そうな目で俺を見つめたが、その澄んだ瞳で見つめられても困る。 やましいことが多過ぎる俺は、その視線を受け止めきれずに顔を背けた。 「ちょっと、飲みすぎて……。」 苦笑いを浮かべながらそう言い訳をすると、相葉が冷めた目で俺を見つめている。 「そんなに飲むんだ?俺とは全然飲まないのに。」 砂羽の酒の誘いはすべて断っている。 酔いに任せて何かしでかしてしまいそうで、ただ単に怖かったから。 俺には前科がある。 2度目は決して許されない。 「いや、昨日はたまたま。」 「べろべろに酔っぱらって、すげえ面倒くさかったし。」 相葉は俺のことを見下ろしながら、嫌味ったらしく肩をぐるぐると回している。 「おい。」 相葉のことを横目で睨むと、なんだと言いたげな視線が降ってきた。 「甘えるし、泣き出すし、まっすぐ歩けねぇし、酒癖悪すぎ。」 「酒入ってなくても感じ悪いお前には言われたくない。」 俺が覚えていないことをいいことに、相葉はタガが外れたかのようにぺらぺらとしゃべり始めた。 俺がしつこく聞いた時には一言も口を割らなかったのに、砂羽の前では性に合わない愛想笑いまで浮かべながら楽しそうに話している。 俺との扱いの差に顔を歪めながらも、相葉の隙のなさは今も健在だった。 昔から砂羽に対して愛想が良かった。 むしろ、俺以外の人間に対しては礼儀正しく、愛想も良くて、教師にも好かれていた気がする。 それなのに、俺だけが違う意味で特別視されていた。 まるで虫でも見るような目つきで軽蔑され、砂羽たちがいないところで何回も泣かされた。 それは、俺が砂羽に対して罪を犯したから。 その報いだと言われると、それもそうかと納得してしまう。 昔から偉そうで、口がうまくて、絶対に折れない。 今のところ砂羽にはバレてはいないようだが、相葉のことだから油断できない。 警戒心を解くことなく相葉を見つめながら、砂羽の様子もちらちらと窺う。 「それに風呂入ったらぶっ倒れるし、本当手がかかる。」 「え、まじ?」 本当かどうかも分からなかったが、そういえば風呂に入ったような気がする。 その淡い記憶を頼りに相葉を見つめると、分かりやすいため息をついた。 「本当に覚えてねえんだな。」 「ええと、ベッドには?」 「お姫様抱っこで運んでやった。重くて重くて腕折れそうだった。」 そう言って自分の腕をわざとらしく揉みながら、俺を見つめる。 「悪かった。」 非常に不本意ではあるが、一応礼を言わないと相葉はさらにつけあがりそうで、俺はカタチだけの謝罪をした。 「あのさ。」 「何?」 「ここで立ってるのもあれだし、どっか入らない?」 「え?」 砂羽の言葉に周りを見ると、俺たちは人の流れを大いに妨げていた。 川の流れを妨げる大きな岩のように、俺たちのところで人流がせきとめられている。 迷惑そうな顔をする通行人の目に耐えられず、俺達は流れに沿うようにとりあえず校舎へと歩き始めた。 「出席表はエリカちゃんに頼もっか?」 長い指で携帯を操りながら、砂羽が提案してきた。 「モテ男は便利だな。」 「別に、モテてないし。」 そんな謙遜する必要ないほど、砂羽は分かりやすくモテていた。 それは中学時代から変わっておらず、むしろ年々増している気がする。 中学の頃のバスケの試合では、女子が黄色い声援を贈っていて……。 俺はそんな砂羽のことを静かに見つめていた。 砂羽のファンから砂羽宛のプレゼントや手紙を腐るほど預かったが、俺はそれを躊躇なくゴミ箱に保管した。 ひとりでも砂羽のファンが減ればいい……そう安易に考えての行動だった。 しかし、一向に決まった相手をつくらない砂羽にさらに人気が高まり、逆効果だったことを今でも悔やんでいる。 