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第47話
ぼんやりと電車に揺られていると、気がつけば終点の見知らぬ駅に到着していた。
ベンチもない寂れたホームに降り立つと、塩分を僅かに含んだ気持ちのいい風が髪を撫でていく。
駅を出て、広い道路をまっすぐに進んでいくと……
視線の先にうっすらと水平線が見える。
引き寄せられるようにその方向に進むと、先ほどよりも風が徐々に強くなる。
目を開けているのが困難なほどの海風に行く手を阻まれながら、ゆっくりとした足取りで砂浜に辿り着いた。
観光地ではないが、季節が夏休みの真っただ中ということもあり、中学生くらいの男女が海辺ではしゃいでいた。
それを遠目に見つめながら、石垣の上に脚をなげだし座り込む。
少しずつ陽が傾き、それと比例するように人の数もまばらになる。
水平線を見つめながら、陽が沈むのをじっと見つめていると……
急に頬にひやりとした感触がする。
「いっ!!」
驚きすぎて傾いた肩を抱き寄せられ、その顔を見上げて俺は口を開けたまま固まった。
「なんで、ここにいんだよ?」
俺のことを見下ろしていたのは、昼に別れたばかりの相葉だった。
無作法な風に髪を自由に靡かせながら、煙草を銜えたまま俺の隣に腰をかける。
「観光?」
口端を綻ばせながらそうとぼけると、俺の手に冷たい缶ジュースが握らせられる。
「ここ、何もねえし。」
駅からここまで30分ほど歩いてみたが、コンビニはおろか自販機すら見つけるのに厄介な場所だった。
そんな場所で観光なんてふざけていると思いながらも、相葉から受け取った缶ジュースに口をつける。
先ほど嫌と言うほど水分を失ったせいか、あっという間にその缶を空にすると……
相葉が口をつけていた缶ジュースも押し付けられる。
「お前こそ、こんなところで何してんだ?」
「……ちょっと散歩。」
俺も相葉の真似をしてそうとぼけると、眼前にカードキーを揺らされた。
「カギおいて逃げやがって、借金たっぷり残ってんだぞ?」
「で、わざわざこんなとこまで取り立てかよ?」
「3年間の契約のはずだ。まだ時間はたっぷりある。」
「俺は了承してないんだから、どう考えても契約は無効だろ?」
俺がそう言うと、相葉は微笑みながら視線を合わせてきた。
相葉の瞳の中に夕日が溶け込み、いつもの漆黒の瞳が柔らかく揺らぐ。
きらきらと輝く瞳に吸い寄せられるように見つめ返していると、唇を優しく塞がれた。
「了承させてやろうか?」
唇をつけたまま見つめられて、ぞわりと腕が粟立つ。
相葉の胸を突っ張って距離をとると、珍しく声を出して笑われた。
「あんた、俺の意思とか聞く気はないわけ?」
「ああ、全くない。」
当然のようにそう言い切り、急にうす暗くなった視界の中、再び唇を奪われる。
先ほどよりも長く口づけされて、相葉の強引さに少しは慣れたが……
それでも、相葉とのキスは少しも慣れない。
ふわりと甘やかすように唇を舐められ、大きな手の平で襟足を包まれる。
潮風で少し湿った髪を優しく撫でられ、相葉の鼓動をすぐ傍で感じた。
少し湿ったシャツからは、男くさい汗の匂い。
急いで来てくれたのかと思うと、それだけで身体がじんわりと温まる気がした。
「また、泣いてたのか?」
至近距離で見つめられたせいで赤くなった目に気が付かれたのか、相葉が俺をじっと見つめながらそう口をした。
「……別に。」
「泣き虫。」
そう言って笑いながら、髪を梳かれる。
「いじめっ子のお前に言われたかねえよ。」
「それもそうだな。」
機嫌がよさそうに笑いながら、俺の手の甲を一回り大きな手の平が包み込む。
――なんだか、さっきからこの甘ったるい空気はなんだろう……。
陽も暮れて真っ暗になった石垣で、2人肩を寄せ合ってキスをしているなんて、気恥しくて身体中が痒くなる。
その空気を払拭しようと頭を巡らせていると、相葉に言われた言葉をふと思い出した。
