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二日酔い
槇が帰ったあと、吾妻はスーツを着て、いつものように清古熱帯魚店の事務所に出勤した。
胃が気持ち悪くて朝食は食べれなかった。
「おはよう。優雨ちゃん? 体調悪いの?」
顔色の悪い吾妻を見て、正一が心配そうに声をかけた。吾妻は「二日酔いなんです。お恥ずかしい」と、苦笑いで答えた。
「珍しいね。優雨ちゃんが飲み過ぎなんて」
「二杯だけなんですけど。やっぱりお酒弱くて……」
正一はゴソゴソと救急箱を漁って「二日酔いの薬は無いなぁ。ちょっと待ってて」と言って事務所を出て行った。
「あ……」
吾妻は申し訳ない気持ちになって、余計に胃が痛くなってきた。酒に弱いのは分かっていたのに、自分の不注意で正一に心配をかけてしまった。
「おあよ。優雨ちゃん」
裏の工房から、あくびをしながら正志が事務所に入ってきた。ずっと工房に篭っていたようだ。
「徹夜ですか?」
「うん。いい感じにノッてきちゃって……優雨ちゃん、しんどいの!?」
正志もすぐに吾妻の顔色に気付いた。
吾妻は益々申し訳なくなって小さな声で「二日酔い」と答えた。
「……誰?」
正志が珍しく怒ったような低い声で聞いてきた。
「え?」
「優雨ちゃん、お酒飲めないんだから。わざわざ誰と飲みに行ったの?」
「槇社長と……」
「槇さんかぁ~。あの人、酒豪だからなぁ。無理して付き合うことなかったのに」
正志は大きなため息をついて、ガシガシと頭をかいた。
「でも、大口の仕事をくれるし……それに、正志さんのアクアリウムのあるバーに連れて行ってくれるって」
「あ。あ~、あのアクアリウム……見た?」
「はい。すごく透明感があって、繊細で、優しい雰囲気でした。夜のお店って雰囲気じゃない感じがしたけど、僕は好きです」
正志は頬を赤らめて、指であご髭を弄った。
「……好き?」
「はい。好きです」
ニッコリ笑って言えば、正志はもっと赤くなった。照れているのだろうか?
「正志さん?」
「……嬉しい。あのアクアリウム、優雨ちゃんが好きって言ってくれて」
「正志さんのアクアリウム。全部好きですよ」
「……っ!」
「正志さん。顔真っ赤」
「……見ないでくれる?」
照れまくっている正志が珍しくて、吾妻はクスクスと笑った。
「優雨ちゃんの小悪魔」
「ええ? どうして?」
そこに正一が戻ってきた。手にはコンビニ袋だ。
「二日酔いにはシジミの味噌汁だよ。インスタントだけど、飲んどきな」
「すみません。あ、僕がお湯いれま……」
「いいからいいから。座っててね」
正一はそのまま給湯室へ入っていった。申し訳なさそうな顔の吾妻に正志が悪戯っぽい顔で言った。
「親父は優雨ちゃんを甘やかすの好きなんだから。ニッコリ笑って、ありがとうって言ってあげたらオッケーだよ。もちろん俺もね」
正志は吾妻にウインクして見せた。吾妻は肩の力を抜いて微笑んだ。
吾妻に気を使わせないように、正一も正志もおちゃらけてみせるのだ。
……ありがとう。
吾妻の胸の奥がじんわりと温かくなった。
───やっぱり、昨夜と今朝の事は言えないや。これ以上、心配かけたくないし。
正一に渡されたシジミの味噌汁を啜りながら、槇のセクハラまがいの発言は正志には黙っておこうと吾妻は思った。
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