誰にでも優しくて、甘い声と瞳で微笑まれたら……大半の女はコロっといくに決まっている。 俺は今までその笑顔を何万回と見ているのだから、惚れていても仕方がないと居直っていた。 砂羽の横顔を見つめていると、相葉が思い出したように口を開いた。 「さっきの子は?」 すると砂羽は、わたあめのような甘い笑顔をする。 いつものたれ気味の目尻をさらに下げ、少しだけ頬を火照らす砂羽に俺は複雑な気持ちになった。 そんな顔を見れてすごい幸せだけれど、そんな顔をさせているのは俺ではない。 「彼女のユリちゃん。」 「なんか……ふわふわ系だな。」 「かわいい子だね。羨ましい。」 なるべく自然な笑顔を心掛けてそう言うと、相葉が俺を横目で見る。 「ま、ヒナには一生縁のないタイプだな。」 そう言って相葉が笑うと、砂羽が不思議そうに相葉を見つめる。 「相葉って、ヒナって呼んでたっけ?」 「昨日から。」 「ふーん?」 相葉がそう言うと、砂羽は不思議そうに頷いている。 砂羽の綿毛のような髪の毛が風に揺られているのを飽きることなく見つめていると、砂羽が突然振り返って俺を見た。 「そういえば、ヒナのタイプは?」 「え?」 「飲み会も来ないし、サークルも入らないし……出会いなくない?」 「俺はそういうの苦手だし……。」 「そんなことしなくても、ヒナは出会いがたくさんあるもんな?」 含みのある笑みを浮かべる相葉に、俺は砂羽にバレないように舌打ちした。 ――また、余計なことを……。 そう思いながら相葉を睨んだが、素知らぬ顔で鼻歌を歌っている。 砂羽が何かを質問しようと口を開くが、それを待たずに俺が無理やり話題を変える。 「砂羽、砂羽!どっか行きたい店があったんじゃなかったっけ?」 話の舵なんて取ったことがなかったせいか、かなり食い気味の早口になってしまった。 微妙な間が出来てしまったが、砂羽が思い出したように笑顔を向ける。 「そうそう。駅の近くに新しいパスタ屋出来てさぁ。そこどう?」 少し前を歩く相葉にそう尋ねると、相葉は振り返りながら口端だけ軽く微笑む。 「デートの下見かよ?」 「まあまあ、いいじゃん。」 「お盛んだな。どいつもこいつも。」 そう言って相葉が俺を見ると、砂羽の視線も相葉を追って俺を見る。 ――本当に、最悪だ……。 「どいつもこいつもって……ヒナも?」 砂羽がおどけて質問するのを笑って誤魔化し、相葉の腕をつねるように引っ張る。 砂羽に聞こえないよう声を潜める俺に対し、相葉は堂々とした態度で俺を見下ろしている。 「言わないって約束は?」 「だーから、お前が勝手に言ってただけで俺は了承してねえよ。」 「はあ?ってゆーか、意識ない俺に手出したのか?変態じゃん。犯罪じゃん。」 「抱いてくださいって足広げた変態はお前だろ?俺はしょうがなく喰ってやったんだって。」 「俺が覚えてないからって、あることないこと言いやがって……。」 俺が相葉のことを睨んでいると、肩越しに砂羽の笑顔が見えた。 ぱっと相葉から離れると、砂羽はなんだか俺たちを微笑ましい瞳で見つめている。 「2人って、仲良かったんだ。」 ひとりごとのように呟いた砂羽の言葉に、俺は思いきり反応した。 「「んなわけねえし!」」 相葉とセリフもタイミングも見事にかぶってぱっと相葉を見ると、相葉も同じように俺を睨んでいる。 バツが悪くて足先を見つめると、砂羽が思いきり笑い出した。 「やっぱ仲いいじゃん。」 砂羽がけらけら笑いながらそう言うと、苦虫を噛み潰したような顔で相葉が砂羽を見つめていた。 その2人の横顔を見つめて、俺は昔に戻ったような錯覚に陥った。

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