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二人の男
それから数日後。
吾妻は正志が話していた大口のクライアントに会いに、書類やパンフレットを持って、ある商業ビルまで来ていた。
事務所ではなく二階のカフェまで来るように言われていた。少し割高な、お洒落な雰囲気のカフェで、吾妻は居心地の悪さを感じていた。
店員に奥の個室に案内されて、座って待っているように言われた。吾妻は出されたコーヒーには口を付けず、書類の確認をしていた。
ガチャリとドアが開き、背の高い男が入ってきた。吾妻は慌てて立ち上がる。
「悪い。待ったか?」
「い、いいえ」
190近い長身で手足の長いスーツ姿のスタイルの良い男だ。年齢は確か40代半ばだ。
少し長めの前髪を軽く流してセットしている。顔立ちは俳優のように整っているが、目力のある切れ長の瞳が野性味を帯びていて危険な香りを感じさせた。
「槇だ」
男はそう言って、どかりとソファに座って名刺を差し出した。吾妻は慌てて自分の名刺を出そうとして、槇に笑われた。
「焦らなくていい」
笑いを含んだ声に吾妻はカッと頬を赤らめた。その様子に槇は笑みを深めて、取り出したタバコを咥えたる
どうにか名刺を出して槇に渡す。
「吾妻……ゆう?」
「あ、はい」
「女みたいな名前だな」
槇にからかわれて、吾妻は赤くなって俯いて槇の名刺を見た。
槇功治 。成功を治める。男の風貌にぴったりの名前だと感じた。実際、槇はバーやレストランを何店舗も経営する社長で成功しているのだ。
「清古正志はセンスがいい。リニューアルする店の内装屋と組んで、でかい水槽を頼みたい。その店の評判が良ければ他の店の水槽も清古に頼みたい」
「あ、ありがとうございます!!」
槇の言葉に吾妻はバッと顔を上げて、満面の笑顔で礼を言い、深く頭を下げた。
「清古とは一緒に飲んだが、気の良い奴だな」
正志の仕事も内面も褒められて、吾妻は我が事のように嬉しくなった。
不躾な物言いをする槇を最初は苦手に感じたが、正志の事を褒められて吾妻は微笑んで槇の顔を見た。
だが、次の言葉に吾妻はキョトンとしてしまった。
「……お前、清古のオンナか?」
「え? 私は男ですが……」
女に間違えられた事など一度も無い。吾妻は不思議そうに槇を見た。
「そうじゃなくて……まぁいい。俺の勘違いだ。書類を見せてくれ」
「あ。は、はい」
催促するように手を出され、吾妻は慌てて書類を渡した。それきり、槇は仕事の話だけをした。
槇の言葉は少し引っかかったが、吾妻は気にしない事にして、目の前の仕事の話に集中した。
カフェを出た時は18時を過ぎていた。
正志から、「今日はもう仕事無いから事務所で待ってる。飯食いに行こう」と、メールがあった。吾妻は微笑んで返信をした。
最初は槇の事を苦手だと感じたが、正志の仕事を認めて、良い店を作ろうとする姿勢に好感を持った。
まぁ、華やかな容姿に横柄な口調は苦手ではあるのだが……。
「吾妻!」
信号待ちをしていると名前を呼ばれた。ハッとして振り返ると、スーツ姿の男がこちらへ走ってきた。
「上原先輩?」
吾妻がクビ同然で辞めた会社の先輩だった。背が高く、細身で筋肉質な体と短い髪がアスリートのような雰囲気の爽やかな男だ。吾妻より二つ年上の34歳だが、20代の頃とまるで変わっていない。
「久しぶりだな。遠目にお前が見えて、走って追いかけたんだ」
上原は白い歯を見せて笑った。昔から女子社員に爽やかイケメンだともてはやされていた。だが、吾妻は上原が苦手だった。
「ご無沙汰しています」
「他人行儀だな。俺とお前の仲じゃないか」
上原はハハッと笑って、吾妻の肩を大きな手で抱き寄せた。この体育会系のノリが苦手なのだ。
上原は面倒見が良く、鈍臭い吾妻の事も世話を焼いてくれていた。
会社を辞める時も最後まで引き止められた。良く言えば情に厚く、悪く言えば暑苦しい先輩だった。
何故、上原が目立たない自分にしつこく構うのか、吾妻には分からなかった。
清古の元で働きだしても、度々、飲みに誘われたがのらりくらりと断っていた。吾妻はスマホを変えて引越しもしたので、上原とは自然と疎遠になっていたのだが、こんなところで再会してしまった。
「仕事終わりか? 良かったら飯でもどうだ?」
「すみません。事務所に戻らなくてはいけなくて」
「あの金魚屋でまだ働いてるのか?」
上原は驚いたように吾妻を見た。コミュ障のような自分には仕事は続かないと思われているのだろう。吾妻は目を伏せた。
「居心地いいんだな。良かったな。吾妻」
上原の言葉に顔を上げると、優しい瞳で吾妻を見ていた。その言葉に吾妻は胸が温かくなる。そして、さっきまで上原を鬱陶しいと思っていた自分を恥じた。
「近いうちに飯行こうな」
結局、上原と連絡先の交換をして口約束をして別れた。
新しい生活を始めて三年だ。
正志や正一のおかげで、少しずつだが自分は変わった。
前の会社では、仕事が遅いし、お世辞の一つも言えないつまらない奴だと言われていた。でも、今は誠実さや丁寧さ、控えめな態度を好意的に受け入れてもらえている。
あの日、声をかけてくれた正志には感謝しきれない。そんな事を考えながら、吾妻は正志の待つ事務所へと帰った。
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