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第7話 私の愛し方②

***  ――私たちの関係を断ち切るための、最後にしようじゃないか――  安田課長の言葉が、頭からずっと離れずに、ループしまくっていた。 「こんなハズじゃなかったのに……。何で、いっぺんに重なっちゃったんだ」  ずっと好きだった安田課長に構ってもらうべく、自分なりに作戦を立てて、仲良くなろうとした。仕事の出来るヤツよりも、宮本のように出来ないヤツに対して厳しく接するためなのか、声かけがよくなされていたので、あえて仕事が出来ないヤツを演じ、バカを装いながら日々を過ごしていたけど。    相手はノンケで自分の上司……当然好意を寄せても、不快感を倍増される毎日に、ほとほと嫌気が差してしまった。    疲れ果てた末に、合コンで知り合った彼女と数ヶ月前に、何回か関係を持った。そう、数ヶ月前で自然消滅していたのに、どうして今頃―― 「……全部、自分が悪いからだろ。何もかも中途半端に、投げ出してしまったから」  江藤に頼まれた書類を届けたあと、自分の用事を済ませ、足取りの重い状態で会社に戻る。20階建てのビルの前、ふと仰ぎ見たら、屋上にいる誰かの影が目に留まった。  安田課長だろうか――もしかして、僕のことを待っている?  そのまま立ち止まり、薄っすらと見える影に、そっと手を伸ばしてみた。 「こんなにも愛おしく想っているのに、最後まで心を手に入れることが出来なかった」  出張の末やっと手に入れたのは、安田課長の身体と仕事で縮まった距離感だけ――たまに見られる、はにかんだ笑顔が宝物だった。 (いきなり男に迫られて、好きになってくれるような人じゃないの、分かっていたことじゃないか。そんなの……)  伸ばしていた手をぎゅっと握り締めてから力なく元に戻し、そのままエレベータに乗り込んで屋上を目指した。  どうやって会話を切り出そうか考えている内に到着し、そのまま進み出ると、屋上の扉に何か張ってあるのが、目に飛び込んできた。 【フェンスの点検中につき、屋上使用禁止】  無駄のないその内容に安田課長らしさを感じて、つい笑ってしまう。だけどその笑みを消すべく、ぎゅっと噛み殺して、重たい扉を開け放った。 「早いじゃないか、カゲナリ」  目の前にあるフェンスから、遠くを眺めていた安田課長がゆっくりと振り返って、僕に微笑んでくれる。  ふわりと舞い上がる屋上の風が、少しだけ乱れた愛しい人の前髪をさらさらと揺らしてくれるお陰で、笑顔がいつもよりも柔らかく見えた。  職場では見られない、貴重な笑顔に釘付けになっていると、唐突に上着を脱ぎ捨て、ばさりと足元に放り投げる。 「そんなに私との最後を楽しみにして、急いで来てくれたのか?」 「いえ……。あの、扉に張ってあった紙は?」 「ああ、あれな。私のパソコンで用意しようとしたんだが、出先で調子が悪くなってしまって。無断借用で申し訳ないが、お前のを使わせてもらったよ。ああしておけば、誰も邪魔しに来ない」  ふっと真顔になり僕の左手を、両手でぎゅっと掴んできた。掴まれた手がとても熱い。その熱で、どうにかなってしまいそうだ。 「……安田課長」 「お前に教えてやるよ、私の愛し方を。こっちに――」 「こっち?」 「扉のまん前でするワケないだろ。文字の読めないバカ社員が、堂々と入ってきたら、どうなると思ってるんだ?」  おどおどしてる僕の手を引き、北側の方へ連れて行ってくれた。 (何だかエアコンの室外機の音が、やけに耳につくな――)  横を通り過ぎながら、そんな関係のないことを考えていると、ここに立っていてくれと指示され、やんわり手を離された。 「何か、意味でもあるんですか?」  安田課長は僕から数歩離れた先で立ち止まり、切れ長の一重瞼を細めて、食い入るようにじっと見つめる。 「意味、か――。そうだな、お前に対して抱いていた印象が、そんな感じだったものだから」  その言葉に、改めて自分の周りを見渡す。  