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第3話

「鹿だな」 「し……鹿っ?」 しかも、群れなのか次から次へと外灯の下に現れる。 峠の頂上は、あっという間に十匹以上の鹿に占拠されてしまった。 拍子抜けしたと言えばそうだが、野生の鹿達が行く手を塞ぐのは非現実的な光景ではある。 「……ふふっ」 恐怖の反動なのか、慶太は出し抜けに笑い出した。 「鹿ってさぁ、あははっ。もー、びっくりさせんなよぉ」 ひとしきり笑ってから、自分が貴之に抱きついていることに今更気付いたのか、「わっ」と言って離れた。 「山姥じゃなかったな」 からかい混じりに言うと、「いや、知ってたしっ」と、持っていた懐中電灯を照れ隠しにぐるぐると回す。 光がちらちらとし、鹿達に届いても、一向にその場から動く気配はない。 「おーい、どいてー」 慶太が大声で呼びかけるが、何を考えているのか皆一様に短い尻尾をぴるぴるぴるっと素早く振るばかりだ。 その動じなさに半ば呆れるが、二人とも触れて誘導するような勇気はない。何しろ、鹿に突進されてバンパーの凹んだ車を昔何度も見ている。自ら動いてくれるまで、ひたすら待つしかないのだ。 「なんだよこの時間」 揃ってぼーっと立ち尽くしていたが、ふと我に返った貴之の声に、慶太はまたぷっと吹き出した。貴之もつられて笑い出し、深夜の峠道に不釣合いな明るい声が響く。 「鹿待ち鹿待ち。ほら、貴にぃ、あの子小さくて可愛いよ」 いつの間にか呼び方が昔に戻っている慶太は、嬉しげに貴之のTシャツの裾を引き、鹿を指差して笑っている。 少し舌足らずに貴にぃと呼ぶ声は、あの頃この従弟をどれほど可愛く思っていたかを、貴之にまざまざと思い出させた。 暑いし、暗いし、謎の待機時間だが、なんだか昔に戻ったみたいでそれほど悪くはない。 そういえば、慶太と過ごしたかつての夏休みも、特別なことをしたわけでもないのに楽しかったと、貴之はぼんやりと思い返していた。 「あーあ、ビール片手に鹿見(しかみ)したいなぁ。帰りも鹿出ないかなぁ」 「鹿見って斬新だな。まぁ、こういうのは偶然だからいいんだよ。いつでも会えたらつまらないだろ」 格好をつけた台詞を笑われるかと思ったが、慶太はふと、とても大人びた表情をした。 「そうだね。次に会える保証がないなら、今を楽しむしかないよね」 鹿を見つめる慶太の視線は、いつの間にかひどく真剣味を帯びたものになっていた。

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