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第73話 月を隠す夜

    【一夜視点】   小さい頃から、月乃は可哀想だった。 伊月さんがよくできる人だからと 同じ月の字が入った名前と過度な期待を与えられて 生まれてきた月乃は、親の期待には届かなかった。 幼稚園児の頃はまだ甘やかされていた方。 けれど小学生の頃は、正直見てられなかった。 「月乃、どうした、もうじかん、おそいよ?」 「……父さんがおこるから、かえりたくない」 「……おそいほうが、おこられるんじゃないの」 「何時になっても、おこらないよ」 テストだとか成績表だとか、 そんなのが返ってくる度に月乃は帰る事を嫌がった。 一ヶ月だけ、親父さんの月乃への叱咤を見たけど あんなの精神的レイプだ、虐待だ。 どうして出来ない、何で、恥ずかしい、ゴミだ、 天は、天は、天は……って、天との比較がついて回る。 そんなのが六年も続けば、人間の精神は どうにかならずには居られないもので。 「俺さぁ、心底、天が恨めしいんだよ。  朝陽もいいよな、器用に生きてて……  大っ嫌いなんだ……吐きそうなくらいさ」 「月乃……」 「いいな、いいなぁ……父さんに気に入られて。  連れてきた時の父さん見たかよ、あんなのっ、  俺にはっ!絶対向けないくせにさあ!」 中学にあがるかあがらないかの頃、 月乃は痛々しく叫びながら俺の前で泣いていた。 父親からの愛情を渇望しすぎておかしくなっていた。 天が、朝陽が、羨ましくて妬ましくて大嫌いだと 苦しそうに何度もそう吐き出す月乃は 可哀想で見ていられなくて、ひどく、綺麗だった。 「……なあ、月乃」 「なんだよ……っ、君も、君だって、っ!  期待も失望もなくて、友達も多くて……  人生簡単だろ、っ、なんだってできるもんな!」 「……月乃、逃げてみようか」 「……え……?」 泣き腫らしたひどい顔で、すがるように見る月乃に ひどい昂りを感じる自分が居た。 自分だけを見ればいい、すがればいい。 この綺麗なものは、俺のもので、 俺だけが救いの手を差しのべられるんならそれは 最高な事じゃないか。 「俺が、親父さんの分も他の分も全部、  たくさん月乃を愛してやるから……  逃げていいよ、嫌なことから、全部、な?」 それから、俺はまるで親父さんのような口調で わざと大人ぶって、月乃をたくさん愛してやった。 するとどうだ、月乃は、俺にだけ見せる顔を 俺だけが知っている顔を、作ってくれた。 「解離性同一性障害、って言うらしいぜ。  簡単に言えば重い二重人格だ。  どうも月乃は、天も朝陽も大好きらしくてなぁ、  勿論、お前もだけど……それでさ、  三人に対して嫌なことがあれば、  全部俺に渡してくるんだ、あいつ」 「ああ……今のお前は別人格、ってことか」 「理解が早いねぇ」 天への憧れと好意と、妬みと嫌悪と。 どれも強すぎて、月乃の中で完全に割れてしまった。 結果、月乃は天に恋愛の好意を覚えてしまって 目の前に居るそいつは天に憎悪さえ覚えてしまった。 まともな感情をほとんどそいつの中にしまって、 怒りも泣きもしなくなった月乃に、 天がひどい事をするぶん、その傷は月乃じゃなく 別人格へといくようで。 「月乃の事、大好きだよなぁ天って。  散々月乃で大好きを与えてやってから  俺が大嫌いを突きつけてやるんだ、  なあイチ?その時の顔、見ものだな」 「俺以外にお前が知られるのは、癪だな」 「……そんな拗ねんなよ、  俺にはお前しか居ないんだから……  機嫌なおしてくれよ、な?」 天が好きで、一切こっちを見てくれない月乃と違って そいつはキスもそれ以上も俺にだけ許してくれた。 名前がないと不便だからと、朔乃、と そう名付けて月乃と区別した俺は 歪んだ優越感と独占欲をもて余して愛した。 おおよそ中学生のまともな感情じゃない、 周りが病気だのなんだのと言うのも頷ける。 「……君、最近その、やたらと俺のこと知ってるよな。  俺、いつの間に君に全部話したんだろ」 「月乃、全部俺には話すじゃないか。  まあ、悩みすぎて必死だったんじゃないのか?」 朔乃の記憶は、月乃にはない。 精神がひどく不安定な時にだけ出る朔乃を 認識もしていなくて、本当に俺だけが知っている。 幼なじみ以外にされる嫌なことは朔乃に渡されないらしく、 担任からのセクハラなんかは朔乃は知らなかった。 不安定で、アンバランスで、脆くて、 優しくしないと壊れてしまいそうな、 そんな危うい存在が月乃で。 「なら、セカンドは俺でいいな」 朔乃なら絶対にしないような、 あからさまに戸惑った赤い顔で困る月乃に もう何度も重ねている唇を、 意識では初めて重ねて。 月乃と、朔乃、俺だけが両方知っていて そして俺は、両方、全部引っ括めて月乃が大好きだ。    

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