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獲物 2

向田が黒い笑みを浮かべて、獲物を狙う獰猛な肉食獣の様な目付きで見つめていることなど露ほども知らない椎名――春は、ようやく歓声にも慣れ、顔を引き締めて軽くボールを床に突く。 元々見られることには慣れているのだ。この髪の色、目の色でも注目を浴びてしまうのは何故かわからないが、昔はもっとひどかった。 春は、ゴール下から外れ、3ポイントラインに立つ。ボールを手に馴染ませる為に2回床に弾ませて、素早くシュートフォームに入ると軽くジャンプしながら右手でボールを放つ。 ボールはきれいな放物線を描いて、リングに掠りもせずにネットを巻き込みながら落ちて行った。 よし、と心のなかでガッツポーズをして、ゴール横に置かれているボールカゴに向かう。 「ハル先輩、今日も絶好調っすね!」 いつの間にか隣に来ていた後輩の青木紫音(しおん)が、誂うように肘で肩をつつく。 「そう言うお前だって。さっきのダンク見たぞ」 紫音に合わせてニヤリと笑うと、今日の試合、貰いましたねとイタズラっぽい笑みを向けられる。 春はがんばろーなとそれに答え、紫音の肩を握りこぶしで軽く叩いてボールを掴むと、再び3ポイントラインからのシュート練を再開する。 集中すると、周りの煩わしいまでの歓声も聞こえなくなる。 春はバスケが好きだ。 人の声、視線、感情を感じず、無心になれるから。 日常のあらゆる悩みや、煩悩なんかもきれいに忘れられるから、不思議だ。 何本かシュートを打ったところで、監督から集合がかかる。 春が放ったシュートは、全て綺麗にリングに吸い込まれて行った。 今日は本当に調子がいいのかも。 今日の試合に勝てれば、中体連東京都内での優勝校となり、全国に行ける。 監督も今日は気合が違う。普段から熱いのに、いつも以上に熱い叱咤が飛び、部員全員気合いを入れ直して大きく返事を返す。 試合開始まであと僅か。 キャプテンを中心として恒例のエンジンを組む。隣をチラリと確認すると、右隣にはいつもの様に紫音がいて、目が合うと、負けねーです、と笑みを浮かべる。その笑みは少しぎこちなく、柄になく少し緊張している様だった。 二人は、同じチームにいながらもライバル同士だ。いがみ合い足を引っ張り合うそれではなく、お互いがそれぞれにとっていい刺激となり、切磋琢磨し高め合える、そんな関係だった。 春は2年、紫音に至ってはこの春入部したての1年だが、二人とも今日の大事な試合のスタメンである。 二人のテクニックとバスケセンスは部員のなかでも群を抜いており、単純に技術だけであれば、3年のキャプテンをも凌駕していた。 春は、入部してすぐに監督に見出だされて今の紫音同様1年時からスタメンとして試合に出場していた。 スポーツマンとは言え人間なので、春の入部によりスタメン落ちしてしまった先輩やその取り巻きには少しばかり嫌がらせを受けた。 が、春にも、理解できない気持ちではなかった為、その些細な嫌がらせには黙って耐えた。 「女みたいな顔して」や、「監督に身体で取り入ったんだろう」という事を春が一人でいる時を見計らって聞こえよがしに言われた。その手の暴言には慣れていたとは言え、後者にはさすがに腹が立った。が、無視が一番と自分に言い聞かせて、懸命に怒りを鎮めた。 数ヶ月間、暴言に黙って耐えていると、相手も春の実力を目の当たりにして諦めがついたのか、理解してくれるようになり、彼が卒業を迎える頃には、軽口を叩けるまでに打ち解けることができたのだ。 紫音が自分と同じ目に合っていないか、春は目を光らせるようにしている。 現在のバスケ部員は皆気持ちのいい性格の者ばかりだったが、春に嫌がらせをしてきた彼だって、打ち解けたあとは面倒見のいい、後輩思いのいい先輩だったのだ。 だからこそ、しっかり見ておかなければと思う。 紫音は入部してすぐになぜか春に異常に懐き、何かと話しかけてきた。 部活の時間は1年生部員といるよりも春といる時間の方が長い程に。 初めは紫音の勢いに戸惑っていた春だったが、今ではその実力も性格も認め、仲良くしている。 紫音は、基本的に素直で裏表のない性格で、人付き合いに、あるトラウマを持つ春にとっても、付き合い易い相手だったのだ。 何度シュンだと訂正してもハル先輩と呼んでくるのには少し辟易したが、それも今ではもうすっかり慣れてしまった。 かわいい後輩であり、よきライバルでもある紫音には、周りに煩わされることなく、伸び伸びとプレイして欲しい。 春はいつもそう思っていた。 キャプテンからの気合いの一言が終わったあとは、これもまた恒例でベタだが、皆で手を重ね合わせて気合を入れる。 「勝つぞ!おー!!」 タイミングよく笛がなり、春、紫音を含むスタメンはコートの真ん中に整列する。 ホイッスルの音で、ジャンプボールから試合が始まった。 * 向田は、コートを自由に走り回る春を見つめていた。 バスケットボールには詳しくはないが、春がかなりの実力者であることは一目でわかった。 素早い動きで相手のディフェンスを掻い潜り、3ポイントラインでパスを貰うと、素早くシュートを放つ。 春の放つボールは面白いくらいの精度でリングをくぐり抜け、その度に観客席からは大歓声が起こる。 春のアウトサイドからの攻撃を警戒した相手チームのディフェンスが2枚春に張り付くと、今度はシュートを放つと見せかけてインサイドへとパスを回し、味方が中から得点を重ねる。 時には春自身ドライブインしてリングに向かうこともある。 青チーム――緑葉中の攻撃の始点が春にあることは明らかだった。 華奢な身体で、まるで踊る様にコートを縦横無尽に走り回り、ゲームを支配していた。 身体能力の高さはもちろんだが、パス回しや、ディフェンスの動きを読んだポジショニング取り等からゲームメイクのセンスも感じられ、頭の回転も早いのだろうと思わせた。 声援を受けて戸惑っていた時の女の子の様な柔らかい印象は、いい意味で裏切られた。 キリッと引き締まった表情は、人形のような冷たい美貌を引き立たせ、聡明で大人っぽい印象を与える。 かと思えば、くしゃりと子供らしい表情で笑い、得点やファインプレーを仲間と喜び合う。何の陰りもない、無邪気な笑顔だ。 あれは、純粋で、清廉な存在だ。気高く、穢れを知らない、美しい少年。 賢く、運動も出来て、造形も申し分ない。 その可能性に満ちた少年の翼を手折り、自由を奪いたい。 あの存在を、男の欲望で汚したとき、あれはどんな表情を見せるのだろうか。 あの、しなやかなバネのような瑞々しい身体はどんな味がするのだろうか。 向田は、ジーパンを押し上げる己の存在に気づいた。 興奮している。 今までにないくらいに。 嗜虐心と征服欲が、むくむくと頭をもたげる。 あの少年を手にいれよう。 どんなに時間がかかっても、完璧に追い込み、身も心も屈服させるのだ。 大切なものを全て奪い、絶望の縁に立たせてやろうか。 そして、そんな彼に手を差しのべ、俺だけしか見えないようにする。 がんじがらめにして、淫猥な鳥籠の中に閉じ込めてしまおう。 やっと、生涯の伴侶が見つかった。

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