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逃げた魚3

翌朝。 「うぅ……」 吾妻は二日酔いに痛む頭を抱えて目を覚ました。しばらくベッドの上で呻いていたが、昨夜の事を思い出してパチッと目を開いた。 ど、どうしよう……槇社長は怒っているだろうか? 吾妻はきゅうと胃が痛くなるのを感じた。もういっそ、このまま引きこもっていたい。 でも、ダメだ。 清古の元で働いた三年で吾妻は少しタフになっていた。やってしまったものは仕方ない。槇に謝罪して、それでも駄目なら正志に話そう。 正直に。前向きに。正志が吾妻の良いところだと教えてくれた。 それに失敗しても、正志は吾妻を受け入れてくれる。その事実が吾妻を少しずつ強くしてくれた。 「……よし!」 吾妻は声を出してベッドから下りた。 まだ早朝だ。ふらつきながらバスルームに向かった。昨日は酔っていてそのまま寝てしまった。 吾妻は熱いシャワーを浴びて頭をスッキリさせた。 風呂から上がり、だいぶ頭もクリアになった。吾妻はTシャツとスウェットを着て、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して飲んだ。 その時、部屋のチャイムが鳴った。 こんな朝早くに誰だろう。まさか、正志さん!? 吾妻は急いでドアを開けた。 「おはよう。よく寝れたか?」 「は、ええ!?」 目の前には背の高いスーツの男。槇が立っていた。 「あ、あの……あの……」 「忘れ物だ」 手帳をポンと渡された。昨日、ホテルに忘れていたようだ。ホテル……ラブホテルに。 「あ、あ、ありが……」 吾妻は真っ赤になって、吃りながら礼を言おうとしたが、槇がズカズカと部屋に入ってきたので驚いて言葉を失った。 「狭い部屋だな。オートロックでもないし、相手を確かめもせず無用心だぞ」 槇はぐるっと部屋を見回して言った。吾妻の部屋はユニットバスの1DKだ。 「正志さんかと思って……」 槇がピクリと眉を顰めた。吾妻はハッとして、大きく頭を下げた。 「き、昨日は申し訳ありませんでした!!」 「は?」 「あの、酔ってしまって……槇社長にご迷惑を……」 「ああ。気にするな。迷惑とは思ってない」 槇は怒ってはいないようで、吾妻はホッとして顔を上げた。だが次の槇の言葉に硬直した。 「いや、確かに少し困ったぞ。お前に逃げられて。俺はすっかりお前とセックスする気になっていたからな」 ずいっと吾妻に近寄って、槇はニヤリと笑った。吾妻は青くなったり赤くなったりしながら、後ずさりした。 「か、からかわないで、ください」 「からかってない」 吾妻の背中がトンと背後の壁にぶつかった。槇と壁に挟まれた状態だ。 「あ、悪趣味です。冗談が……笑えませんから」 「笑わせるつもりはないしな」 槇が顔を寄せてきたので、吾妻は思わず顔を背けてぎゅっと目を閉じた。 「怯えなくても朝から盛ったりしない。だが、次は逃げずに付き合え」 「な、な……」 槇は吾妻をからかっているのだろう。 槇は背が高く、洗練された容姿で、男の自分から見ても魅力的だ。何が楽しくて吾妻のようなつまらない男と付き合いたいなどというのか。 「か、からかわないでください。昨日は、本当に申し訳ありませんでした。でも、こんな風に……からかわれるのは……」 吾妻は誰とも付き合った事がない。 垢抜けないし、女にはモテない。この歳で女性との経験も無いのだ。槇はそんな自分を面白がって、おちょくっているのだろう。 吾妻は情けなくなって、唇を噛んで俯いた。その顎を槇の長い指がくいと上げる。 「からかってない。俺はお前が気に入ったんだ」 「え?」 「仕事に私情は挟まないから安心しろ。だが、合間を見て誘わせてもらう。次は逃さない。それは覚悟しておけ」 「な……んっ!?」 槇はちゅっと音を立てて、吾妻の唇に軽いキスをしてから離れた。吾妻は真っ赤になって口をパクパクさせながら槇を見上げた。 「いいな。その反応。初々しくて新鮮だ。また連絡する」 ニヤリと笑って、槇は部屋を出て行った。まるで嵐のような槇の訪問に吾妻は唖然として立ち尽くした。

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