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ベース 自転車 トンネル

「……良かったです。楽しんで頂けたようで」 「はい。……あの、本当は、凄く怖かったんですけど……」 「実は、僕もです」 ウッドベースの、ナチュラルで温かみのある内装。さり気なく置かれた観葉植物。 ゆったりとしたバックミュージック。 ピンと張った黒革のソファ。柔らかな間接照明。 窓から見えるのは、青紫の妖しい光を浴びる、ファンシーなラブホテル。 「……」 ……良かった…… 入ったのが、近くのレストランバーで。 でも、そうだよね。 いきなり連れ込むなんて有り得ないし。……そもそも僕、男だし…… 「……」 静けさの中に鳴り響く、カップ底とソーサーのぶつかり合う小さな音。映画の話が終わってしまえば、途端に会話が止まる。 蘇る緊張感。指を掛けたままのカップに視線を落とす。適温より冷めた、赤い水色(すいしょく)紅茶(ダージリンティー)。程良い渋みが、まだ舌の上に残っている。 実感なんて、全然湧かない…… 色んな事が起こりすぎて、長い夢を見ているかのよう。 今までは、カウンターの向こうから、ただ眺めているだけだったのに。 映画だけじゃなくて……こうして一緒に、食事まで出来るなんて…… 取っ手に長い指を絡め、背を伸ばしたままコーヒーカップを口に寄せる誠。その様は、絵になる程格好良くて。 連れて来てくれたこのお店もお洒落で。雰囲気も良くて。 女性を口説くには最適なお店なのに……目の前に座っているのが、僕なんかで……いいのかな…… 「……っ、」 ぱちんっと瞳が合い、直ぐに逸らす。 その視線の先にあったのは、針金アートの置物である、麦わら帽子の男の子、子犬、自転車。 出窓に置かれたそれらの傍には、円柱型の木製オルゴール。そっと拾い上げ、側面にあったネジを回す。 心地良い鉄琴の音色。 木製の小さな汽車が、円状に敷かれた線路の上を走り、短いトンネルを出たり入ったりを繰り返す。 ……わぁ、可愛い。 「可愛いですね」 「……え、」 驚いて顔を上げれば、間接照明の柔らかな光を纏う、優しげな誠の笑顔がそこにあった。 「………はい」 同じ事を思ったのが嬉しくて。高鳴る胸の奥が、じんわりと温かくなる。 オルゴールの音色に合わせ、円を描く汽車のオブジェ。可愛らしいそれを、誠と共に見つめる。 愛おしむような視線が、時折僕へと注がれている事にも気付かずに……

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