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清古熱帯魚店
───あれから三年。
吾妻は正志の元で働いている。
小さな事務所の机で書類を整理していると、ドアからひょこっと顔を出した年配の男性に声をかけられた。
「優雨ちゃん。お疲れさん」
「お疲れさまです」
正志の父親、正一(しょういち)の声に吾妻は笑って顔を上げた。
もともと正志の父親は熱帯魚店を営んでいた。正志は跡継ぎだが、独特のセンスを持っており、アクアリウムのレイアウトコンテストで入賞した事もある。
父親は昔ながらの熱帯魚店を、息子は新しく始めたアクアリウム店を担当していた。吾妻はその両方の営業兼事務だ。
「田代さんにお土産だって、もみじ饅頭貰ったから休憩にしよ。お茶淹れるねぇ」
「あ。僕が……」
「いいからいいから。座っててね」
笑うと目尻に皺の寄る人懐っこい笑顔を見せて、正一は給湯室に入っていった。
三年前、会社を首同然で辞める事になった吾妻を、正志は「給料安いけど、うちに来る?」と拾ったのだ。
あの「孤独と自由」というアクアリウムは正志自身の事だと言った。
それを見つめて、涙を流した吾妻を気に入ったとも。人懐っこい正志からは孤独など感じられないが……だが、あのアクアリウムに共感した吾妻に正志は好感を持ったのだ。
正一も純朴で真面目な吾妻を気に入って可愛がってくれた。
自分は不器用で人付き合いが下手だし、仕事の覚えも悪い人間だ。
だが、二人は気にするなと笑った。
失敗は誰にでもある。適材適所だ。自分の得意なところを伸ばせばいい。
吾妻の良い所は誠実さだと言ってくれた。
清古熱帯魚店は地元の接骨院や美容院、老舗のレストランなどに水槽と熱帯魚をリースしていた。
清古と昔からの付き合いの客も、吾妻の事を温かく受け入れてくれた。
正一も正志も気さくで優しく、懐が深い。清古熱帯魚店の客も同様に気さくで穏やかな人達が多かった。
吾妻の控えめで真面目な性格も合っていたのだろう。この三年間、仕事は順調だった。
「田代さんとこのウーパールーパー、でっかくなってたわぁ」
そう言って、正一は吾妻の前に熱い焙じ茶の入った湯呑みともみじ饅頭を置いた。田代とは近所の接骨院の医院長だ。
「そうなんですね」
正一と話していると正志が帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
正志は吾妻を見てニカッと笑った。「もみじ饅頭だ。俺も食べる」と言って、丸椅子を引いて吾妻の隣に座った。
「親父。茶ぁ」
「まったく。自分で淹れりゃいいのに」
ブツブツ言いながら立ち上がった正一に「優雨ちゃんにはニコニコ淹れるくせに」と正志が舌を出した。
そして、視線を吾妻に戻す。
「大口の仕事が入りそうなんだ」
「ほんとですか!?」
「うん。バーに設置するアクアリウムなんだけど。リニューアルオープンするから、内装工事と並行してアクアリウム入れたいって。かなりでかいやつ。細かい事言ってきそうでメンドくせーけど」
正志の顔を見て、吾妻は微笑んだ。
「やりがいのある仕事なんですね」
「うん。わかる?」
正志は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。正志にとって難しい仕事とは面白い仕事なのだ。
正志は身長188センチで短い金髪、見た目はガテン系で、あご髭を生やしている。
少し吊り気味のくっきりした目と、分厚い唇がセクシーだった。女にはモテるが彼女はいない。
一方、吾妻は身長168センチで細身。
地味な顔立ちで、今まで誰とも付き合った事はない。初心で田舎から出てきたばかりのような純朴な雰囲気をしていた。
吾妻は32歳になるが、幼さの残る顔立ちで25~6歳に見られる事が多い。
客のおばちゃん連中からは可愛いと評判で、息子や孫のように可愛いがられていた。
「ねぇそれ、粒餡?」
「あ、はい」
「じゃあ、ちょうだい」
正志は吾妻の手首を掴んで引き寄せ、食べかけのもみじ饅頭をパクリと頬張った。
「まだあるのに……」
「いいじゃん。誰かの食べかけって美味そうでさ」
吾妻は困ったように笑った。
正志は時々、子供みたいな真似をする。吾妻にべったりとくっついて甘えたり、酔っ払って吾妻の部屋に転がりこんで泊まったり。
吾妻には姉がいるが、弟がいればこんな感じだろうかと思った。
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