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捕縛 19
その日の練習は、いつも以上に気合いが入った。
全中出場という目標を掲げた紫音は、部員たちから鬼キャプテンと呼ばれていた。
都の予選で最低でも決勝戦に出場しなければ、星陵のスカウトの目に止まらない。
星陵学園は特殊な学校で、学校側から選ばれた人間でなければ受験資格すら得られなかった。
紫音は何がなんでも星陵に――春と同じ高校に行きたかった。
その為には、自分だけでなく、チーム全体を強くしなければならない。
2枚エースの一人だった春が抜けたこのチームを、全国に行けるくらい強くする。そのことに躍起になっていた。
加えて、今日の練習試合は、春が見に来る。自然気合いが入るというものだ。
「たまに顔を出すよ」と言ったっきり引退後一度も春が部活に来ることはなかった。
奥ゆかしいハル先輩のことだから、遠慮しているのかも…と思っていたが、昨日の春はどこか変だった。
久しぶりに会えた事と、メールを無視されていた訳ではなかった事、そしていい返事を貰えた喜びで一杯一杯になってしまって、春にその事を訊ねる余裕がなかった。
別れた後にどうかしたのだろうかとぼんやりと考えたが、明日聞けばいいか、と安易に考えていた。
再来年またハル先輩と同じチームでプレイするんだ。
その為に、今は必死に練習をして、チーム強くしなければ。
*
練習が終わり、腹ごしらえも終わると、そろそろハル先輩が来る頃かなと、体育館のドアが開く度に自然と目がそちらに向いた。
白水は全国出場常連校だ。手強い相手だが、春の応援があれば勝てる気がしていた。
試合終了の笛が鳴る。
―――――緑葉は白水に負けた。
紫音が今か今かと心待にしていた相手は、結局最後まで体育館に姿を現さなかった。
着替えを終えて、部員達が帰っていくのを見送って一人になってしまってからも、紫音は暫くベンチから腰を上げなかった。
ショックだったのだ。
試合に負けた事ではない。春に自分の活躍を見て貰えるのを楽しみにしていたのに、それが果たせなかった事が。
―――どうして、ハル先輩は来なかったのだろう。
昨日の今日で忘れたなんて事はないだろうし、ハル先輩は簡単に約束を破るような人間じゃない。もし何かで来れなくなったとしても、連絡くらい寄越す筈。
楽しみにしてるって、言ってくれていたのに…。
ふと、そう言った時の春の顔が頭に浮かぶ。
いつもの、屈託のない笑顔ではなく、どこか寂しげな儚げな顔だったじゃないか。
なぜ、自分はあの時にちゃんとそのことについて触れなかったのだろう。あんな笑い方、ハル先輩らしくないって、今考えればすぐわかることなのに、久々にハル先輩と話せてバカみたいに浮かれて、大事な事を見逃して……。
俺はいつも一歩遅い。ハルちゃんの時だって―――。
そう考えたとき、ものすごく嫌な予感がした。
このまま、ハル先輩を失ってしまうのではないか…。
その漠然とした不安がどんどん大きくなり、紫音を突き動かした。
いそいそと携帯を取りだし、春の番号を呼び出すと、「この番号は現在使われておりません…」と無機質な音声に告げられ、携帯が壊れたのだと言っていた事に思い至る。
新しい携帯の番号を聞いておかなかった昨日の自分に舌打ちをして、部員名簿に目を通す。
そこに載っていた自宅の電話にもかけてみたが、呼び出し音が鳴るばかりで応答はなかった。
もしかして、事故、とか…。
想像したら背筋が寒くなり、部員名簿を掴むと試合後の疲れも忘れて外へ駆け出した。
春が学校に向かうときに辿るであろう道を、春の自宅の住所まで歩いた。
大きな事故が起こったような現場はなくて、ひとまずは安心したが、嫌な予感は無くならない。
名簿に書かれた住所が示す春の自宅マンションは、いわゆる高級マンションというやつだった。
ハル先輩の家は金持ちだったのか…。
今更ながら、紫音は春の事を殆ど知らない事に気づく。
住まいも、家族のことも、一番仲良くしている友人が誰なのかも。
何も知らない自分にやるせなさを感じながら、エントランスを潜り、オートロックの重厚な扉の前で部屋番号を呼び出したが、応答がない。
何度かそうしている内に、中から住人らしき人が出てきた為、タイミングを見計らってオートロックの扉を潜った。
中学の制服を着用しているせいか、怪しまれることもなかった。
春の部屋がある10階まで上がると、そこには春の部屋番号の書かれた扉しかなかった。
ドアの横についた呼び鈴を押して暫し待つが、やはり応答はなかった。何度か鳴らしてみたが、そこに人の気配は全く感じられなかった。
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