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第11話

砂羽おすすめのイタリアンのお店にたどりつくと、オープン直後のせいかすんなりと席へと通された。 奥のこじんまりとしたテーブル席に通され、少し硬めの椅子背に身体を預けた。 女子に好まれそうな白を基調としたナチュラルな内装に、オリーブ畑の大きな絵画が目を引く。 新店特有の木の香りがほのかに残り、初々しさを残していた。 その中で、女性客から漂う無駄に甘ったるい香水に少し咽ながら、意識を砂羽へと移す。 砂羽はきょろきょろと忙しなく店内をうかがいながら、俺を見て得意げににっこりと微笑む。 その笑みにうっとりしながら微笑み返すと、隣に座った相葉に冷笑を向けられた。 とりあえず一番人気だというマルゲリータを注文し、内容のない世間話で時を繋ぎながらピザの到着をまったりと待つ。 そんな中、トマトの香りが厨房からふわりと漂ってきて、先ほど食べたばかりなくせに食欲旺盛な腹の虫がぎゅるぎゅると奇声を放った。 さっきは相葉のせいで食った気にならなかったし、ちょうどいいと言えばちょうどいい。 あの女とのデートの下見だろうが、デートはデートだ。 砂羽と一緒にテーブルを囲めることが、俺にとっては一番の御馳走だった。 だけど、せっかくの砂羽とのデートも、相葉という邪魔なスパイスのおかげでゆっくり寛げないのが残念なところ。 隣に座った相葉の横顔をため息まじりに見つめていると、ちょうど熱々のピザが到着した。 とろとろのモッツアレラチーズと酸味の利いた真っ赤なトマト。 そして、バジルの香りが食欲をそそる。 3種が見事にマッチした熱々のピザを3人無言で頬張りながら、砂羽が思い出したように口にした。 「ヒナ、彼女出来たの?」 この手の話題はずっと避けてきたからか、珍しく砂羽がぐいぐいと質問を投げてくる。 砂羽は猫舌のくせに熱々のピザを頬張ったせいか、冷たい水で舌を冷やす姿が愛らしい。 火傷したその舌を舐めて看病してやりたいなんて邪心を抱きながら、頬杖をついてその様子を静かに見守る。 砂羽の質問なんて忘れ、熟れた果実のように美味しそうな舌先を見つめていると……隣に座っている相葉に脛を蹴られた。 「いや、俺は。」 そう曖昧に濁すと、相葉が俺の首をさらに絞める。 「彼女はいないよな……。ずっーーーーと片思いだろ?」 話の先を促すように俺に話題を振ると、相葉は素知らぬ顔でピザにかぶりつく。 口元についたチーズを舌で器用に絡めとる姿を見て、つくづく陽の光が似合わない男だと思う。 仕草のひとつひとつがアダルトで、夜の匂いがする。 ピザを食す姿すらセックスでもしているかのように艶やかで、爽やかな砂羽とは正反対。 中学時代の相葉の横顔を重ねようとしたが、あまりにもかけ離れているせいか同一人物には到底思えなかった。 「片思い?俺の知ってる人?」 砂羽が前のめりになってノリノリで質問を重ねると、俺の口はどんどん重くなる。 そんな俺を見て相葉は優雅に足を組み替えながら、更なる難問を押し付けた。 「ま、でも……彼女なんていなくても、ちゃんと童貞は卒業してるし。」 ぼそっと喋った相葉の発言で、砂羽が文字通り目を丸くする。 その手の話題はとことん避けていたせいか、砂羽は俺に下ネタを絶対言わない。 俺のことを超奥手な草食系男子だと信じて疑わなかったのか、目を白黒させながら焦って俺用のグラスに口づけた。 間接キス。 そんなことをぼんやりと思いながら砂羽を見つめていると、相葉にそのグラスを取り上げられ、そのまま一気に飲みほされてしまう。 ――こいつ……また、嫌がらせか? そう思いながら相葉を睨んでると、ようやく落ち着いた砂羽が身を乗り出して聞いてきた。 「彼女じゃないってことは……。相手って、セフレ?」 「いや、ええと……そういうんじゃないけど。」 セフレかと聞かれると、セフレですらない。 出会い頭の事故のように身体を重ねていることを知ったら、砂羽は俺のことを軽蔑するだろうか? 昨日の情事すら覚えていない俺の自堕落な性活。 その原因の真ん中にいる砂羽が、身を乗り出して聞いてくるというシュールな状況。 今、すべて話してしまったら……きっと楽になる。 でも、やっぱり言えない。 俺の言葉を笑顔で待ち続ける砂羽を見つめながら、改めてそう思った。 