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第3話 淫靡な夜②

***  結局夕飯は、直ぐ傍の牛丼屋で済ませた。 (つか、安田課長のあの細身の体に、特盛りと並盛り一膳ずつが、ペロッと入ったのが不思議。僕は大盛りでいっぱいだったのに……) 「はあ、疲れた……。ほら下田ぁ、ホテルで打ち上げするから、さっさと酒を選べ」  コンビニに入った安田課長がオレンジ色の籠を手に持ち、お菓子売り場から顎でドリンクコーナーを指す。正直お酒、苦手なんだよなぁ――  顔を引きつらせながら呑めそうなものを渋々選んで、そっと籠に入れた。  籠の中には既に、おつまみらしきものがごちゃっと入れられている状態。(しかも大量なんですけど!) 「おい、何だこれ? ピーチサワー?」 「あ、はい……。桃のお酒ですぅ」 「そういやお前、接待のときにいつも隅っこにいるよな。目立たないようにして」  言いながらピーチサワーを手にしたまま、さくさく歩いて、それがあった場所に辿り着くと、勝手に戻されてしまった。 「あっ!?」 「目立たないようにしているのも、呑まされない様にしているからだろ。もういい年なんだから、少しは酒が呑めるようになれ、下田」  500mlの生ビール缶を何本もぽいぽい籠に入れて、さっさとレジに行ってしまう。 「うひぃ、アレを呑まされるのか。だったら――」  呑まされる前に、呑ませて酔い潰してやる!! そして安田課長を食べてやるんだ、絶対に!!! 「あっ僕、荷物持ちま~す」  がさがさ音を鳴らしている袋を手早く取り上げ、ラブホテル街に足を運んだ。  内心、ドキドキしているであろう下田を他所に、慣れた感じで視線をアチコチに飛ばし、ラブホテルを物色している安田課長。 (今夜一晩、下田と一緒に過ごすのか――)  こっそりとため息をつき、どことなくハイソな概観をしている建物前で立ち止まって、下からそれを見上げてやった。 「ここに泊まる。入るぞ」 「何か、決め手でもあったんですか?」 「別に……。何となくだ」  堂々と入って行く私の後ろを、こそこそといった感じで背中を丸め、小さくなって後をついて来る。  ――やましいことをしてるワケじゃないのに、何だかなぁ…… 「おい。そこにあるパネルの、点灯されている部屋の中から選べよ。早くしないと後から来る客と、ばったり鉢合わせになるからな」 「は、はいぃっ! えっとえっと……、これにします!」  下田が選んだ部屋は、意外にも和室だった。和のテイストが見てとれるインテリアをしていて、畳の上に布団がばーんと敷かれている部屋。 「おい、私に気を遣って、これにしたんじゃないよな?」 「いえいえ! 僕どっちかっていうとベッドより、布団の方が落ち着いて寝られるんで。安田課長と同じ、昭和の男ですから」  なぁんて言いつつも、若干顔を引きつらせている下田に違和感を感じながら、フロントに部屋番号を告げ、お金をスムーズに払い、鍵を受け取って指定した部屋に入った。 「へぇ、まあまあだな」  写真の映し方によって、部屋の奥行きを広く見せるワザがあり、大抵はこじんまりとした空間が多いのだが、このホテルは当たりらしい。男ふたり、ちまちました場所で一晩過ごすとなると、余計にストレスが溜まってしまうからな。 「あのぅこのビール、冷蔵庫にしまっておきますか?」 「ああ、そうしてくれると助かる。私は先に、シャワーを浴びてくるから」  背広をさっさと脱ぎ捨てて、座椅子にかけた。  風呂はどこだとキョロキョロ見渡したら、アヤシゲな障子を見つけたので、勢いよく開け放ってみる。  目の前には、一畳程度のスペースとガラスの引き戸があって、そこを開けたら日本庭園がプリントされた壁に、樽を見立てたような丸い浴槽があるではないか! 「すごいなぁ……」 (――この風呂にまったり浸かりながら、ビールが呑みたい。しかし部下がいる手前、だらしないところを見せるワケにはいかないか)  チッと内心舌打ちし、引き戸を閉めて振り返ったら、うっすらと頬を染めた下田がそこに立っていた。 「……何してるんだ?」  いつもとは違う雰囲気に、躊躇いながら話しかける。 「あ、その……。