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休息 4
紫音のクラスの縁日は、参加型であることもあり、開始早々は非常に混雑したが、徐々に人が捌けていき、午後は閑散とした雰囲気になっていた。
午前中は、休憩もとれない程だったが、今は何人か留守番を置けばいいような状態にまでなっていたので、皆早々に他のクラスへと遊びに出掛けていった。
紫音もその内の一人で、向かう先は2年の教室。春のクラスだ。
一人で行こうとしていた紫音だったが、建志が無理矢理ついてきた。
へー、2年かぁ。なんて、訳知り顔で言っている。
春のクラス2‐Aの教室の前は、もう午後であるのに人だかりができていて、かなり混んでいる様だった。
中に入るために並んで、50円のコーヒーセットの食券を入り口で購入する。
建志はしきりとA組にいるんだーと頷いていたが、ムカつくので無視してやる。
ついでに、青木くんだ、かっこいい等と囁かれる声も、完全に無視する。
廊下の人だかりは女子が多く、興奮した様子でしきりにかわいかったと連呼している。
入り口から出てきた2人組の男子生徒が、やばい俺目覚めそう と言っているのを横目で聞いて中に入った。
女装喫茶と聞いていたが、女装男装喫茶になった様で、男子が女子の制服を、女子が男子の制服を着ていた。
衣装代を浮かせる為だろう。
経費の殆ど出ない中学の文化祭でできる仮装は、この程度だ。
男子の女装はやはり不気味で、身体だけは細身の男子ならまだ見れたが、やはり顔つきが男だし、色も黒い。
中には筋肉質で、制服が破れんばかりピチピチになっている者や、もう脛毛がちらほら生えている者もいて、そこまでくればいっそ笑える。気持ち悪くて。
一方女子の男装は可愛らしく、特に、小さめの女子が男子の制服をブカブカに着て、裾や袖を何度も折っている所がいいなと思った。やはり、彼シャツは王道だな、などと考えながら、目当ての人物を探す為辺りを見回した。
コーヒー等を準備する裏方だろう、カーテンで仕切られた奥から、普通の制服を普通に着た女子が、トレイを手に現れた。
いや、違う誤りだ。女子だと思ったその人は、女子ではない。女子の制服をなんの違和感もなく着こなしているハル先輩だった。
化粧はしていないが、前髪だけ斜めに分けられてアメピンで止めてある。
形のいいおでこがいつもより露出していて、ドキドキしてしまう。
目の覚めるような美少女だ。
短めのスカートから伸びる細くて長い足が眩しい。
肌もスベスベだ。
背が高いのでスタイルがよく、モデルの様だ。
ぼおっと見惚れていると、ハル先輩がこちらに気づいた様で、華やかな笑顔を見せる。
そんな顔しないでくれ。
心なしか、なんて曖昧な表現ではなく確実に教室中の視線がハル先輩に釘付けになっている。
こちらに近づいてくるハル先輩を見て、心臓がけたたましく暴れて出した。
「紫音、来てくれたんだ」
ハル先輩が、俺たちの座る席まで来て、笑顔を振り撒いている。
俺、今絶対に顔が赤い。見られたくなくて俯いた。
「紫音の部活の先輩だー。あ、俺は紫音の友達の波多野っていいます」
何も答えない紫音の代わりに建志が春に話しかけた。
建志、まさか気を利かせたのか?
二人が話してる間にこの顔をどうにかしなくては。
「ああ、よろしく。俺は椎名」
「それにしても椎名先輩、似合いますね!」
「全然嬉しくないんだけど」
「こいつなんて、先輩見て照れちゃってますよ?」
建志が紫音の俯いた頭に手を乗せてポンポンと叩く。
「うるせぇーよ!」
紫音は頭をガバッと上げて建志の手を振りほどいてギッと睨む。
誤魔化そうとしてんのに余計なことを…。こいつに期待した俺がバカだった。
「紫音、大丈夫か?」
春が心配そうに紫音の顔を覗きこんだ。
「な、何がですか?全然大丈夫っすよ」
紫音は吃りながらもなんとか答えた。
美少女にちょっと首を傾げて顔を覗きこまれる様なものだ。照れない方がおかしい。
「ならいいんだけどさ。あ、注文は?」
春に入り口で買った食券を渡す。
「コーヒーセット二つですね。少々お待ちください」
春はイタズラっぽく笑ってカーテンの奥に消えた。
紫音ははぁーっと大きくため息をついた。
緊張した。かわいいだろうなとは思っていたが、あれ程とは。
「恋ですね?」
突然耳許で囁かれ、驚いて席を立ってしまった。
ガタンっと大きく椅子が音を立てて、今度は紫音が教室中の視線を集めていた。
今日の俺、挙動不審すぎるだろ。
そんな紫音を建志がニヤニヤと笑いながら見上げている。
