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破滅4
監督は新たな破滅の水槽の方を気に入っていた。
「こっちの方がいいですね。さすがです」
「そう言ってもらえて一安心ですよ」
「でも、一体誰があんな事を……」
監督は眉を顰めた。主演俳優の狂信的なファンの仕業か、嫌がらせか、通り魔的な犯行か。いずれにせよ警備を厳重にしてもらわなくては。
「まぁ、災い転じて福となすって事で。素晴らしいアクアリウムをありがとうございます。席を用意してますから、お二人も観ていってくださいね」
「ありがとうございます」
試写会は監督のトークショーも順調に進み、吾妻は正志と一緒に映画を観ていたが、槇との約束を思って気持ちは沈んでいく。
映画の内容は全く頭に入ってこなかった。
その日の夜に槇から電話がかかってきた。明日の朝、槇の事務所まで来いと言われた。吾妻は胃が重くなって吐きそうになってしまう。
……でも、槇社長のおかげで試写会で展示したアクアリウムの評判は良かったんだ。きっと次に繋がる。
それに僕は女じゃない。男だから大したことない。少しだけ我慢して、早く終わらせて忘れればいい。
吾妻はベッドに横になったが眠れそうになかった。ごろごろと寝返りをうっていると、スマホが鳴った。見れば正志から着信だ。
「………」
今、正志の声を聞くのは怖かった。
試写の時、吾妻の様子がおかしかった事に正志は気付いているのだろう。しばらくして着信が止まった。今度はメールだ。
『優雨ちゃん。寝ちゃってるかな?今日はありがとう。優雨ちゃんがいてくれたおかげだよ。明日から槇さんとこだけど、しんどくなったら絶対に話すんだよ。優雨ちゃんに無理させるのは嫌だからね。俺にちゃんと話してね。おやすみ。いつもありがとう』
正志からのメールを見て、吾妻は胸が苦しくなった。
吾妻は正志に嘘を吐いているのだ。本当の事を言えば、正志は必ず吾妻を守ってくれるだろう。だが槇との約束を反故にしてしまう。
それだけはダメだ。
自分が勝手に引き受けてしまったのだ。正志に迷惑なんてかけられない。
「………二日だけだ………すぐに終わる。大丈夫だから」
吾妻は正志に対する罪悪感と明日への不安で押しつぶされそうになりながら、きつく目を閉じた。
ろくに眠れないまま翌朝を迎えた吾妻は槇の事務所へと向かった。
正志に「槇社長の事務所に行ってきます。仕事できなくてすみません」とメールをして。
すぐに正志から「無理だって思ったら帰ってくるんだよ。迷惑だなんて気にする必要ないからね」と返信がきた。
「………大丈夫」
吾妻は重い足を引きずるように、エレベーターに乗り込んだ。
「おお。早かったな」
「お、おはようございます」
槇はいつもと変わらぬ様子で吾妻を出迎えた。
「西野。こいつが助っ人の吾妻だ。吾妻。仕事は西野に聞いてくれ」
「西野です。すみません。社長が無理をお願いしたんでしょう。今日はよろしくお願いします」
「あ、吾妻です。こちらこそ、よろしくお願いします」
吾妻は少し面喰って、慌てて頭を下げた。西野と呼ばれた20代後半の女性は申し訳なさそうに吾妻に話した。
「もう一人、事務員さんがいるんですけど、食あたりでダウンしていて。一昨日からお休みしてるんですけど、出てこれるのが来週からみたいで。私も今週末、九州の実家に帰る予定があって休日出勤も難しくて………」
「西野は仕事が丁寧だが遅いんだ。溜まってる雑用だけでも手伝ってくれると助かる」
「社っ長! 初対面の人の前で言わないで下さいよ」
槇が声を出して笑った。以外にも槇の会社は随分アットホームな環境のようだ。あのラブホテルの吉岡も槇に対してくだけた話し方をしていた。
「ぼ、僕で出来る事があればお手伝いさせていただきます」
「よろしくお願いしますね」
吾妻は肩すかしをくらったような気分だったが、また槇にからかわれただけだと分かってホッとしていた。
西野の指示に従って雑用をこなしていった。
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