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捕縛 1
月日は巡り、春は3年生になっていた。
夏の中体連では全国優勝を飾り、都のMVPに輝いた紫音が新キャプテンとなった。
2学期の始業日である今日は、バスケ部の新体制が始まる日でもあった。
元キャプテン米田の挨拶に続き、副キャプテンだった春からも、チームメイトへの感謝と激励の挨拶がなされ、3年生は引退した。
「ハルせんぱーい。寂しいっす…」
挨拶を終えて他の3年生と共に帰ろうとしている所を紫音に捕まった。
「またちょこちょこ練習にも顔出すよ」
「ハル先輩受験ないんだから、引退しなきゃいいじゃないですかー」
「そういう訳にもいかないだろ。俺、お前らの小舅みたいになりたくないよ」
「そんなこと絶対誰も思いませんよ」
「ほら、キャプテンが戻らないと練習始まらないぞ」
渋々チームメイトの元に戻る紫音を見送り、春も体育館を後にした。
春は、中体連での活躍から全国各地の強豪校からスカウトを受けていて、東京都内の強豪校に推薦入学することをほぼ決めていた。
学力面でも優秀な春は、そちらを買ってくれた有名進学校からもいくつか誘いを受けた。
しかし春には、将来はバスケに携わった仕事がしたいという夢があった為、学力面では春のレベルからすると低いバスケ強豪校を選んだ。
父と母は、初め反対したが、春が将来の夢を話すと納得してくれた。
一人っ子の春は、椎名薬品工業の跡取りでもあったが、その事については、昔から「会社のことは気にせずに春の好きなように生きなさい」と言われていたので、跡を次ぐ気はなかった。
父の部下には優秀な人材が多くいた為、その必要はないと考えていたのだ。
もう半年もすれば高校生か…。
きっと高校のバスケ部の練習は、これまで以上に過酷だろう。強豪校なんだ、当然だ。
このまま帰宅部みたいな生活を続けてたら、すぐに体力も落ちてしまう。
邪魔にならない程度に練習に参加させて貰って、後は自分で走り込みとかするかな…。
考え事をしているとあっという間に自宅マンションに帰り付いた。
こんなに早い時間に家に帰ったことってあったっけ?
家にいても何もすることはないし、着替えてバスケットリングのある公園にでも行こうかな。
そんなことを思いながら玄関に入ると、見慣れた父の革靴と、見慣れない革靴が並んでいて、既視感に襲われる。
春の父は最近殊更忙しい様で、深夜に帰宅するのは当たり前で、会社に何泊も泊まりがけで仕事していることもあった。
母もどこか憔悴していて、病状が悪化したのではないかと春は心配したが、母は、体調が悪い訳ではなくて、少し心配事があるの、と言った。
母の病気は――5年前に手術した乳ガンが今年に入ってすぐに再発したのだが、父の会社が開発した薬がかなり効いていて、このまま内服を続ければ寛解まで、持っていけると言われている。
「ただいまー。父さん、帰ってるの?あと、お客さん?」
リビングに入り、ダイニングに座っていた母の後ろ姿に声をかけた。
振り返った母は真っ青な顔をしていて、驚いた春は慌てて駆け寄った。
「母さんどうしたの?!大丈夫?!」
「春…。大丈夫よ。…お父さんは書斎よ。向田さんがいらしてるんだけど、いま、お父さんと大事な話をしているわ…」
「向田さんと…?」
向田は、あれから何回か家に呼ばれて、夕飯を共にしたが、最近ではめっきり姿を見ていなかった。
尚も顔色の悪い母に、ミネラルウォーターをついで渡し、やっぱり体調が…と聞いてみたが、いつも同様否定された。
公園にでも…と考えていた春だったが、そんな気にもなれず、着替えだけ済ませると何をするでもなくベッドに寝そべって真っ白な天井を見つめた。
父さんが平日にこんなに早く帰ってきたことなんか一度もないし、母さんのあの顔色…。なんか、嫌な予感がする。
1時間ほど部屋でそうしていただろうか。母の様子も気になったので、再びリビングに顔を出した所で、書斎から父と向田が出てきた。
向田は春を認めるとにっこり笑ったが、父は顔が強張っていた。
「春くん、久しぶり。少し背が伸びた様だね」
「お久しぶりです」
向田がいつもの調子で話しかけるのに適当に返事をして、すぐに父を見た。一体どうしたのだろうか……。
*
春は、いつかの様に向田と焼き肉店に来ていた。
あれから、父にそれとなくどうしたのか聞いたが、顔を強張らせたまま、母さんと話すから、部屋に行っていなさいと言われた。
その場にいた向田が、夕飯の支度も大変でしょうから…と春を食事に連れ出す提案をして、父がそれにお願いしますと返事を返して、何がなんだか分からない内に、春は向田の車に乗っていた。
大好きな焼き肉なのに、心が晴れない。箸が進まない。
「父さん、どうしたんだろう…」
「春くん…。心配だよね。でも、きっと何とかなるから」
「やっぱり、何か知ってるんですね」
「うん、ごめん。俺からは何も教えてあげられないけど…。でも、俺も精一杯椎名さんの助けになれるよう協力するよ」
「…ありがとうございます」
向田の言葉は有り難かったが、事情がわからないので、どれくらいの感謝を言葉に示せばいいのかわからなかった。
両親が心配でずっと上の空だった春は、向田がずっと自分に舐めるようないやらしい視線を向けていたことには、全く気づかなかった。
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