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捕縛 3

新聞を賑わせたあの事件から1ヶ月。 春も両親も、ようやく気持ちの整理がつき、日常を取り戻しつつあった頃。 悪魔のような男が、その本性を現した。 その日は、春にとって中学最後の文化祭の日だった。 春の父の会社は新聞に載ったが、春が椎名薬品工業の社長の息子ということは誰も知らなかったし、春自身誰にも話していなかったので、学校で騒がれたりすることはなかった。 春の学校では、2年から3年に上がるときはクラス替えはない。受験に集中させるためだ。 春のクラスのA組は、進学中学である緑葉中の中でも成績優秀者が選ばれている進学クラスで、 毎年3年A組の展示が適当であるのはもはや恒例だった。 皆、受験勉強に必死で、展示物製作をする暇などないのだ。 春のクラスも例に漏れず、適当にありきたりな内容の壁新聞を展示した。 受験の必要のない春は作成に駆り出されたが、そう時間もかからずに作り終えた。 クラスメイトの中には、文化祭の日は学校を休む者もいて、文化祭本番中の当番の必要のない壁新聞は、「3年A組」に人気の展示物だ。 春は、紫音と各クラスを回っていた。紫音のクラスは今年は迷路で、当番が殆どないため、ほぼ1日中一緒に過ごした。 もう殆んど全てのクラスを回り終えた2人は、疲労を癒そうと、どちらともなく去年も来た中庭のベンチに向かった。 春にとっては少し苦い思い出もあったが、静かで落ち着く場所で、気に入っていたのだ。 「今年はハル先輩と回れてよかった」 「そういえば、部活がなくなってから、お前と過ごす時間も少なくなったな」 「ちょっと前まで毎日のように会えてたのに、学年が違うと、全然会えないですね…」 紫音は頭をガックリ下げてため息をついている。 紫音の大袈裟なジェスチャーに春はクスクス笑いを溢した。 「お前そんなんで、俺が卒業したらどうするの?」 「はぁー。考えないようにしてるんです。俺、大丈夫かな…?」 春は冗談のつもりで問いかけたのだが、紫音は冗談なのか本気なのかわからない。 変な奴だなあと思いながらも、取り敢えず、大丈夫だろと返事をしておいた。 「ハル先輩、星陵学園に行くんですよね?」 「うん、その予定」 「俺も、絶対に来年は星陵に入ります!」 「またお前とプレイできるの、楽しみにしてるよ」 にっと笑うと、紫音も同様に笑った。 秋の爽やかな風が春の頬を撫で、その心地よさにベンチに背中を預けて空を見上げた。 もうすぐ文化祭も終わる。 中学最後の文化祭。 最後に一緒に回れたのが、紫音でよかったな。 何のわだかまりもなく一緒にいられるのは、紫音か恭哉くらいのものだ。 「星陵を選んだってことは、ハル先輩は、将来プロに?」 空を見上げてぼけっとしていた春に、紫音が問い掛ける。 「そうだな。そうなれれば一番いいけど、もしダメでも、コーチとか、トレーナーとか、何でもいいからバスケに関わっていきたいかな」 「ハル先輩なら、プロ絶対大丈夫っすよ!」 「ありがと。紫音は?」 「俺も、プロになって、ハル先輩のチームメイトになります」 「なんだよ、それ」 「ハル先輩と、ずっと一緒にいたいんです」 紫音の真剣な眼差しに、胸が高鳴る。 俺、なんでドキドキしてんだ? でも、なんかよくドラマとかで見るプロポーズみたいじゃないか? こんな事あんな真面目な顔で言うなんて、本当に変な奴。その変な言葉にドキドキしてる俺も、充分変なんだけど…。 暫し変な空気のまま見つめ合っていたが、ふと紫音が視線を下げた。 途端に金縛りにあっていたみたいに固まっていた身体から力が抜ける。 またすぐに顔を上げた紫音の表情は、先程までの真剣な顔じゃなくて、いつも通りだった為、春はほっとした。 またあんな、顔で見つめられたら、顔まで火照ってしまいそうだ。 紫音は春同様ベンチの背もたれにもたれて空を見上げると、あーやっぱり1年耐えられない、と呟いた。 そして、またこちらに視線を向けた。 「ハル先輩、1年離ればなれになりますけど、辛いことがあったら、俺の所に来てくださいね!また抱き締めてあげますから!」 「だから、いらねーって!」 二人で、真っ青な高い高い空を見上げて声をあげて笑った。 こうして、紫音と笑いあって、バスケして、また冗談を言って。そんな毎日を送るのは、悪くない。寧ろ、最高にいい。 ずっと一緒に…か。 俺も、ずっとこいつとバスケしたいな。 * 文化祭終了のアナウンスが響き、紫音と別れる間際、紫音があ、そうだ、と言った。 「ハル先輩、もうあの向田って男には会ってないんでしたよね?」 「え…?うん…」 春は紫音から向田の名前が出たことに一瞬驚き、そして口ごもった。 今はその名前を聞きたくない。あいつは父さんを陥れたんだから。 「俺、あいつの顔、どっかで見たことあるなーと思ってて、この間ようやく思い出したんですけど、去年ハル先輩がMVPとったあの試合。あの試合を終えて帰るとき、あいつがじっとハル先輩を見てたんです」 まさか。去年の夏、まだ俺はあいつと面識はなかった。 「そんな筈ない。人違いだろ?」 「いや、絶対にあの人でした!だから、ハル先輩。あいつには気を付けた方がいい。あの目はやばい」 「うん、わかった」 そう返事をしながらも春は半信半疑だった。紫音が嘘をつく筈もないが、知り合ってもいなかった向田が、自分を見ていたというのもにわかには信じられないから、他人の空似だったのだろうと軽く考えていた。 * * 「春…。本当にすまない。すまない…」 帰宅した春に、父がすがり寄ってきて、何度も何度もすまないと繰り返す。 春は何がなんだか全く分からず、項垂れる父の肩に手を置いて、落ち着いてよ、何があったの?と必死に訴えたが、春にすがり付く父は暫くその調子だった。 母は自室にいるのか、姿が見えなかった。 ようやく少し落ち着いた父をソファに座らせて、春もその隣に座った。 父の顔は、憔悴しきっていて、椎名を手放すと決めたあの日さえ、こんなに悲痛な顔はしていなかった。 父は、今にも倒れてしまいそうな顔色で、とつとつと語り始めた――――。

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