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第2話
放課後を迎える頃には、さすがに名波先輩の噂は下火となっていた。
どことなく落ち着かない感じのする一日だったけど、毎回何かしら噂話を提供してくれる名波先輩の事だから、みんなも慣れっこになっている。
「葵、気をつけて帰れよ」
「いつも陸は同じ事言う」
「しょうがないだろ。心配なんだから」
「僕みたいな一般人には名波先輩みたいな事件は起こらないから、大丈夫だよ」
「…ハァ…」
陸が物凄く深い溜息を吐いた。
わかってないなー…って感じのそれ、失礼すぎる。
「じゃあね。陸も早く行かないと先輩に怒られちゃうよ?」
「わかってる。…本当に気をつけろよ」
「はいはい」
中学の時にテニス部だったという陸は、高校でも当たり前のようにテニス部に入った。
見に行った事はないけど、どうやら一年の中では一番上手いらしい。
教室を出た途端に走りだす陸の後ろ姿を見送ってから、ゆっくりと歩き出す。
僕は帰宅部だから、放課後はのんびり出来る。
今日は家に帰っても何もする事はないし、図書室にでも寄っていこうかな。
…そんな思い付きが僕の人生を変えてしまう一歩だったなんて…、その時の僕にはわかるはずもなく…。
テスト期間でもない今、わざわざ放課後の図書室に行こうだなんて思う奇特な生徒は、どうやら僕だけだったようだ。
入っていいのかと不安になってしまうくらいに静かで、人気 がない図書室。
誰もいないからと職務放棄してしまったのか、司書さんの姿すら見えない。
貸し切りみたいでいいけど。
静けさにも慣れてきたところで、本棚の並ぶ奥へ向かって歩き出した。
僕の足音だけが響く室内。
目当ては、外国文学の本がおさめられている棚だ。
様々な棚を通り過ぎ、辿り着いたいちばん奥の壁際。
あったあった…と案内プレートを見ながら棚と壁の間の通路に入った僕は、そこでピタリと足を止めた。
…なんで、こんな所に…。
思わぬ事態に瞠目する。
誰もいなかったわけじゃなかった。ただ、その人物が寝ていたから物音がしなかっただけだったんだ。
狭い通路で片膝を立てて床に座りこみ、棚に背を寄りかからせて俯いている人物。
一瞬びくついたけど、どうやら寝ているらしいとわかって安堵の溜息を吐いた。
噂の主、名波耀平 先輩。
…今まで図書室で姿を見た事なんてなかったのに、いったいどうして…。
起こしてしまうのが怖くて、身動きもとれない。
少しの物音、空気の揺れ、それだけで目覚めてしまいそうだ。
こう言ったらなんだけど、サバンナの片隅で寝ているライオンと遭遇してしまったような感じ。
どうしても読みたい本があるわけじゃないし、名波先輩が目を覚ます前に退散しよう。
息を詰めながらゆっくりと後退った。…その時、
カタン
今の僕にとっては、爆発音と同様の効果をもたらす小さな音。
視線を下に向けると、肩から斜め掛けにしていた通学バッグが、棚から少しだけ飛び出していた本の背表紙に当たっていた。
…僕の馬鹿…。
泣きたくなる。
とにかく早くここから立ち去らなきゃ。
踵を返そうと顔を上げた。
そして目が合う。
「………」
「………」
獅子は目覚めていた。
「…あ…、あの…、僕…、あの…」
「………」
もう倒れそう。…というか倒れてしまいたい。
鋭い瞳が、無表情で僕を見ている。
…どうしよう…。ここで逃げたら、絶対にまずいよね。
身動きをする事も出来ず、視線を逸らす事も出来ず。はっきり言って石化状態の僕。
そんな中、名波先輩の腕が静かにゆっくりと持ち上がった。
見つめる僕の前で、名波先輩は手首を動かす。
それはどこからどう見ても、“おいでおいで”の仕草。
…な…、なんで!?
もしかして“俺の眠りを妨げやがって!面貸せや!”って事!?
顔が引き攣る。でも、無視なんてしたらもっと恐ろしい事になるのは目に見えている。
覚悟を決めて、名波先輩に歩み寄った。
すると今度は、人差し指をチョイチョイと下に向けられる。
…座れってこと、かな…。
指示されるまま、出来の悪いマリオネットのようなギクシャクした動きで横にしゃがみ込んだ。
そのおかげで距離が縮まる。
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