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捕縛 9

次の日、春は再び学校を休んだ あの後向田は、春の携帯を取り上げると、もう必要ないよね?とにっこり笑って何の躊躇もなく床に叩きつけた。 液晶が完全に割れて電源も入らなくなってしまったそれを放置して、新しい携帯を渡された。 俺との専用だよ、と。 そして、ついさっきまでそうしていたと言うのにまだ飽きたらず、春の物を舐めたり扱いたりしてきた。 春は強制的に与えられる快楽に苦悶と恐怖を覚えながら、もう何度目かの絶頂に追いやられた。 そうしてようやく満足したらしい向田は、仕事が残っていると名残惜しそうに帰って行った。 春は身体的精神的に限界だったせいか、向田がいなくなってすぐに意識を失うように深い眠りについた。 翌朝一度目が覚めたが、痛みでベッドから起き上がることができず、そのままいつの間にか再び眠ってしまっていた。 ピンポーン… 春は玄関チャイムの響く音で目を覚ました。 この音はエントランスではなくて部屋の玄関のチャイムだ。 時計は16時を指している。 まさか、向田が来たのか…? 嫌な想像に背筋が凍える様に冷たくなったが、すぐに違うだろうと思った。 あの男なら、チャイムなんて鳴らさないで勝手に入ってくるだろうから。 居留守を…と思っていたとき、もう一度チャイムが響き、身体を起こす。 かなり寝たお陰で少し回復したのか、まだ痛みはあるが、動けない程ではなかった。 そろりとベッドから降りて、玄関に向かった。インターホンのモニターは居間にあったが、そこまで見に行くより、直で玄関に行った方が早い。 鍵を解除して玄関を開けると、そこには友人の恭哉が立っていた。 恭哉は目を大きく見開いて驚いた様な顔をしている。 「…春、か…?」 一瞬何を分かりきった事を言っているのかと思ったが、ふと気がついた。 ウィッグとコンタクトをしていない。 でも、もういいのだ。 こんなに身も心もずたぼろにされた今となっては、何から自分を守ればいいのかわからない。守る価値すら無いような気がした。だから、もう意味がないのだ。 「そうだよ。どうした?」 「どうしたって…。お前、今日学校何で来なかった?昨日は聞いてたけど、今日は担任にも連絡が入ってないって言うし、携帯は繋がらないし、心配したんだぞ!」 「あぁ、ごめん。ちょっと体調が悪くて」 「体調って…そういやお前、すごい顔色悪いぞ!大丈夫か?」 「うん、大丈夫。わざわざ来てもらって悪いな。明日は…たぶん行くよ」 「いや…無理すんなよ?」 「うん。じゃあ…」 ドアを閉めようとする春を、恭哉がちょっと待って!と慌てて止めた。 「春、その髪と目…」 「あぁ。こっちが本当。驚かせてごめん」 「明日は?」 「え?」 「明日はこれまでの姿で来る?」 正直春にはもうどうでもよかったので、変装の必要はないと思ったが…。 「どっちがいいと思う?」 「そりゃ、いいか悪いかで言ったら断然今の方がいいけど。お前のためには、これまでの姿のがいいと思う」 「そう。恭哉がそう言うなら、そうするよ。それじゃあ、明日」 春は今度こそドアを閉めた。 恭哉は、春の態度に鮒に落ちない物を感じたが、体調が悪いせいかと割り切り、帰って行った。 その日の夜、毎日来ると宣言していた向田から、仕事で今晩は行けないと電話が入った。 春は心底安堵した。 昨日の昼から何も食べていなかったお腹が急にすいた様な気がして、母が買っておいてくれた食パンをかじった。 少しほっとしたら身体の緊張も解れたのか、堰を切ったように涙が溢れ出してきた。 結局食パンは2口しか食べられず、テーブルに突っ伏して声を殺して泣いた。 あいつが怖い。 俺を見るあの目が怖い。 俺に触れる手が、舌が怖い。 俺を壊そうとするあの凶器が怖い。 自分の身体が自分の物じゃないみたいに跳ねるのが恐ろしい。 あいつに与えられる抉られる様な痛みが恐ろしい。 そして、同じくらい…あいつが憎い。 憎い相手に、為す術も無く好き勝手されるのが悔しい。 全てを捨てて、逃げ出せたらどんなにいいだろう。 でも逃げられない。 全部俺が目をつけられたせいだったのに、俺が逃げ出していい筈がない。 父さん。母さん。 俺のせいで、本当にごめんなさい。 * * 次の日、春は恭哉との約束通り変装して登校した。 痛め付けられた穴はまだ痛んだが、我慢すれば普通に歩くことはできた。 学校では、恭哉や高階、その他のクラスメイト何人かにも、顔色が悪い、元気がないと指摘されたが、押並べて何でもないよと答えた。 指摘された中で一番動揺したのは、クラスメイトから言われた「首の所どうしたの?」という言葉だった。 ろくに鏡を見ていなかった春には、その時には何のことか分からなかった。 が、自宅に戻り鏡に写った自分の姿を見て戦慄した。 1㎝くらいの赤い痣が、首筋や首回りに無数に点在していたのだ。 これはあの時向田につけられた痕だ。 ベッドの上で痛いくらいに吸い付かれたが、それがこんな風になっていたなんて。 そう言えば、痕がどうのこうのとあいつは愉しそうに言っていたじゃないか。 こんな気持ちの悪い姿を、恭哉達の前に晒していたなんて……。 春は痕を消したくて、首筋を何度も指先で擦った。少し爪を立てると、春の柔らかく繊細な肌はすぐに蚯蚓腫れを起こし、向田につけられた痕が目立たなくなった。 だが、ほっとしたのも束の間、蚯蚓腫れが引いてくると、また気持ち悪い痕が浮き出てきてしまった。 内出血をおこし、痣になってしまっているそれは、掻きむしって誤魔化せる類いの物ではなかったのだ。 これ以上やっても、引っ掻き傷が増えるだけだ…。 春はため息をついて諦めると、気を紛らわそうと鞄の中を漁った。 春が手にしたのは、高校のパンフレットだ。誰もが聞いたことのある有名進学校のものも混じっている。放課後、担任と進路について話をした時に渡された物だ。 春は、その中でも東京の隣県の資料だけを選別した。 バスケ推薦を断りたい。 そう言うと、担任はものすごく驚いて理由を尋ねてきたが、もうバスケをするつもりがないとしか答え様がなかった。 自分が向田に目をつけられる切っ掛けになってしまったバスケを、続ける気にはどうしてもなれなかったのだ。 優秀な春には、スポーツだけでなく、学力推薦の話もいくつか来ていて、今春が眺めているのはその資料だ。 春は、都内の高校に行くつもりはなかった。 向田から離れたかったのだ。 でも、あまり遠い高校に入れば、逃げたと言われ、父さんの守りたかったものを壊しかねない。 だから、東京から近からず遠からずの高校を探していたのだ。 春の視線がひとつのパンフレットの上で止まった。 千葉県か…。 千葉くらいなら、言い訳ができる。 あいつだって離れればさすがに頻繁には通って来ないだろうし、もしかしたら面倒臭くなって俺で遊ぶのをやめるかもしれない。 でも、あいつは明らかに普通じゃなさそうだったから……。 少しくらい離れたって、完全に逃げられる訳ではないだろう事は分かっている。 でも、そうだとしても、ほんの少しでも希望や安息が欲しかったのだ。

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