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あの夏4
「わぁああッ!」
豪は叫びながら、木の枝を振り回した。
「痛いっ! な、なんだ、お前!?」
「師匠を離せ!!」
バシバシと高校生を叩くが、所詮は小学生の力だ。豪は腕を捕まれて、地面に叩きつけられた。
その隙に葵も地面を転がって、拘束から逃れた。
「こいつ……っ!」
豪は高校生の足にしがみつく。蹴られても、殴られても、絶対に離さなかった。
「豪っ!」
「逃げろ!」
「でもっ……」
「いいから逃げろッ! 葵ッ!」
豪の怒鳴るような声に、葵はビクリとした。震える膝で立ち上がり「助けを呼んでくる」と、走り出した。
高校生が葵を追おうとしたので、足に噛み付いた。
「痛ッ! この……ッ!」
高校生は木の枝を拾って、その尖った先端を豪目掛けて怒り任せに振り下ろした。
「うわぁッ!」
豪は叫んで飛び起きた。ハァハァと忙しない呼吸を繰り返す。
───またあの夢だ。
ワンルームの部屋のベッドから豪は立ち上がる。洗面所に入って蛇口を捻り、生ぬるい水で汗だくの顔を洗う。濡れたままの顔を上げて鏡を見た。
豪の顔には左のこめかみから頬にかけて、歪な傷痕が残っていた。
あの日───柳の兄が振り下ろした木の枝、その尖った先端は豪の顔を抉るように切り裂いた。
その後の記憶は曖昧だ。
下半身裸のまま、泣きながら逃げ出した葵をトラックを運転していた近所の男性が見つけた。
田舎町は大騒ぎになった。
豪が目覚めたときには、隣町の病院にいた。
顔の怪我は10針縫った。
母は泣いていたし、父は怒っていた。豪に対して怒っていたのではないが、目覚めた豪は「ごめんなさい」と謝った。
葵を一人にしたから、葵を酷い目に合わせてしまった。だが、父は豪を勇敢だったと涙目で褒めた。
そんなことよりも葵の事が気になったが、今は休めと、誰も教えてくれなかった。
病院で警官にいくつか質問をされたが、事件は大人達の手で終止符を打たれた。
結局、葵とは会えないまま、豪は自宅へ連れて帰られた。
それ以来、両親は豪を父方の田舎に連れていかなくなった。
二度と葵に合うこともなかった。
父も母も、あの事件には触れたがらず、何一つ教えてはくれない。
葵に何度も手紙を書いたが、一度も返事はこなかった。
残ったのは傷痕だけ。
これは葵を守れなかった証だ。
あれから十年。背が伸びて、筋肉もつき、豪は逞しい青年へと成長していった。
あの事件以来、豪は尖った生き方をするようになり、悪い友人とつるむようになっていた。
9歳の夏、もう負けたくはないと決意をした豪は、ケンカに明け暮れる十代を過ごした。
実際、豪は強くなったし、顔の傷が豪の男ぶりに箔をつけた。
両親は豪を「まっとうな子供」に戻したがっていたが、無駄だった。
それでも、19歳になった豪は大学に進学した。親元を離れて、独り暮らしがしたかったのだ。
今でもあの夏の夢を見る。
一度だけ、中学二年の夏休みに、親に黙って葵に会いに行った。
だが、葵は一家揃って引っ越していた。
小学生の頃は分からなかったが、今は葵が何をされていたのか分かる。
少年だった葵が高校生にイタズラされたことは町中の人が知っていた。
好奇の目に耐えきれず、被害者であるはずの葵は逃げるように出ていったのだ。
思い出す度に豪は怒りに震えた。
柳の兄を殺してやりたいし、今なら殺せるだろう。
だか、柳の家も引っ越していた。文字通り逃げたのだ。
豪はタオルで顔を拭いて、傷痕をぼんやり眺めながら、最後に見た葵の顔を思い出していた。
いつでも強気で、いろんなことを豪に教えてくれた。でも最後に見た師匠は、か弱く、か細く、震えながら泣いていた。
豪は歪な傷痕を指先でなぞりながら、ぽつりと呟く。
「……師匠」
今でも……葵に会いたかった。
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