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捕縛 16
学校では、恭哉を初めクラスメイトに毎日心配された。
お前本当どうした?と真剣な顔で恭哉に問い詰められたが、本当の事を言える筈もなく、父母がドイツに転勤になったから寂しいのかも、と答えた。
元気がないことについてはその理由で一応納得してくれたが、身体の不調は言い逃れできる理由が見つからなかった。
だから、今日の様に体育がある日はいつも問い詰められる。
「春、今日も動き悪かった。やっぱどこか悪いんじゃないか?」
授業後に恭哉が心配そうに走り寄ってきた。
今日は試合形式のバレーだった。
元々運動神経のいい春は、最小限の動きで難なく試合をこなしてはいたが、元々の精彩を欠いているのは明らかだった。
「何もないよ」
「いいや。絶対何かある。最近痩せたし、一回病院行った方がいいぞ、まじで」
「そうかな。今度、行ってみる」
「絶対行けよ?」
春は頷いた。本気で心配してくれている恭哉を誤魔化す事しかできないのが申し訳なくて、恭哉の顔をまともに見れなかった。
「ハル先輩!」
その日の放課後。
帰宅しようと生徒玄関を出た所で呼び止められた。春をそう呼ぶのはただ一人。紫音だけだ。
すぐに振り返ると紫音が走り寄ってきた。何故だか少し緊張した様な顔をしている。
紫音に会ったのは文化祭の日以来だった。
でも、その間紫音の事を思い返さなかった訳ではない。
寧ろ、「辛いことがあったら…」と言ってくれた優しい表情を、最近はよく思い出す様になっていた。
「ハル先輩、あの、俺…メールしたんすけど…」
「メール?」
「はい、あの、返事がなくて……」
向田に携帯を使い物にならなくされて、今はもう解約もされている筈だ。
「ごめん。携帯壊れちゃって」
「え?あ、そうなんすか!俺、ハル先輩に無視されてるかと思って。でもよかった~!」
紫音はほっとした様に固かった表情を和らげ笑顔を見せた。前回会ったときと、少しも変わらない真っ直ぐで綺麗な笑顔を。
「無視なんかしないよ。どうした?」
「急なんですけど明日暇ですか?練習の後に白水中と練習試合なんです!ハル先輩見に来てくれないかなーっと思って」
「明日…」
明日は土曜日だ。
向田は土日も仕事に出ているのか、平日と変わらず夜にしか来なかった。
だから、いつも土日の日中は睡眠に充てていた。
心身が休息を欲している様で、暇さえあればいつの間にか眠ってしまうのだ。
夜毎嫌いな相手に犯されながらも、春がまだ心身のバランスを紙一重で保てているのは、睡眠によって現実をシャットダウンできている為でもあった。
バスケを自分でする気はもうないけれど、紫音の活躍する姿は純粋に見たい。
……そう言えば、俺は紫音に、星陵学園へは行かないと伝えなきゃいけない。
でも…。
「明日は、暇だよ。観に行くな」
「ほんとっすか!!やった!俺絶対活躍しますから!」
紫音は心底嬉しそうに笑っている。
その笑顔が本当に綺麗で、今の春には少し眩しかった。
けれど、紫音の瞳には、穢れきった自分ではなく、以前と変わらない『ハル先輩』が写っているのだと思えて嬉しくもあった。
俺がバスケを辞めることを知ったら、紫音はどんな反応をするだろう。
幻滅して、もう口をきいて貰えないかもしれない。
そうでないにしても、今みたいに慕ってくれなくなるだろう。
今みたいな笑顔を見せてくれることも、もうなくなるだろう。
抱き締めて慰めて貰うことも、そうしてあげることも、もうなくなってしまう。
「楽しみにしてる」
結局それしか言えなかった。
1時からです!と叫ぶ紫音の声を背中で聞いた。
俺は紫音を失いたくない。
紫音のかつての言葉は、確かに俺を支えてくれていた。
その綺麗な笑顔を向けられると、自分が汚い存在であることが、一瞬忘れられる気がした。
心の安息を、紫音に見た。
だから、星陵へ行かないことも、バスケを辞めることも、紫音には言わない。
俺が卒業すれば、星陵に入学していないことはいずれ分かるだろう。
だから、せめて卒業するまでは、紫音から屈託のない笑顔を向けてもらえる存在でいたかった。
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