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第31話

長すぎる情事を終えて、くたくたになりながら外に出ると…… あんなに晴れていた空に黒い雲が浮かんでいる。 一降りきそうだなと思いながら空を見上げ、自転車に跨り急ぎ足で家に向かう。 生ぬるい風が頬に触れて、汗ばんだ髪をかき上げると……額にぽつっと雨があたった。 「あ、やべ。」 そう自覚した時には、アスファルトに黒い染みを落としている。 ぽつぽつと当たる雨が徐々に強くなり、家に着いた時にはシャワーを浴びたようにびしょ濡れになっていた。 「……ただいま。」 「おかえり……って、ずぶ濡れじゃない!」 出迎えた母親に驚かれ、プロレスでタオルを投げ入れられる時のような勢いで、顔にタオルが勢いよく飛んできた。 「さっさとお風呂入っちゃいなさい!」 渡されたタオルで軽く身体を拭うと、リビングに入ることも許されずに風呂場に押し込まれる。 濡れたシャツが肌にへばりつき、脱ぐのに苦労しながら洗濯機の中に放り込んだ。 自分で回そうかとも思ったが、勝手が分からず諦めて、身体が冷える前にさっさと浴室に入る。 シャワーで身体を軽く流していると、鏡に映った胸元に数えきれないほどの赤い痕が残されているのに気が付いた。 それにそっと触れると、甘く痺れるような感覚に陥る。 この前みたいなじんと響く痛みはなく、ただ甘いだけのそれは触れるだけでふわりと溶けてしまいそうだ。 ザブンと勢いよく肩まで浸かり、胸元につけられたキスマークを数える。 砂羽とのことを思い出して身体も心ものぼせそうになりながら、くらくらする頭を振って湯船を上がった。 軽くタオルで身体を拭きながらも砂羽の残してくれたキスマークを見て、にやけそうな顔をタオルで隠しながらシャツを着る。 適当に髪をタオルで拭いながらリビングに入ると、珍しく親父と陽菜季までそろっていて、微妙に気まずく思いながらいつもの席に腰をおろした。 「砂羽くんと運動してきたの?」 俺の飯をよそう母親にそう尋ねられて、思わずコップを落としそうになりながら適当に頷く。 「へ?あー……そうそう。」 運動と言えば激しめの運動だし、砂羽としたことも事実。 でも、母親が考えている健全な運動では決してなく、白昼堂々セックスしていたとは口が裂けても言えない。 「あんたバスケなんて出来たの?砂羽くん昔から上手かったもんねぇ。」 砂羽の顔を思い出しているのか、妙に柔らかい表情をした母親から皿を受け取った。 「あ、ハンバーグ!」 陽菜季や親父の皿にはピーマンの肉詰めがのっているから覚悟をしていたが、俺のだけ特別使用になっていた。 それに目ざとく気づいた陽菜季が、母親に向かって振り返る。 「お母さん!日向を甘やかすのそろそろやめたほうがいいよ?」 陽菜季がため息を漏らしながらそう言うと、母親はなんのことは分からないように首を傾げる。 「え?別に甘やかしてないけど……ねえ、お父さん?」 「……そうだな。」 滅多に喋らない親父が母親の言葉に軽く頷き、静かに咀嚼しながら新聞に視線を落とす。 「砂羽くんなんて、自分でご飯も掃除も洗濯も出来るんだよ?」 「へえ、いいパパになりそうねぇ……。この前久しぶりに会ったら身長もまた伸びてて、すごいびっくりしちゃった!」 母親が1人でぺらぺらと話し始めるのはいつものことで、俺は空っぽになっていた胃を満たすことだけに専念する。 「日向もこんなんじゃ、1人暮らしも出来ないじゃない?」 「1人暮らしなんて、別にする必要ないでしょ?大学も近いし……。」 「私は就職したら~の話してるの!」 「必要になれば出来るようになるもんよ?」 母親はそうしみじみと言いながら、2人の噛み合わない会話をバックミュージックに、無言で飯を平らげていく。 そんな時、新聞から顔を上げた親父が小声で質問をなげてきた。 「テストはどうだった?」 「え……普通。」 「そうか。」 滅多に喋らない親父の言葉を軽く流すと、少しトーンを下げた親父が再び新聞に目を向ける。 流石につれない態度だったかと少し反省して、先ほどの言葉に軽く付け足す。 「あー、特待落とすようなへまはしないから……。」 「そうか。」 口元をわずかに綻ばせ、先ほどと同じ言葉だったが、俺の皿にピーマンの肉詰めの部分だけそっと乗せられる。 「ありがと。」 俺がそう言うと、照れたようにがさがさと新聞で顔を隠しながら、空っぽのお茶をすする。 言葉数は少ないが、硬派な見た目の割に分かりやすい親父を目の端で捉えながら、俺も味噌汁をすする。 母親と陽菜季のどうでもいい話を聞き流し、今日は好きな音楽でも聞きながらゆっくりしようと思っていると…… 「そういえば、付き合うことになったの。」 けろっとした顔で陽菜季がそう言って、家族団らんの時間に爆弾を投げ込んだ。 いつもは陽菜季の『付き合う』という言葉に、大して興味もなかったのに……。 砂羽が陽菜季にもたれかかる様にしてキスしていたのを思い出し、急にざっと心が寒くなった。 先ほどまで砂羽と感じていた熱の温度を思い出し、違う違うとかぶりを振りながらも 陽菜季の言葉の続きを聞くのが怖い。 先ほどまでは興味のなさそうな親父が、新聞からすっと顔を出す。 「気になってるんだなぁ……」と親父のことを不憫に思いながらも、女性陣は素知らぬ顔で会話を続ける。 「あら?この前の翔くんは?」 「あんな男さっさと別れたよ……。」 「え?結構イケメンだったじゃない。」 「顔だけの男は嫌い。やっぱり優しい人がいいよねぇ。」 「それは大事ね!」 2人で好みのタイプをあーでもないこーでもないと話の軸をぶれさせていると、親父が咳払いひとつして、ぽんと核心をついた質問をぶつけた。 「それで、誰とお付き合いしてるんだ?」 妙に硬い表情で親父がそう聞くと、ぽんぽんとリズミカルに会話を弾ませていた2人の声が途絶えた。 そういえばという感じで陽菜季が親父を見てから、なぜか俺にちらりと視線を送る。 なんだと思いながら陽菜季を見返すと、すぐにふいっと逸らされた。 その曖昧な所作に、なぜか胸がざわめく。 何とも言えない微妙な間を開けて、陽菜季が静かに告げる。 「砂羽くん。」 「え?」 「は?」 「……。」 三者三様の反応を返しながらも、俺の思考はそこで止まった。 砂羽と付き合った経緯を母親に楽しそうに話し始める陽菜季の横顔を見ていても…… 言葉は、少しも頭に入ってこない。 先ほどの砂羽との甘い行為と陽菜季の言葉が重ならず、どういう顔をしていいのかも分からない。 ――なんだよ、それ……。 頭から氷水を浴びたように、俺の身体の熱がすっと消える。 身体の先から徐々に、心が冷えていくのを感じた。 味のないハンバーグをとりあえず口に放りこむと、母親の小言を背中に浴びながらリビングをでた。

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