砂羽が俺に笑いかけてくれなくなったら……。 砂羽が俺に話しかけてくれなくなったら……。 砂羽が俺のことを見てくれなくなったら……。 それはすべて「たら、れば」っていう仮定の話だが、博打はしない。 今でも十分幸せなんだから、これ以上の幸せを望んではいけない。 そう自分に何度も言い聞かせながら、砂羽のことを見つめる。 その吸い寄せられそうな綺麗な瞳を見つめながら、俺はゆっくりと口を開いた。 「好きな子はいるけど……恋人になりたいとかじゃないんだ。」 「え?」 砂羽が俺のことを静かに見つめている。 驚きと困惑と……少しの興味をもった表情。 これで、いい。 いや……これが、いい。 そう思っていると、テーブルが細かく揺れ始めた。 砂羽が震えた携帯を持って、慌てて外に飛び出ていく。 その背中を見送って、俺は大きなため息をつく。 その一息で熱々のピザが一気に冷めるほどの大きなため息。 「余計なこと言ってんじゃねえよ。」 「何が?」 相葉は素知らぬ顔で俺のことを横目に見つめている。 その目を見ているだけでイライラしてきて、腹のなかが怒りで疼いている。 「砂羽にばれたらどうすんだよ。」 俺が静かに怒りをぶつけても、相葉は興味なさげに携帯を弄り始める。 ――相葉は、俺がどれだけ苦労しているのか……分かっているのだろうか? 気持ちが気づかれないように、気持ちが溢れて同じ過ちを犯さないように…… 俺がどれだけ苦労しているのか、相葉なんかに分かるわけがない。 分かってほしいなんて、そんなことまでは望んでいない。 砂羽から彼女の話を聞くことが、どれだけ虚しくて、どれだけ寂しくて、どれだけ苦しいか…… 砂羽が彼女を見て幸せそうに笑いかけるたび、俺はいつも哀しくて、いつも辛くて、いつだって泣きたくなる。 これでいいと自分を納得させ続けなくては、とても自分を保っていられない。 ノンケの友達に恋をし続けるっていうのは、幸せを諦めなくてはいけない。 相手が絶対に靡かないのを知っていて、無駄だということも報われないということも全部分かっていて、それでも想い続ける。 砂羽を好きになればなるだけ、俺はいろんなことを諦めなくてはいけない。 例えば、俺に彼氏ができることや好きな人と一緒に暮らすこと。 好きな人とデートしたり、キスしたり、セックスしたり……。 そういうこと全部、俺は諦めている。 だけど、たまにどうしようもないくらい苦しいことがあって。 飲んで忘れるなんてことが出来ないくらい、消えてしまいたくなるくらい辛い日がある。 そんな報われない気持ちが溢れそうになるたび、俺は自分を嫌いになることにした。 なんで俺の想いに気づいてくれないんだとか、なんで彼女をつくるんだとか……そういうもやもやとした気持ちが爆発しそうになる時、俺は自分を嫌いになることにしている。 砂羽を悪者には出来なくて、砂羽を嫌いにもなれなくて……代わりに自分を嫌いになることで、やりきれない気持ちを窮屈な胸の中にしまいこんできた。 心がどんどん消費していくのを感じながらも、この感情を手放すことは出来ない。 「まだ、振られてねえの?」 「告ってもねえし。」 「告ったら振られるだろ?」 「んなこと分かってるって。」 そんなこと相葉に言われなくても、分かってる。 わざわざ擦り減った心を攻撃しなくてもいいだろうに、相葉は遠慮なく俺の心を強い眼差しと言葉で突き刺してくる。 「何年片思いしてんの?」 「……10年くらい。」 「10年?すげえ執念。」 「うるさい。」 俺の言葉に勢いがなくなったせいか、相葉がようやく口を閉ざす。 静かな時間を2人で刻んでいると、砂羽がようやく駆け足で戻ってきた。 「ごめん。彼女が拗ねてて……。」 そう言って笑う砂羽に、俺は笑顔を上手に返せた自信はない。 「行ったほうがいいんじゃない?」 行ってほしくないと思いながら、俺の感情の機微に少しだけでも気が付いてほしいと願いながらそう言うと…… 砂羽が少し思案しながらも、ぺこっと頭を下げて手をあわせた。 「ごめん!また今度!!」 そう憎めない笑顔で頼むから、俺の心は今日も削られていく……。 俺が勝手に好きなだけだから、砂羽は少しも悪くない。 今日も俺は自分のことを少しだけ、嫌いになった。

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