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暗雲 8
春と向田の泊まるホテルは、ワンダーランドに直結していたので、部屋に着いたのはまだ21時前だった。
部屋の小さな窓からワンダーランドが見下ろせる事に気づいた春は、窓に張り付いて、その夜景を楽しんだ。
ランドマークである背の高いお城が、ちょうど正面に見える。
「きれい?」
ルームサービスに飲み物を頼んでいた向田が、春の横に並んだ。
小さい窓から夜景を見るためには、かなり密着しなければならなかった。
二人の視線は窓の外に向けられている。
「スイートルームだったら、もっと窓も大きいから、春くんも喜んだだろうな」
「よく来るんですか?」
「あぁ、何回かね」
「茜さんと?」
「茜とは、まだだな」
「向田さん、モテるでしょ?」
春は向田に視線を向けて、クスクス笑った。
向田さんはやっぱりプレイボーイだ。こんなホテルのスイートルームに、友達と泊まる筈ないし。
たから、さっきも俺なんか相手にあんなこと…。
きっと、そういう行動がクセになっちゃってるんだろう。
「そんなことない、春くんこそ、もてるんじゃない?」
「俺は、多分、付き合ったらつまらないって言われるタイプだと思います」
「なんだそれ?」
「だって俺、どういう話をしたら女の子が楽しんでくれるか分からないし、向田さんみたいに上手に会話をリードできないし…」
「そうかな?」
「はい。俺、向田さんみたいなできる男に憧れます」
「俺に?」
向田がおかしそうにクスクス笑うから、春は少し恥ずかしくなって俯いた。
「春くんは、見た目に反して純朴な所がいいんだから、今のままでも充分魅力的だよ」
春は例のごとく頬が熱くなって、顔を上げることができなかった。誉められるのは嬉しいけれど、恥ずかしくて堪らなくなる。
どうしようかと思っていた所で部屋のブザーが鳴った。ルームサービスが届いた様だ。
運ばれてきたのは、ワインのボトルだった。氷水に浸けられている。
「ノンアルコールのスパークリングワイン。一緒に飲もう。でも、その前に春くんはシャワーを浴びておいで?身体冷えてるだろ?」
向田の言う通り春の身体は冷えきっていた。温かいシャワーを浴びれば、さぞ気持ちいいだろう。
「そうします」
春はスポーツバッグを抱えて浴室兼洗面所に向かった。
春がバスルームに消えて、シャワーの音が聞こえてくるのを確認して、向田はポケットの中の薬を2錠取りだし、細かく砕き始めた。
春を落とすことは結局叶わなかった。先程も、雰囲気に呑まれるかと思ったが、身体を固くして俺を拒絶した。
憧れ止まりか……。
憧れは往々にして恋愛感情に発展する物だが、春のそれは、本当に純粋な理想像なのだろう。
多くの者がそうである様に、春にとっても同性は恋愛対象に成り得ないのかもしれない。
やはり、女相手の様に簡単にはいかないか。
錠剤が充分に細かくなった所でグラスの中に入れて、少量スパークリングワインを注いで溶かす様にグラスを揺すった。
自ら落ちてこないのなら、無理矢理堕とすまでだ。
*
20分程でシャワー音が止み、短パンとTシャツを身に纏った春が、ベッドルームに姿を現した。期待はしていなかったが、髪の毛も目も、やはり隠されたままだった。
「寝間着置いてあったろう?着なかったんだ?」
「あれ、なんかスースーしそうで…。練習着の替えがあったから、こっちにしました」
ホテルに置いてあるナイトウェアは、前ボタンの膝下までの長いシャツの様なデザインで、ネグリジェの様でもあるので、着るのに抵抗があったのだろう。
きっと似合っただろうに…。
「Tシャツで寒くない?」
「暖房が効いてるので、大丈夫です」
ゆっくりシャワーを浴びてきた春は、すっかり身体が温まったのか、頬を上気させていて色気がある。
ベッド横の窓側に設置された簡易で安っぽいテーブルとイスのセットの片側に座っていた向田は、春のグラスにワインを注ぐ。グラスの中で泡沫が弾ける涼しげな音がしている。
「喉乾いたろ?どうぞ」
テーブルの向かい側にグラスを置くと、春が正面の椅子に腰を下ろした。
「向田さんは?」
「俺も飲むよ」
自分のグラスにもワインを満たす。注ぎ終わったのを確認した春は、いただきますと言ってグラスに口をつけた。
夕飯以降水分補給をしていなかったので喉が乾いていたのか、春のグラスはあっという間に空になった。
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