中学時代に俺に言った言葉は、俺に向けての言葉ではなかった。
その言葉は少しも消化されることなく、頭の片隅にしこりのように残っている。
「ってゆーか、言ってる意味が全然分かんなかったし。」
「あ?」
急に話し始めた俺に、ぼんやりと黒い海を眺めていた相葉が俺に視線を向ける。
「俺に言わないで、誰に言ってたんだよ。」
脈絡の全くない言葉に相葉はしばし放心していたが、すぐに合点がいったようで再び海を見つめる。
「俺の……元兄。」
――兄弟なんていたんだ……。
そういえば、相葉のことはほとんど知らない。
元々関わりたくなかった相手だったし、深く関わるつもりなんて微塵もなかった。
そんな相手と暗くなった海を見つめながら語り合う日が来るなんて、あの時の俺は少しも想像していなかった。
「っていうか、なんで元なんだよ?」
兄弟なんだから、元も今もないだろうに……
そう思いながら相葉を見つめると、先ほどの表情とは打って変わって締まって見えた。
「今は、無関係だ。」
「また、分かんないことが増えたんだけど?」
質問をひとつ投げると、それが解消する前にまたひとつ疑問が増える。
このまま雪だるま式に疑問が増えてきたら、一体どこから片づけていいのか分からなくなりそうだ。
「そうだな。」
相葉は俺の言葉に嬉しそうに目を細めると、髪をぐしゃりとまぜられる。
「そうだなじゃなくて……俺は説明しろって言ってんの!」
「俺はいじめっ子だから、簡単に教えてやるわけねえだろ。」
「はあ?」
俺の上げ足をとってそう言うと、ゆっくりと腰を上げた。
「また、片岡に泣かされたのか?」
「砂羽は……関係ない。」
「あいつ以外にお前が泣く理由なんてねえだろーが。」
「あんたには関係ない。」
俺がそう言うと、二の腕を掴まれ無理やり立たされる。
「お前の泣き顔は、割と気に入ってる。」
「相変わらず、悪趣味な奴だな……。」
「褒めてんだろ?」
「……それ、絶対褒め言葉じゃねえって。」
こいつの価値観はどうなってんだと鼻に皺をつくりながら相葉を見上げると、いつかのように顎を掴まれて視線をぴたりと合わされる。
「綺麗だ。」
「え?」
眼を細めてそう言うと、俺のことを無言で見つめ続ける。
言葉の意図が分からず相葉の視線を探ったが、逆に覗き込まれるように瞳を覗き込まれて、だんだん顔が熱くなる。
「……意味、分かんねえし。」
ふいっと視線を逸らしたのは俺からで、相葉の言葉は相変わらず分からない。
相葉を置いて石垣を降り、ちかちかする電灯の下を歩いていくと……
手首を掴まれて引き戻される。
そのまま腕の中に捕らわれて、再び唇を奪われた。
先ほどの薄暗い中ではっきりと表情まで分からなかったが、俺を見つめる視線の鋭さが肌に痛い。
「な……んで、キスばっかすんだよ?」
「俺の前以外で泣いたから、罰ゲーム?」
「なんだ、その変なルール。」
「せっかくの泣き顔を見逃した。」
「ホントに、性格が歪んでるんだな?」
「よく言われる。」
ふわりと微笑まれて、なんだか身体の力がふっと抜けた。
「ですよね。」
こいつのことなどもう知りたくもないと思いながら、温くなった缶ジュースに口をつける。
空き缶をゴミ箱に放り投げると、綺麗に放物線を描きながら見事に収まる。
それを見つめていると、砂羽のシュートする姿を思い出し、先ほどの暗い気持ちが蘇る。
俺がゴミ箱をじっと見つめていると、相葉に手を差し出される。
「ほら。」
意味が分からず眉間に皺を寄せていると、手を掴まれて歩き始めた。
「なんで、ここが分かったんだ?」
「逃げたら捕まえにいくって、最初っから言ってただろ?」
「だから、その方法を聞いてんだよ?」
「秘密。」
そう言って口端だけで笑うと、目の前に黒いハーレーが見える。
「帰るぞ。」
ヘルメットを投げられ、それを大人しく受け取って、既に跨った相葉の背中に額をつけた。
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