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第70話 相談事

    じめじめとした空気が張り付く雨の日の放課後、 月乃は下駄箱で一人、立ち尽くしていた。 「……寮まで走ってもいいけどな……」 月乃達の通う学校では、校舎と寮が離れた所にある。 その道のりは走っても少し時間がかかるほどで 雨の日に傘なしで帰ればもれなく風邪を引くだろう。 しかし月乃は今まさにその状況だった。 朝にはきちんと持ってきていた傘が、 放課後になった今、紛失してしまっていた。 朝陽と千風はバイト、一夜や柴田は部活、そして 天は生徒会、風磨は居場所がわからない。 それゆえに、途方にくれていたというわけだ。 「月乃」 「……天……?」 と、下駄箱付近で考え込んでいた月乃に 後ろから名前を呼ぶ声がかかる。 振り返ると、階段を登る途中らしい天が 手すりから少し身を乗り出して月乃を呼んでいた。 月乃が少し歩いてそちらに寄ると、 天は丸めた資料のようなもので月乃を軽く叩く。 「……痛ぇ」 「どうせ傘盗られたんだろ。  そんで、走って帰ろうとしてたんだろバーカ」 「そうだけど……だって君も一夜も朝陽も、  他の知り合いも都合が合わなくて居ないからな」 「お前に風邪引かれたら困るんだよ。  俺が終わるまで図書室にでも居ろ、  帰りに傘入れてやるから」 わしゃわしゃと頭を撫でながら言われ、 月乃はそんな天の言葉に甘える事にした。 生徒会、なんて、普段の学校生活においては それほど仕事もないのだろうと月乃は思っていたが 天が忙しそうにしている事から、 この学校では重要な立ち位置なのだろう。 自分はできそうもないな、と そんな事を思いながら図書室の一席に座る。 「おや、黒崎くん。  久しぶりやね、ここんところ昼休みに  あんまり来てくれんかったでしょ」 「周さん……。  えっと、まあ、今日は人を待っててですね……」 月乃が座ると、図書室の奥から司書の周が出てきた。 色素の薄い短髪に眼鏡をかけ、すらりとした体型で 関西の独特の訛りがある男性だ。 入学当初、天とはあまり関われずにいた頃、 友人の少ない月乃はよく図書室を利用していた。 男子校だからか、あまり利用者のいない図書室で 仕事が少ないのだと、頻繁に話しかけてきてくれていたのが周だった。 「あれからね、新刊入ったんよ。  僕のおすすめはねぇ、この推理ものやけど……  黒崎くんはこっちかな、ファンタジー冒険譚」 「あ、それ多分好きです……。  あと周さんのおすすめのやつも借りますね」 「ふふ、黒崎くん優しぃわぁ。  そんな黒崎くんに相談なんやけどね、  次に入れられる本のリストがこれなんよ。  こん中から何入れよ、ってね」 月乃一人しかいないからと、月乃の前の席に 腰を下ろしてパンフレットのようなものを広げた 周は、にこにこと笑いながら月乃の返答を待つ。 まるで優しい兄のようだと、月乃は毎回思っていた。 「俺は、これが好きです……あと、これとかは  確か本屋で特集とかされてて……」 「黒崎くんは、ほんまに本が大好きやねえ。  参考にするわ、ありがとねえ」 「……あの、周さんって、その……  恋人とかは居ます?」 「……はい?」 優しく笑いかけられ、月乃も目を細めて笑う。 そして、満足したような周に ふと、気になった事を聞いてみた。 距離が近すぎて、朝陽には聞けない、 そこまで深入りしていなくて、風磨も千風も、 柴田にも聞けないだろう、秘密の相談事。 「俺、あんまり恋人を満足させてあげられない  っていうか……よく、怒られるので。  相談に、のってもらえないかなあって」 「黒崎くん、ご無沙汰の理由は恋人さんかあ。  ははっ、ええよぉ。  二人きりやからね、今は。  おにーさんが何でも教えたろね」 にこにことパンフレットを閉じた周に、 月乃は、実は、と、声を潜めてそっと顔を寄せた。    

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