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第29話 2

    テスト2日目の朝、月乃が教室に入ると 何やらひりついた空気が月乃に向けられた。 遠巻きにされているのは相変わらずだが、 それでいて関心だけ持たれたような、そんな変な感覚。 相変わらず自分の人生はハードモードだ、と 月乃はそんな事を思いながら席についた。 「ちょっと月乃、なんで先に行っちゃうんだよ!  もー、おれの準備終わるまで待っててよ~」 「君も物好きだな、  クラスで俺がこんな状態なら知らんぷりしとけば?」 「何言ってんだよ、月乃は月乃だろ~!」 少しして教室に入ってきた朝陽は少し怒っていて、 けれど月乃を心配そうにしていたから 月乃はそれだけで少し救われた気分だった。 「じゃあこれから面談を始めるから、  今日当たってる生徒は時間になったら家族の人と一緒に教室前で待つようにな」 テストも無事に終わり、担任の指示に従って生徒達は教室から それぞれの家族が待つ場所や寮へと移動をする。 しかし月乃は中庭のいつものベンチへ行き、 何かを考えるような仕草をしてから 徐に鞄から封筒を取り出した。 それは、実家から返送されてきた三者面談の用紙。 「……卒業したらもう関係ない、か」 先日、担任が言いにくそうに伝えてきたのは 何度連絡しても月乃の両親が面談に来ると返事をしてくれないということ。 両親の言い分は、卒業した後はもう関係がなくなる、 だから担任と月乃で好きに話せというもので。 月乃の家族は、度を超えて月乃に無関心だった。 ◇ 「お前、またこんな点数なのか。  いい加減ちゃんとしたらどうだ、  向こうの……天くんだったかは、ちゃんとしてるんだろう」 父親と話した事で、月乃の記憶に残っているのはそんな言葉しかなかった。 月乃の家族は、両親と二人の姉、そして一人の兄がいて。 姉達や兄が、それはよくできる存在だったため 月乃に求められる基準は高く、しかも見栄っ張りな父親なもので、 裕福な家柄で関わりも多い天の家には負けたくないと 妙なプライドまで持っていた。 「あの子がうちの子だったら、自慢だったのにな」 毎回、学校の成績で天と比べては落胆され まるで一家の恥のような言い方をされる。 その重さに押し潰されそうで、 天への劣等感と憧れが同時に加速していく。 「月乃、またここにいたのか」 「一夜……」 「今日成績表もらっただろ、  ここだと思った……また親父さんに何か言われたのか?」 小学校も後半になると、すっかり逃げ場所が決まっていた。 近所の公園の、奥まった場所にある木のベンチ。 そしてそこにいると、決まって一夜がやってくるのだ。 「成績が悪いからちゃんとしろって、言われた」 「…………月乃!」 「ん?」 「見ろ、俺の方がずっと悪い、  だから大丈夫だ、月乃はすごいぞ」 自分の成績表を広げる一夜の、 そんな不器用な優しさが月乃の救いだった。 一夜が居なければきっと、今よりもっと卑屈でどうしようもない人間になっていたのだろう。 そして中学からは、父親の月乃への関心がなくなった。 母親は父親の言いなりのようなものだったため、 期待などできるはずもなく。 姉達も兄も、既に一人立ちをしていた。 「……黒崎くん、放課後、ちょっといいかい」 「……はい、何かありましたか」 「いやいや、少し先生の手伝いをしてほしくてね」 そんな折、担任からのそれは始まった。 放課後、人気のない教室で体を触られ、服を脱がされ 初めて人に欲情を向けられた時の恐怖は 今でも月乃の盛大なトラウマだ。 「君が女生徒じゃなくてよかったよ。  君の顔も、雰囲気も、全部好きなんだ、  女生徒に手を出すと問題になるのが早くてね。  その点、君が男なのは本音としては残念だが、  だからこそこうして堪能できるんだ」 「……、……やめて、ください」 「君は家族に言えないだろう、こんな事。  ああ、いつも一緒にいる彼らには言えるかもしれないけど……  彼ら、いい高校行けるといいねぇ」 気持ち悪い、気持ち悪い。 それだけしか感じなかったその行為は いつしか、関心を持ってくれない父親への寂しさと 反比例するように、父親と同じ年代の担任から 与えられる関心を受け入れてしまうようになっていた。 嘘でもよかった、安心してしまった。 まるで父が自分を愛してくれているような、歪んだ錯覚。 こんな事、幼なじみの3人に言えるはずもない。 「お前、なんで勝手に変えたんだ?」 自分がひどく汚く思えて、気持ち悪くて 一緒に居たらいつしか知られてしまうんじゃないかと そう思うと、一夜達と同じ高校が怖くなった。 けれど朝陽に泣かれ、一夜に怒られ、天に問い質され 結局全員で全寮制の男子校を受験した。 「月乃」 「……伊月兄さん」 高校の金は出すが生活費はなんとかしろ、なんて 無茶苦茶を言い出した父に困っていると、 兄の伊月が珍しく実家に帰ってきた。 完璧主義で、一流大学を経て大手企業へと就職した 父の自慢である兄は、常に無表情で無機質で。 月乃は少しだけ、苦手だった。 「お前、中学で何かあったか」 「……なんで?」 「家にこもるようになったらしいし、  俺が近くを通ると少し怯えてたじゃないか。  人と関わるのが嫌になるような、何かあったか」 しかしそんな兄は鋭く、月乃が中学で植え付けられた 他人に対するトラウマを簡単に見抜いてしまう。 そして伊月は小さくため息をついた後 月乃へ真新しい通帳を手渡した。 「兄さん……?」 「高校、全寮制なんだってな。  あとバイトしろって言われたらしいじゃないか。  人と関わるのが怖いなら、無理しなくていい。  そこに生活費を入れてやるから、安心して高校生になれ」 「えっ、そ、そんな、兄さんに迷惑……」 「いいよ。  あんまり何にもしてやれなかったからな。  高校生活くらい甘えてくれ。  ……受験、よく頑張ったな、合格おめでとう」 「っ!!」 兄の伊月には、一番感謝している。 今ここで過ごせているのも、伊月のおかげだ。 と、そこまで回想して、いつものように足音が聞こえてくる。 「……君、ほんとに俺の事好きだな」 「月乃が、泣いてる気がしたからな」 そう言って、まるで小さい頃のように 一夜は月乃に笑顔を向けた。  

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