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秘密3

「槇社長が苦手なら俺が対応するから。優雨ちゃんはもう行かなくていいよ」 吾妻はガバッと顔をあげて、首を左右に振った。 「大丈夫だから! 正志さんは工房にいて」 「でも……」 「正志さんにはアクアリウム製作に集中してほしい。それに、僕の仕事だから」 「……自分ひとりで抱え込んじゃダメだよ?」 「うん」 「絶対、俺に相談すること。いいね?」 「はい」 正志は吾妻の頬を手のひらで包み、念を押して言った。素直に返事をする吾妻に…… ───キスしたい。 と、思わず顔を近付けてしまいそうになる。時々、吾妻は年上とは思えないほど可愛らしい顔をする時があった。 正志はどうにか踏みとどまり、「コーヒー飲もっか」と、立ち上がった。 勝手知ったる様子でキッチンで湯を沸かした。 吾妻は正志の広い背中を見つめながら、うまくごまかせた事にほっとしていた。少し罪悪感があるが、これ以上心配させるわけにはいかない。正志には製作に集中してほしい。 それに、正志と話した事で気持ちが軽くなった。吾妻が自己嫌悪に沈み込むときには正志が引き上げてくれる。 芯が強く、おおらかでポジティブな正志は太陽のようだと思う。 「はい。優雨ちゃんのは砂糖とミルク入りね」 正志はコーヒーカップを持って振り返って笑った。 「ありがとう」 カップを受け取り、温かくて甘いコーヒーを啜った。 それから数回、槇とは打ち合わせだのなんだと呼び出されて会ったが、無体な真似はされなかった。槇は仕事には私情を挟まない。 だが、仕事の話が終わると「食事でもどうだ?」「飲みに行かないか」と、誘われた。 吾妻は全て断っていた。槇が気を悪くしないかとひやひやしていたが、猫のように警戒している吾妻を見て楽しんでいるようだった。 ドアを開ける時、ソファに座る時、槇はさりげなく吾妻の体に触れた。その度に吾妻はあの夜を思い出してドギマギしてしまう。ほんの少し頬を染める吾妻を槇は微笑を浮かべて見ていた。 「明日、水槽の設置に清古が伺いますので。よろしくお願いいたします」 打ち合わせを終えて立ち上がった吾妻を見送ろうと、槇も立ち上がり事務所を出た。エレベーターの前で気まずい思いで待っている吾妻の隣で槇は気にせず世間話をしていた。 エレベーターのドアが開き、ほっとして吾妻は乗り込んだ。挨拶をしようとすると、槇もエレベーターの中に入ってきた。 「下まで送る」 「いえ、あのっ」 槇は有無を言わさず乗り込み、一階のボタンを押した。密室にふたりきりになって、吾妻は緊張して息を詰める。 「そう緊張するな。もう襲ったりしない」 「えっ……」 「あれは俺が悪かった。そろそろ許してくれないか。お前にそこまで怯えられると、さすがの俺でも傷付く」 槇は整った顔立ちを苦しげに歪めて吾妻を見つめた。その顔に吾妻の方が申し訳ない気持ちになってしまう。 「わ、わかりました。すみません。僕の方こそ、あの、態度が悪くて……」 「悪くなんかないさ。まぁ今度、仲直りの飯でも付き合ってくれ」 その時、エレベーターが一階に着いた。 「水に流してくれて嬉しいよ」 仲直りの握手だ、と槇は手を差し伸べてきた。吾妻は少し戸惑ったがその手を握り返した。槇の親指がスルリ、と意味ありげに吾妻の手の甲を撫でたので、ビクッとして吾妻は手を引いた。 「どうかしたか?」 槇が驚いたように吾妻を見た。 「いえ、なんでも……」 気のせいだったのだろうか……? 槇は吾妻の反応に不思議そうにしている。 過剰に意識しすぎなのかもしれない。吾妻は恥ずかしくなった。 「清古にもよろしく伝えてくれ。楽しみにしていると」 「は、はい。ありがとうございます」 吾妻は慌てて頭を下げた。槇はエレベーターを降りずに、そのまま事務所に戻っていった。 ───気にしすぎだ。あれから槇社長は何もしてこないし。 逆にいつまでも気にしている自分の方が子供っぽく感じて情けなくなった。吾妻は肩の力を抜いて歩き出した。 一方、エレベーターの中では、槇がさっきの吾妻の顔を思い出して笑みを浮かべていた。 ……人が良すぎるだろ。 槇の薄っぺらな謝罪の言葉を受け入れて、何故か吾妻の方が申し訳なさそうな顔をしていた。 肩や腰にそっと触れると頬を赤らめて俯く。あの夜を思い出しているのだろう。 今までの相手とは違う。吾妻の可愛らしい反応に、槇は時間をかけても口説こうかという気になっていた。

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