いつも安田課長にはお世話になってるんで、部下として心を込めたサービスでもしようかと」  そんなの、イヤな予感しかしないだろ―― 『僕が一緒について行ったら、もれなくいいことが起こりますよ』  そうヤツは言ってくれたが、1時間弱で終わる話が一日かかった挙句、泊まるところも見つからなかった。これのどこが、いいことなんだっていうんだ……。今までの恨みを晴らすべく、江藤が宮本にやったように、何かを仕掛ける気なのかもしれない。 「サービスなんて、気を遣わなくていい。あっちで休んでろ」 「そうですかぁ? せっかくお背中、流そうと思ったのに」 「…………」 「…………」 「何をぼんやりしているんだ、早く出て行け!」  名残惜しそうな顔した、下田のデカい背中を両手でグイグイ押し出して、障子をぴしゃりと閉めた。 「ふぅ、やれやれ――」  意味不明な下田の行動はさておき、さっさとシャワー浴びようとネクタイを外したら、障子の外が何故か暗くなった。  不思議に思い、顔だけ外に出してみたら、部屋の隅にいた下田がこっちを見て、ギョッとした顔をする。 「何やってんだ、お前?」 「あの、えっと見知らぬツマミがあったので弄ってみた、みたいな……」 「ガキか、まったく。弄りすぎて壊すなよ」  上司というよりも、子どもを叱る親のようなことを思わず言い放ち、勢いよく障子を閉めた。  ラブホ初体験の下田が珍しがって、アチコチを弄っているだけだと思わせて――実際は障子に映るシルエットを見るべく、部屋の明かりを落とした下田のワザだった!  一枚一枚、丁寧に脱いでいく安田課長の姿に、はぁはぁしている下田の姿を容易に想像出来るのは、作者だけではないだろうな。  ――それはさておき……  買ったビールが早く呑みたかったので、さっさとシャワーを浴び、脱衣所に戻って愕然とする。ホテルで用意されている、バスローブが―― 「ブルーとピンクの2択って、おいおい」  せっかくサッパリしたのに、一気に気分が落ち込んでしまった。下田よりも一回り体の小さい私が、ピンク色のバスローブを身につけなければならないから。 「う~~~……。こんな格好した上司を見て、どう思うのか。考えただけで頭が痛い」  シャワーを浴びる前は部屋が暗かったのだが、今は煌々と明るい状態――タイミングが悪いな、アイツ。  覚悟を決め、目をつぶってそれを着てから深呼吸をひとつして、ばんっと音を立てて障子を開け放ってやった。 「下田、シャワーいいぞ……」  聞こえるか聞こえないかくらいの、小さなボリュームで告げてやり、迷うことなくまっすぐ冷蔵庫の前に向かう。  視線がぐさぐさと突き刺さるのを肌でひしひしと感じ、『仕方なく着ているんだ!』と言い訳をしたくて、うずうずしながら冷蔵庫からビールを取り出した。  リングプルをカシュッと開け、口をつけようとした瞬間―― 「安田課長……髪、が」 「は――!?」  瞳を潤ませて食い入るように見つめてくる下田の視線や、告げられた言葉の意味が、まったくもってワケが分からない。そしてどうしてバスローブに、ツッコミをいれないんだ? 「その髪型が……ほら、職場ではオールバックにしてるから、そうやって前髪があると、雰囲気が違うんだなって。いつもと違う姿が見ることが出来て、何気に嬉しかったり」  今まで一緒に泊まった部下からは、そんなことを口にするヤツなんて、誰ひとりとしていなかった。 「はっ、ただオッサンくさくなっただけだろ」  さっと下田に背中を向け立ったまま、グビグビとビールを流し込む。頬が熱く感じるのはきっと、一気呑みをしたせいだと思いたい。 「そんなことないですよぅ。どんな姿でも素敵です。じゃあ、僕もシャワー浴びてきますね」  まくしたてるように言い放ち、障子の向こう側に消えた下田の声色が、いつもより弾んでいたのは気のせいじゃない。 「何なんだ、いつもと違う姿を見たくらいで、あんなにはしゃぐなんて。お前だって、いつもと違うだろうよ」  テーブルの傍にある座椅子にどっかりと座り込み、残っていたビールの中身を空けて2本目に突入し、それが空きかけた時に、下田がシャワーを終え出てきた。  下田の姿を横目で捉えつつ、冷蔵庫から新しいビールを取り出す。