「何言ってんだ。んな訳ねえだろ」
気を取り直して、何事もなかったかの様に優雅に椅子に腰を下ろしながら鼻で笑って見せる。
散々醜態をさらした後にかっこつけるのもどうかと思ったが、プライドの問題だ。
「ハル先輩大好きーって、顔に書いてあるぜ?」
「は?お前バカじゃねえ?ハル先輩、ああ見えてもちゃんと男だからな。そりゃあ、ハル先輩の事は好きだけど、お前の思ってる好きじゃねえよ」
そうだよ。ハル先輩は、今日は女にしか見えなかったけど、男なんだから。
バカだな俺は。何赤くなって緊張しまくってんだよ。
「ふーん。さっきまで真っ赤っかだったのに?」
「あれは…ハル先輩の見た目があんまり完璧だったから…。お前も思ったろ!?」
「まあね。すごく可愛かった」
淡々と語る建志が憎らしい。
「お前って、何したら動揺する訳?」
「うーん、そうだな。椎名先輩とキスできたら、動揺するかな」
「はあ!?てめ、ふざけんな!そんなことさせねぇよ!」
一瞬でカッとなって怒鳴ったが、建志の相変わらずのニヤニヤ顔を見て、謀られた事に気づく。
「お前、性格悪すぎ」
紫音が再びはぁーっとため息をついた所で、春がトレイにコーヒーやらを乗せて持ってきた。
「お待たせ」
春は、きちんとコースターを敷いて、その上にアイスコーヒーを置いた。付け合わせのクッキーの様なお菓子もその横に並べた。
「ごゆっくり」
「あ、ちょっと待って!」
建志とのやり取りで幾分か気持ちが落ち着いていた紫音が、すぐに仕事に戻ろうとする春を呼び止めた。
「ハル先輩、休憩はいつからですか?一緒に教室回りませんか?」
また建志にからかわれると思ったが、これを言うのが目的で(女装も見たかったけど)来たのだ。言わずに帰るなんてできない。
「この後すぐ…2時からなんだけど、柏木先輩に誘われててさ。3人ででもいいか?」
一瞬、周囲の喧騒も何も聞こえなくなった。
先を越された。
頭が真っ白だ。
「…そうっすか。俺あんまし柏木先輩得意じゃないから…。こいつと回るんで、大丈夫です」
回らない頭でようやく答える。
「せっかく誘ってくれたのに悪いな。お前のクラス、行けたら行くな」
春は申し訳なさそう謝ると、仕事に戻るため席を離れた。
建志が、おーい、だとか大丈夫?だとか言ってきたのに、うるせぇと一言かけて、コーヒーを口に含んだ。
ハル先輩が持ってきてくれたコーヒーは、とても苦かった。
*
紫音は足早に廊下を歩く。
建志が待てよーと後ろから着いて来るのに振り向きもしなかった。
あれから、砂糖を入れても尚苦く感じるコーヒーを飲み干して、クッキーはさすがに食べる気になれず残したが、個包装だったから、使い回せるだろうと思って置いていった。
ハル先輩に帰りますと報告して、教室を後にしようとした時、柏木が現れたのだ。
「春!」
柏木は慣れた様子で春の名前を呼んだ。
1週間前までは椎名と呼んでいたはずなのに…。
「あ、先輩!すいません、今着替えてきます!」
春は慌てて制服を交換していたであろう女子と連れだって奥に姿を消した。
「よう、青木。来てたんだな」
「…どうも」
柏木と話すのは、春のことが好きだから邪魔するなと言われたあの日以来だった。
柏木を前にすると、自然と顔が険しくなってしまう。
「お前に礼を言わないとな」
柏木は、礼を…なんて言っている割にさして感謝している風もなく言った。
「なんのことです?」
「今まで番犬みたいだったお前が、俺の事は認めてくれたんだろ?俺たちのことをさ…」
柏木先輩には「俺たち」を強調して言った。
ふざけるな。認めてなんかない。
今だって、こんなにも胸が張り裂けそうなくらい苦しい。
今すぐにでも、こいつの前からハル先輩を攫いたい。
でも、俺にはそうする理由がないから…。
じゃあこの気持ちは何だ?
理由もなくこんな気持ちになるのか?
怒りやら悔しさやら、色んな感情が綯い交ぜになって、もう訳がわからない。
入り口に立っていた柏木を押し退けて、教室を出て、後はただひたすら早足で歩いた。
「おい、待てったら!」
建志に肩を捕まれてようやく立ち止まる
動くのを止めたら、また色んな感情が沸き上がってくる。
「紫音、お前やっぱり…」
「悪い、ちょっと一人で考えたいから」
建志の言葉を遮るようにそれだけ言い残すと、再び足を動かす。建志が何か言いかけた気配を感じたけど、結局何も言わずに行かせてくれた。
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