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休息 5
そのまま当て所なく歩き、気づいたら屋上に来ていた。
こんな日にわざわざ屋上に来る生徒はいないようで、そこはガランとしていて誰もいなかった。
フェンスに寄り掛かり、空を流れる雲を眺めた。
暫くは何も考えず、無心でいられたが、でもすぐに脳裏を過るのは、やっぱり春のことだった。
何故こんなにも心が乱れる?
自分の中の冷静な部分が、言う。
(答えは出ているじゃないか。認めろよ)
でも、ハル先輩は男だし…。
(そんなの関係ないだろ)
俺にはハルちゃんが…。
(それこそ、関係ない。いつまで引き摺るんだ)
俺はホモじゃないんだ。
(ホモとか、ヘテロとか、そういうことじゃない。俺は、ハル先輩だから…)
そうだ。
俺はハル先輩だから好きになったんだ。男だからとか女だからとか、そういう事を超越して。
あーあ。結局認めちゃってるじゃん。
俺は、ハル先輩が好き。
ハル先輩が、好き。
好きなんだ。
何度か心の中で呟くと、胸の奥底で甘い痺れが生じた。少し胸が痛いけれど、苦しくはない。
これまでの苦しみは一体何だったんだろう。
自分の感情に素直になれば、こんなにも晴れやかだ。
そうと分かれば、行動は簡単だ。ハル先輩を探そう。
俺は、柏木の邪魔をする権利を、理由を得たのだから。
*
春は、カーテンで仕切られた狭い空間で、慣れない女物の服を脱いでいた。
隣合わせになっている簡易女子更衣室のカーテンの中に、腕だけつっこんで、自分の制服を受け取り、 また、自分が着ていた制服を返す。
「椎名くん…この制服もやっぱり…」
隣のカーテンの中から声がする。
「え、ごめん。どっか汚した?」
「違う違う!いい匂いがするって、思っただけ!」
「え?」
「ううん、なんでもないよ。はい、ブレザー」
春は首を傾げたが、自身のブレザーを持った手がカーテンの隙間から伸びてきたので、着替えを再開した。
急いで着替えて裏方から出ると、教室入口の前に柏木を見つけた。
「先輩、お待たせしました」
柏木は春を認めると柔らかい笑みを見せた。
「全然。制服、元に戻しちゃったんだ。もったいない」
「何がもったいないんですか。からかわないでくださいよ」
「いや、本気だよ。すっごく似合ってた」
「女装が似合うなんて言われても、虚しいだけですよ」
「じゃあ、すっごくかわいかった」
「…バカにしてます?」
春はため息をついた。
今日は一日こんな調子で、色んな人から「似合う」だの「かわいい」だの「写真とらせて」だの言われ、いい加減疲れていた。
こんな背の高い男の女装なんて、かわいい訳ないだろ。どいつもこいつも人をバカにして。
柏木はそんな春に気づいたのか、慌てて謝ってきた。
「ごめんごめん!もう言わないから!どこ回りたい?」
一日の鬱憤を柏木先輩にぶつけちゃダメだよな。気を取り直そう。
「先輩の行きたい所でいいですよ。あ、すぐじゃなくてもいいですけど、約束したから、紫音のクラスも行きたいです」
「そっか。1年の教室は遠いから、まずは2年の教室から回ろうか。後で俺のクラスも、行こうな」
「はい」
柏木が、入口に「トリックアート」と書かれている教室を指した。中に入ってみると、教室全体に装飾…というかその名の通りアートが施されていて、市松模様が床や壁全面に描かれている。向こう側に立っている生徒がものすごく、子供みたいに小さく見えて不思議だ。
よく見ると、床に向こう側に傾いた緩やかな傾斜がついていて、目の錯覚を利用しているのが解る。面白いな。
じっと観察していると、柏木が春の手を掴んで教室の奥に引っ張る。そうして、自分はまた手前に戻って、春、ちっちゃい 。と笑っている。
春もそれに倣って笑った。
それから、次々と教室を回って行った。
柏木は終始笑顔で、とても楽しそうにしていた。春も笑顔を返していたし、それなりに楽しんでいたが、ずっと疑問だった。
どうして柏木先輩は、俺を誘ったのだろう。
*
柏木と春とは、もう1年半の付き合いになるが、その付き合いは部内限定のもので、普段から特別仲良くしていた訳ではなかった。ここ最近、春が副キャプテンをやり始めてからは、前副キャプテンである柏木にノウハウを色々教えてもらうことで、急接近した感はあるが、それも部内限定の物と春は思っていた。
それが、1週間前、部活が休みになって以降、柏木が放課後に訪ねてくるようになり、一緒に帰ろうと誘われた。
別に断る理由はなかったので応じて、1週間共に下校した。
柏木はとても優しく、いつも楽しい話題を提供してくれたので、二人の間には笑いが絶えなかった。
小6のあの事件以降、いつもどこかで人との付き合いに一歩引いていた春だったが、優しくて面白い柏木に、気を許してもいいのではないかと思い始めてきていた。
そう思う一方で、もう傷つきたくない慎重な自分が疑問を抱くのだ。
なぜ、柏木先輩は自分に近づいてきたのか。
同級生ならまだわかる。気が合って、意気投合して、仲良くなるのは、普通のことだ。
でも、学生というのは、学年をかなり重視している。
大人になれば1、2才の差をたいして重要視しないのだろうが、学生は違う。
先輩はあくまで先輩で、後輩はあくまで後輩だ。そこには、友情を築くのを阻む大きな壁があるような気がしてならないのだ。
その壁を、成り行きという訳でもなくわざわざ乗り越えてきた柏木に、どうしても疑問を抱いてしまう。
そこではたと思う。
じゃあ、自分にとって紫音はどうだろう?
