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獲物 4
暫くすると、体育館の方から歓声…というよりも悲鳴が聞こえてきて、目的の人物が姿を表したのだとわかる。
こっちにこい、こっちにこいと祈っていると、制服を着た男子の一団がこちらに向かってくるのが見えた。
何気ない風を装いながら、そちらに目を向けると、集団の後方に2人、やたら荷物の多い者がいる。
それが春と紫音だった。
おそらく女子からのプレゼント攻撃を受けたのであろう。スポーツバッグの他に男が持つには似つかわしくないファンシーな紙袋をいくつか持っている。
向田は春の制服姿を舐め回すように見た。
紺色のズボンに、開襟シャツとネクタイ。シャツの裾は先の方だけズボンに仕舞われ、少し弛ませてあるが、足の長さはよくわかる。首もとのボタンは2つ開けられ、艶かしい鎖骨が覗いている。エンジ色のネクタイをシャツに合わせて軽く緩めて巻いている。派手なわけでもなく、かといって真面目すぎる雰囲気でもない、今時の男の子といった感じだ。
露出の多い先程のユニフォーム姿もそそられたが、制服姿は尚いい。ユニフォームの様にだぼっとしていないため、スタイルの良さが強調されている。
すらりと背が高めなのも、悪くないなと思った。
じっくりと舐めるように春を目で追っていると、春の隣を歩いていた紫音にに視界を遮られた。
紫音は立ち止まり、こちらに体を向けて、睨み付けていた。
向田は黙ってその視線を受けた。
「紫音?どうした?」
突然立ち止まり、傍らの男を睨み付ける紫音を不審に思った春が声をかける。
紫音は声を掛けられてからも3秒程念押しの様に向田を睨むと、何でもないと春に向き直った。
春が向田に目を向ける。
視線が、交わる。
それはほんの一瞬。
春は軽く会釈をすると、紫音と並んで駅の方角へと歩いていった。
向田は、その後ろ姿が見えなくなるまでじっと春を見つめていた。
*
*
*
向田が春と出会ってから2週間。
待ちに待った坂田からの調査完了の連絡が入った。
相変わらず探偵としては有能だ。
急ぎの仕事もなかったため、午後一で事務所に行くと伝えた。
あの日、本当はあのまま自宅まで春を尾行するつもりだったが、紫音にあれだけ警戒されていては、同じ電車に乗ることは不可能で、仕方なく引き下がった。
まだ、春に顔を覚えられる訳にはいかなかったからだ。
青木紫音…。生意気なガキめ。
一丁前に春のナイト気取りか?
あの時の事を思い出すと、苛立ちを覚える。
が、同時に思い出すのは、あの時初めて間近に聞くことができた春の声。
高すぎず低すぎず、張りのある澄んだ声。
あの声を啼かせれば、さぞ耳に心地いいだろう。
落ち着いていて、透明な、春にぴったりなあの声。
ああ、春に会いたい。
あの時、春と視線を交わらすこともできた。
ほんの一瞬だったが、確かに二人は見詰め合ったのだ。
あの目に映るものを、自分だけにしたい。
向田の春に対する執着心は、日を追うごとに増幅していた。
今すぐにでも会いに行って、力ずくであの身体を蹂躙したいという思いも日に日に増していたが、向田の中の冷静で残酷な部分がその思いにブレーキをかける。
あの存在を、心も身体も全て籠絡しなければ意味がない。
その為には綿密な準備と、緻密な計算が必要なのだ。
その入り口となるのが、坂田が手にいれた情報だ。
春、待っていろよ…。
「副社長、最近ご機嫌ですね」
春に思いを馳せていた向田だったが、すぐに頭を切り替え、声の方に柔和な表情を向けた。
声をかけてきたのは、秘書の本郷茜(あかね)だ。
「そうかな?」
「そうですよー。ここ何ヵ月か休みの日はお忙しいみたいだし、最近ではちょっと心ここにあらず?みたいな時もあるしー。…もしかして、彼女でもできました?」
茜は、秘書らしく清潔感のあるさっぱりとした身だしなみをしているが、嫌味にならない程度に開けられた胸元や、細身のスカートから覗く細い脚が艶かしい、社内でも1、2を争う人気の美人だ。
そして、向田のセックスフレンドの一人でもある。
「いないよ、彼女なんて。社長になるには、色々勉強が必要でね、ちょっと忙しかったんだ」
向田は嘯いて立ち上がり、茜の腰を抱く。
「今夜は空いてるんだけど…」
耳許で囁くと、茜の頬がパッと赤らむ。
それを肯定ととった向田は、いつものホテルで…と更に囁く。
日に日に高まる春への欲望を本人にぶつけられない分、性的欲求が高まっていたのだ。
吐き出したい。ただそれだけ。
*
坂田の事務所に着いたのは、13時を少し過ぎた頃。
地味な事務員に応接室に通され、安っぽいカップに注がれたコーヒーを前に坂田を待つ。
坂田は仕事の電話が長引いているようで、目線だけでこちらを確認すると、ヘコヘコと頭を下げた。
コーヒーが温くなる程度は待たされ、いくつかの資料を持って、ようやく坂田が現れた。
遅れた事を詫びながら対面の席につく。
慇懃に何度も謝罪を重ねる坂田に、早く調査結果を話すよう促すと、手早く机に資料を並べ始める。
「えらい別嬪な男子中学生ですねぇ」
坂田の並べた資料の中の春の写真に目を奪われていると、それに気づいた坂田が言う。
「あぁ、そうだな。…言っておくが、余計な詮索はするなよ」
「わかってますよ」
そうは言っているが、顔がニヤケている。