備え付けのコップを用意し、それに注いでやった。 「ほらよ。これくらいは呑めるだろう?」  青いバスローブを着た下田は小さく頷いて、両手でコップを受け取った。 「そんな顔するな、楽しそうにしてくれって」 「はあ……」 「出張お疲れ、かんぱーい」  作り笑いをした下田のコップに呑みかけの缶を当てて、勝手に乾杯。それを呑み干して下田のビールを注いだ缶に、そっと口をつける。  あまりよろくない雰囲気の中、座椅子に座り直してビニール袋から、ゴソゴソとつまみを漁っていたら。 「っ……、ご馳走様でしたっ!!」  部屋に響くようなデカい声で言い放ち、左手で口元を拭いながら、空になったコップを見せてきた。 「ぉ、おう、偉かったな」  あまりの迫力に、面食らうしかない。  そんな私をじっと見つめてから、テーブルにコップをそっと置いて姿勢を正しながら、その場に正座した下田。 「あの、安田課長にお話があります」 「何だ、そんなふうにかしこまって」  袋から、するめそーめんを取り出し、開け口を探しつつ、横目で一瞬だけ下田を見た。普段しているような、おちゃらけた雰囲気を一切感じさせない顔つきに、自然と緊張感が募っていく。 (今更改まってなんだろ、仕事が出来なくてスミマセンとでも、謝ってくれるつもりなのか? 今頃遅いんだよ!)  ケッと思いながら、袋を開けかけた瞬間―― 「僕、安田課長のことを愛しているんですっ!」  ばんっ!!  告げられた言葉が衝撃的すぎて、手元の力が思いっきり入り、大きく開け放たれた袋から、大量のするめそーめんが音もなく宙を舞った。  テーブルの上から足元に至るまで、するめそーめんがこれでもかとぶちまけられているのだが、体が動かない――真剣みを帯びた下田の視線から、逃れることが出来なかったから。  何か言ってやらなくてはと思っても、喉が変に張り付いて言葉が出てこずに、口元だけがあわあわしてる状態だった。頭の中では、否定的な文字が次から次へと流れていく。だが情けないことに、それを言葉にすることが出来なかった。 「信じられないですよね、いきなりこんなこと言われて。困らせるつもりはないんですけど、ガマン出来なくて」  我慢してくれ! これ以上、変なことを口走ってくれるな! 「職場でずっと、安田課長のことを見ていました。最初は憧れだけだったんですけど、触れ合っていく内に、どんどんその想いが、加速していって――」  触れ合ってないない! 仕事の出来なさに呆れて叱り飛ばしつつ、たまぁに褒めていただけだ!  ――というか、下田ってドM!? 「んもぅ、気持ちを抑えることが出来なくなったのでこの機会に、是非とも僕のことを知ってほしいなと」 「はぁ……?」  これ以上バカな部下のことを知っても、特にもなりゃしない。  ばら撒かれた状態のするめそーめんが放つ異臭に眉根を寄せながら、仕方なく下田を見たら、ずいずいっと膝を摺り寄せて近づいてきた。 「今夜、抱きたいんです」 「……ダメに決まっているだろ。私は男だ、そういう対象じゃない」 「僕にとって、安田課長がそういう対象です。だから、ほら――」  強引に左手首を掴んで、下田の下半身にあてがわれてしまう。 「!!」 「ははっ、安田課長のその色っぽい姿を見ただけなのに、こんなになっちゃったんですよ。だけど普段でも、簡単に勃っちゃいますけどね。その薄い唇からため息が漏れたり、ネクタイを縛り直す血管の浮き出た、色白でキレイな手を見ただけで、僕は欲情します」  下田から放たれる、そら恐ろしい台詞の羅列に、頭がぐらぐらしてきた。それだけじゃなく、左手で触れさせられている大きくなったモノから伝わってくる鼓動が、何故か自分の鼓動とリンクしていて、更に恐怖心が煽られてしまった。 「ヽ(ヽ ̄□ ̄))))) ヒイィィィ!!!」  掴まれていた腕を振り解き、するめそーめんを蹴散らしながら、慌てて立ち上がり逃げ出した。    息を切らして全力で逃げたのに、布団の端っこに足を見事に引っ掛け、その場にうつ伏せでばたりと倒れこんでしまう、愚かな自分。  なんてこった――

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