雨風でさらされた、寂れている屋上の角。安田課長は、こんな冷たい印象を受けていたのか。残念ながら僕の想いは、こんなものじゃないのにな。  すれ違っている気持ちを悔しく思い、目の前にいる愛しい人を見ると、太陽が放つあたたかい光に包まれていた。僕が憧れ、恋焦がれた安田課長の姿そのものだった。  光に向かって手を伸ばしても、虚しく空を掴むだけ。何も手にしちゃいない。こんなに欲しているのに。――欲しくてほしくて、堪らないというのに。 「……お前の気持ちに、私は応えたいと思った」 「えっ――!?」  安田課長の薄い唇が、信じられないことを口にしたので、ぽかんとするしかない。 「応えてあげようとした矢先に、あんなことがあって。すごくショックだった……」 「それはっ! 僕が……あの、すみません……、何て言っていいか。でもこれだけは分かってください、僕が一番愛しているのは、安田課長だけなんです!」  ふたりの間を割くように吹いていた風が、一瞬だけぴたりと止んだ。まるで僕の気持ちをしっかりと伝えてくれる、手伝いをしてくれたみたいに。  だけど安田課長の顔は相変わらず曇ったままで、一歩一歩僕に近づきながら力なく首を横に振る。 「そんな言葉を信用しろというのか、安易だな。気持ちなんて、いくらでもウソをつけるというのに」 「ウソじゃありませんっ、信じてください」 「だったら――」  フェンスの金網ごと、僕をぎゅっと抱きしめてくれた安田課長。甘い吐息が耳にかかり、くすぐったくて肩を竦めてしまった。 「お前の全部を私に寄こせ。差し出してくれたら、もれなく心の中に棲まわせてやろう」  安田課長の低い声と一緒に、笑ったような震える吐息を心地よく思った瞬間、体を向こう側にぐいっと押された。ぎぎぎっというイヤな金属音と一緒に、足元がふわりと空中に浮かんだ感覚があった。  声を出す暇なんかなくて、無我夢中で両手を振り回し、必死なって何かに掴まってみる。片手はビルの壁面と、もう片方は安田課長の足首を掴んでいた。 「おっ!? さすがに若いだけあるな。私もお前と一緒に、危うく落ちてしまうじゃないか」 「助けてください、安田課長!」 「カゲナリの危機一髪ってところだろうけど、それは無理な話なんだ。だってわざわざ錆付いた北側のフェンスを選び、ネジをすべて緩めて仕掛けを施したのが、私自身なのだから、ね」  ゆっくりとしゃがみ込んで、掴んでいた僕の手を外そうと、丁寧に一本一本指を外しにかかった。   どうして――ワケが分からない……僕が安田課長を裏切るようなことをしでかしたから!? 「やめて……やめてくれっ! お願いしますっ!!」  半ば号泣に似た声で叫んでも、顔色一つ変えずに淡々と最後の指を外していく。結果、壁面でぶら下がっている片腕で全体重を支えることになり、あまりの苦痛に顔が歪んでしまった。 「ダメだよ、カゲナリ。言ったろう、私にすべてを捧げろと。そうじゃなければ、ずっと一緒にはいられないんだよ」 「ぼっ、僕が死んだら、一緒になんて、いられないですって」 「それは大丈夫さ。今まで付き合った女のことを忘れずに、ずっと心の中で飼い続けているから。ちなみにお前で3人目だが、男は初めてでね。きっと一番、胸の中で輝き続けるだろう」 (……僕が、3人目!?) 「さようなら。私の――」  告げられた言葉は望んでいたものじゃなかったけど、安田課長の幸せそうな顔を見たら、ふっと力が抜け落ちてしまった。自分が流している涙が、落ちていく体と反比例してふわりと舞い上がる。それが安田課長の流す涙と混じり、青い空に白い花を咲かせた。  一瞬遅く伸ばしてくれた細い腕から、ほとばしる愛のようなものを感じることが出来た。  ――僕は今、すごく幸せです――  大好きなアナタの心の中に、永遠に棲み続けることが出来るのだから。

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