紫音には、何故か初対面から一方的に懐かれたが、そういう表面的なものよりも、バスケを介して距離が近づいて行った。
試合では、パスを出したい所に紫音は必ずいてくれるし、逆に今欲しいという時には、絶妙なタイミングでパスをくれる。試合中は紫音の動きが、考えていることが解るし、紫音にも読まれていると感じる。試合中に限っては、以心伝心だ。
そんなバスケコミュニケーションを経て、紫音とは仲良くなっていった。後輩とは言え、今では友情を感じているし、後輩としても大事にしたいし支えてやりたいと思っている。友情を築く上での先輩後輩という学年の壁は、自然と乗り越えていた。
そう言えば紫音も一緒に回ろうと誘ってくれたな。
理由はないけれど、紫音になら、いつか心を開けるかもしれないと以前から思っていた。
紫音とだったら、疑問もわだかまりもなく楽しめたんだろうな。
俺が紫音に抱いている思いと、柏木先輩が俺に思っていることが同じなら、一緒に下校するのも、文化祭を楽しむのも、別におかしいことじゃないよな。
自然な始まりではなかったが、きっかけなんて関係ないよな。
先輩とか、後輩とか、変に拘ってる自分の方が、変なのかもしれない。
友達だと思って、いいんだよな?
信用しても、大丈夫だよな?
*
2年の教室を回り終えた春と柏木は、ここから近いからという柏木の提案で、3年の柏木のクラスに来ていた。
柏木のクラスの展示はお化け屋敷だった。
「…俺、入るの止めようかな」
春は顔を引き攣らせた。
「春、こういうの苦手なの?」
柏木は何故かとても楽しそうだ。
「あんまり得意じゃないです」
本当は、あんまりどころじゃなく得意じゃない。苦手だ。めちゃくちゃ苦手だ。
自分が脅かす側ならまだしも、脅かされるのはお断りだ。
「大丈夫だって。たいした事ないから」
柏木に手を引かれて、本気で抵抗する訳にも行かず、しぶしぶ着いていく。
「おっ、柏木じゃーん!あれ?見ない顔だね」
入り口で券を売っていた派手目の柏木のクラスメイトが話しかける。
「バスケ部の後輩」
「あ、もしかしてあの椎名くん?」
「そ」
「さすがかわいいわ。んじゃあ、今回サービス!」
男はそう言うと、教室に顔を突っ込んで、次、スペシャルでー!と叫んでいる。
スペシャルって何だろう…。あんまり気合いを入れないで欲しい。
春は入場料をまけてくれた様子の入り口の男に軽く会釈をしながら、柏木に手を引かれて中に入った。
*
中は柏木がたいしたことないと言っていた割に本格的で、真っ黒に塗りつぶされた段ボールやごみ袋で迷路のような作りになっていた。
柏木が中に入っても尚手を引いていたが、真っ暗な中で人肌が感じられるのに安心できたので、されるがままにしておいた。
「う、わっ!」
突然、天井から何かが降ってきて、春の頬に当たる。
あー、びっくりした。
ヌメヌメした弾力のある感触。これは、こんにゃくか?
「春、大丈夫?」
柏木が春に近づき、囁く。
さっきまで手首を掴まれていた筈が、いつの間にか手を握られている。
もしかして、柏木先輩も怖いのか?
「びっくりしましたけど、大丈夫です。早く、行きましょう」
暗くて狭くて不気味なこの空間から早く抜け出したくて、柏木を急かす。
二人は再び歩き出した。
その後も、どこから調達したのか、血みどろなマネキンの生首や、突然響く女の叫び声等に散々びびらされながら、出口に一歩一歩近づく。
ふと気づくと、握られていた筈の手は、指の一本一本まで組まれていて、まるで恋人がやる繋ぎ方みたいになっていた。また、身体もぴったりと寄せられ、肩と肩がひっいている。
やっぱり柏木先輩も怖いんだ。後輩の俺に指摘されるのは嫌だろうから、気づかないフリをしてやろう。
そんな事を思っていると、前方の道に白い物体が見えた。今度は何の仕掛けだと身構えながら近づいて行くと、その物体が突然蠢いた。それは、長い黒髪を垂らして白い着物を着た人間だった。
それは、這いつくばったままズリ…ズリとこちらに近づいてくる。
「ひっ…!」
その関節が外れたような不気味な動きに思わず息を飲んだ。
徐々に上体を起こしながら、ゆらり、ゆらりと春達の方に近づいてくる。
春は無意識に組まれた柏木の手をぎゅっと握り、じりじりと後退した。
そのまま引き返して入口から出ようと思ったとき、背中に柔らかい物が触れた。
びっくりして振り返ると、そこには、前方にいた不気味な人間と同じ姿形の人間がいた。
真っ黒い髪の隙間から濁った目がこちらを見下ろしている。
「ぎゃーー!!!!」
形振り構わずに叫び、反対方向に逃げようと振り返ると、そちらにも同じものがいて、先程と同じ不気味な動きで更にこっちに迫ってくる。
余りの恐怖に声が出ない。隣の柏木がしきりに何か言っていたが、春の耳には届かなかった。
前方から迫るものが、ついに立ち上がり、急に素早く動いたかと思うと春の肩をガッと掴んだ。
ふと意識が遠退いた。
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