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暗雲 7
「春くん、これ使って?」
アトラクションを降りたあと、ちょっと待ってて、とどこかに消えた向田が、タオルを持ってやって来た。ワンダーランドのキャラクターがプリントされているので、売店で買ってきたのだろう。
「向田さん、先にどうぞ」
向田も、春と同じくらいびしょ濡れだ。
「いやいや。春くんに風邪を引かせる訳にはいかないから」
「すみません」
このまま譲り合っていても仕方ないので、お言葉に甘えて、髪の毛と服の水気をとる。ウィッグがずれない様に、軽くしか拭けないのがもどかしい。
一通り拭いて、向田にタオルを返す。
くしゅん!
お礼を言おうと思った所で、くしゃみが出た。
もう暦は11月も半ば。日も大分傾いた午後5時だ。気温も大分低くなってきた。
「身体が冷えたんだろう。パレードは7時半からだから、先に夕食にしようか。店の中はきっと暖かいよ」
向田の提案に乗って、園内のレストランに入った。
そこはかなり薄暗く、向田といつも行く店よりも尚暗い。
提灯風のライトが高い天井からぶら下げられ、まるで光が浮いている様で、室内にいるのに外にいるかのような不思議な雰囲気だった。
店内からアトラクションの一部が見える作りになっていて、向田はそれが正面で見える席に春を座らせた。
夢の国では、レストランまで夢の様だなぁと感動している内に、向田が注文したコース料理が運ばれてきて、食事を始めた。
*
「とっても美味しかったですね」
食後のデザートまで平らげる頃には、すっかり髪も服も乾いていた。
向田はコーヒーを啜りながら、にっこりと笑った。
「春くんが今日一日とても楽しそうで、俺も嬉しいよ」
「はい。とっても楽しいです。なんか、夢の中みたいで、時間があっという間でした」
「まだパレードも残ってるし、明日もあるから、ゆっくり楽しもう」
そうだ。今日もまだ終わっていないし、明日も遊べるんだ。
泊まりがけに抵抗はあったが、今となってはこの非日常的な気分のまま一日を終えられることが嬉しかった。
レストランを出ると、辺りはもうすっかり暗くなり、ランド内の雰囲気もガラリと変わっていた。
各建物が綺麗にライトアップされ、おとぎの国の様だった昼の印象に、大人っぽいムーディーな雰囲気が加わっている。
パレードが横断するルートの周囲には、既に多くの入園者が集まり、場所取りをしていた。
春はルートを地図で確認しながらすごいなぁとその様子にしきりに感心していたが、先を歩く向田がルートを外れた道に行こうとしたため首をひねった。
「少し遠くなるけど、こっちに穴場があるんだ」
向田に付いていった先は高台の様になっており、そこからランド全体が見渡せる。さながら夜景スポットの様で、ライトアップされたランド内の夜景が美しく、それだけでも来る価値はあるなと思わされた。
穴場と言っていただけあって、人はあまりいなかったが、それでも春達の他にも10組程度のカップルがいた。
高台の端に設置されたフェンスの前に並んで、パレード開始を待っていると、ワンダーランドに来たことのない春でも知っている有名な曲がかかり、パレードが、始まった。
ピカピカと眩しいくらい色鮮やかに光るフロートの上にそれぞれのキャラクターが乗ってパフォーマンスをするのに、春の目は釘付けになった。
向田はそんな春をじっと見つめていた。
長いパレードが終わり、花火が上がる。
春は花火と言えば夏と思っていたが、冬に見る花火も、夏以上に輝いて見えて、いいなと思った。
冬、と思った途端、寒さを感じ身震いする。長い時間じっとしていた身体は、結構冷えていて、春は両手を擦り合わせた。
すると突然、両手がほわっと暖かくなる。
隣にいた筈の向田が、斜め後ろに移動していて、後ろから春の合わせた両手に自分の両手を重ねていた。まるで、後ろから抱き締められているみたいな格好だ。
びっくりして後方の向田を見上げると、にこっと笑いかけられ、ほら、花火綺麗なのが上がったよ、と前を向くよう促される。
振りほどく訳にもいかず、緊張で身体を固くさせたまま向田から視線を外した。
ぎこちなく花火を見上げると、クライマックスなのか、大きな花火が連発され、空に沢山の光の星粒が舞っていた。
それが徐々に地上に落ちて、消えていく。
その粒の最後のひとつが消えた時、向田が手を離した。
「春くんがすごく寒そうだったから。ごめん、驚かせたかな?」
「少し……びっくりしました」
春は向田の顔が見れなかった。あんなの、まるで恋人同士みたいな…。
「そっか。……さ、もう閉園だ。行こう」
向田は、こちらが驚くほどに平然としていて、自然だった。
まるで、さっきの事は全く何でもなかったみたいに。
そんなに気にする様なことじゃないのか?後ろにいたから、あんな体勢になっただけ?
一緒にいたのがもし父さんでも、俺の手が冷たかったらその手で暖めようとしてくれたかもしれない。
それを、向田さんもしてくれただけだったのかな。
向田の自然さに引きずられ、春もすぐに気持ちが落ち着いてきた。
ランド内をホテルまで歩く間にも、目に映る景色があまりに幻想的で、春の頭もその雰囲気に酔わされていたのかもしれない。
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