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第35話
エレベーターを一歩降りた途端、解れてきていた筈の緊張が戻ってきた。
ゆっくり深呼吸する僕を柊さんが見て苦笑した。
「すいません、心臓バクバクで…」
「小心者め。やる時はやれ、男だろ。」
「は、はい!」
この扉の先に稑くんが居る…
もしも拒否をされたら…
柊さんがピンポンを鳴らした。
部屋の奥から足音が聞こえた。
僕にはもうその足音しか聞こえない。
稑くん…
もう何年も聞いてきた足音…
少し特徴的な足音…
それだけで稑くんだと分かる。
ドアが開いた。
「柊さんおかえ…」
「稑くん…」
「紘二…なんで…」
稑くんの目が泳いだ。
握り込んだ僕の手の平は汗ばんでいた。
「店の周りうろついてたから、拾ってきた。」
「…」
稑くんは俯いてしまった。
「利くんお帰り。遅かったじゃないか。…って…あーあ、そろそろやるとは思ってたけど、ついにやったか…」
奥から出てきた松岡さんは、僕と目が合うと苦笑した。
「仕方ねぇだろ…」
「うん、偉かったね。」
「もっと褒めろ。」
「そうだね、じゃぁ今夜沢山ね。」
「絶対、約束だからな。」
「はいはい。」
「投げやりな返事すんな。」
なんだか松岡さんの前での柊さんは少し可愛い。
「前川、利くんがそろそろ限界みたいだ。数日間離れて頭も冷えただろ?」
「あ、はい…」
「よし、じゃぁ夫婦喧嘩の続きは自分たちの家でやってくれな?」
ポンポンと松岡さんが稑くんの肩を叩くと、稑くんは小さく溜息をついた。
そして、僕とは顔を合わせないまま靴を履いた。
「あの、…お世話になりました。」
そう言うと二人を見て頭を下げた。
「そう思ってんならちゃんと仲直りしろ。つか、喧嘩とか面倒くさくね?長引くとさらに。…ま、お前らは喧嘩不足っぽいから、調度いい機会だったんじゃねぇか?」
「なんか偉そうだね、利くん。」
「うっせ。」
楽しそうにじゃれている二人のやり取りは上手く聞き取れなかった。
僕の頭の中は稑くんでいっぱいになっていた。
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