坂田が何も説明しないので、勝手に資料に目を通すことにした。
住所は成城か。緑葉中の所在地を調べ、これについてはある程度予想はついていた。
父親の名前は椎名拓弥。
仕事は…椎名薬品工業株式会社 代表取締役社長。
なんと同業者とは。その上、社長…。
確かこの会社は、特に乳ガンに効果的な新世代の抗がん剤を最近発売し、かなりの利益を得て、上場したばかりだったはず。これはもっと詳しく調べなければなるまい。
資料には、父親の写真も添付されていた。かなり若い。目元が春に似ているか。春に比べると全体的にシャープな印象で、精悍だ。何にせよ、美男子であることに間違いない。年齢を確認すると、31才とある。
「おい、この椎名拓弥の年齢、間違っているんじゃないか?」
思わず坂田に尋ねる。
坂田が資料を覗き込み、あぁ、と頷いた。
「いやいや、私も驚いて何度も調べたので、間違いないですよ。椎名拓弥が17の時に息子の春が生まれてるんです」
「17って。だが、製薬会社の社長だ。大学くらいは出ているはずだろう?」
「それについては、こちらの資料が分かりやすいと思います」
坂田が示した資料を手にすると、早速読み込む。
「ここまで調べるつもりはなかったんですけどね。椎名拓弥の年齢見て驚いちゃって、ちょっと探偵の血がさわいじゃいまして…」
「いや、助かる」
向田は坂田のこういう所が気に入っている。いつもこちらが求めていた以上のものを調べあげてくれる。
資料によると、椎名拓弥とその妻の桜は共に施設で育っている。
二人とも嬰児の内にいわゆる「おきざり」にされた子供で、椎名という名字も、育った施設の施設長からもらった名字らしい。
何の因果か「おきざり」が1年に2回発生したらしく二人は同い年であった。
二人とも神奈川県で有数の進学校に入学したが、桜が15才――高校に入ったばかりで春を身籠り、その秋彼女は高校を中退。
一方の拓弥は首席で高校を卒業し、特待生として授業料の免除を受け神奈川の名門大学の薬学科に進学。
経営学を独自に学び、大学在学中より、同級生とともに薬品研究所――今の椎名薬品工業株式会社を興した。
会社設立の資金や研究費は、株のFXで調達していた様だ。
そして3年前に抗がん剤ファミシルを発売し、治験でこれまでに無い薬効を示していたことから、現存の治療方法に窮していた医者達がこぞって処方し、莫大な利益を得た。
2年前に本社を東京に移し、今では社員1500人を抱えている。
相当な秀才でビジネスの才もある様だ。
これは面白い。
次のページを捲ると、女性の写真が添付されていた。拓弥の妻の桜であろう。
しかし、これは…。
「桜は白人なのか?」
思わず口走っていた。
美しい女性だ。
特に目を惹かれたのは、透けるようなプラチナの髪と、宝石を嵌め込んだ様な碧色の瞳だ。
日本人好みの堀の深すぎない小造な貌に、華奢な身体。
春に、よく似ている。
だが、春の髪と、目の色は父親譲りなのか…。
黒髪黒目でも充分美しいが、この鮮やかな色彩の美しさを知った今は、少し残念だと思ってしまう。
人間というのは、どこまでも欲張りだ。
「何せ捨て子ですからね。元の戸籍もなにもあったもんじゃないから、純粋な白人なのか、ハーフなのかはわかりませんが、顔立ちなんかからはハーフかなと思ったんですがね。いや、なにせキレイで…。私、これまで生きてきて、こんなキレイな人、見たことなかったですよ」
坂田は少し興奮気味だ。
「あぁ。春に似ている」
「そうだ!その春くん!実は春くんの見た目にも秘密があったんですよ!」
「秘密?」
春の話題になったことで、自然身体が前に出た。
「そうなんです。まぁ、まずは素行から…」
お楽しみは最後ですよと言わんばかりに楽しそうに坂田が語り出す。
「素行は全く問題ないですね。欠席も殆ど無いし、受講態度も良好。付き合う友人もまとも。不純異性交遊もなし。成績優秀で学年で1番を取ることもしばしば。バスケ部に所属していて、これまた優秀。先日の中体連では都のMVPに輝いた。まるで非の打ち所のない子ですね」
思っていた通りだ。穢れを知らない純粋で清廉な存在。
自分の目利きが正しかったことに内心ほっとしながらも、今それよりも気になることは…。
「それで、見た目の秘密って何なんだ?早く教えてくれ」
早口で捲し立てると、坂田はまあまあと諌めながら、春の写真を桜の写真の横に並べる。
「これを見てください。二人はこんなにソックリなのに、髪の色と目の色が全く違う」
「父親に似たんじゃないか?」
「いや、最初は私もそうだろうと思ったんですが、ね。私の勘がね、違うって言うもんだから、椎名親子が以前住んでた横浜まで行ってきたんですよ」
坂田は春の写真を顔の横にまで掲げた。
「これ持って、近所で聞き込みしたら、非常に興味深い話が聞けました。これを見せると、皆一様にこう言うんです。『春くん髪の毛と目の色どうしたの?』」
坂田には、ストーリーテラーの才能があるのかもしれない。そんなどうでもいい事を頭の片隅で考えながら、坂田の次の言葉に期待する。一字一句聞き逃さんと、更に前に身を乗り出した。
「『お母さんと同じ綺麗な銀髪と碧色の眼だったのに、隠しちゃうのはもったいない』ってね」
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