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捕縛 21
向田はぐったりする春の身体を抱き起こしてベッドの端に座らせると、猛った自身を春の鼻先に突きつけた。
「ご奉仕して」
春は嫌そうな視線を一瞬だけ向田に向けて、それから諦めたようにおずおずと口を大きく開いた。
「そうじゃなくて、春が舌と唇を使って俺を気持ちよくしてよ」
春は何を言われているのか分からないのか、上目遣いに向田の様子を伺っている。
こういう、男を誘う仕種を春は無意識にするのに、全然あざとさがない。春には自分を可愛く見せたいとか、チヤホヤされたいという思いが微塵もないからだ。
そういう所も全部、向田にとっては征服欲を増幅させる一因にしかならない。
「いつもみたく俺が腰を使うんじゃなくて、春が動いて俺に奉仕してよ」
ここまで言われてようやく何を求められているか分かったらしい春は、慌てて首を横に振った。
いつも受け身だったから、自分から……という事に強い抵抗感がある様だ。
いつもの様に脅して、恫喝して、怯えさせてやらせるのは簡単だが、それではきっと気持ちよくないし上達だって見込めない。焦れてしまって結局いつも通りこっちが腰を振る事になってしまうのは目に見えている。
「なあ春、覚えてる?」
身構えた春が、また可愛らしい不安げな目付きでこっちを見上げてくる。
向田は不気味なくらいの猫なで声で続けた。
「春は去年、どうしても俺にお礼がしたいって言ってたよね?……確か、できる事なら何でもやるとか何とか…」
そう言うと、従順モードで可愛いかった春の瞳に勝ち気な意思が戻った。
「それは卑怯だ」
「卑怯?」
向田は面白そうに春を眺めた。
春との間に絶対的な主従関係が出来上がっている今、手綱を握る向田は当初に比べると余裕綽々だった。
「だって俺は、俺は……あんたがこんな人間だって知らなかったから…!」
「こんな人間って?」
「こんな……こんな、変な事するなんて…」
「変な事?気持ちいいことの間違いだろう?」
「気持ちよくなんかない!」
「はは。本当に春は素直じゃないね。認めてしまえば楽になるぞ」
「認めるとかじゃない!嫌なんだよ、俺は!」
「随分と威勢がいいじゃないか」
「触るな!」
頬に伸ばされた向田の手を弾き落とす。
こんなに強い抵抗をしたのは、初めて襲われた時以来だった。
逆らってはいけない。逆らったら、もっともっと酷いことをされる。
どこかで冷静な自分自身が警鐘を鳴らしているのに、押さえつけられていた感情が氾濫して、もう止めることができなかった。
「嫌だ!全部嫌だ!変態みたいなことするのもされるのも、並んで歩かされるのも、女みたいな服着せられるのも、全部!」
「春、あんまり我が儘ばっかり言ってると怒るよ?」
「煩い!」
いつもなら、向田の不興を買うのは怖くて堪らないのに、剰りに感情が昂っているせいか、或いは向田が「怒る」と言いながらニヤニヤ笑っているせいなのか、恐怖さえ感じない。
「去年は、あの時は、いい人だったじゃないか!何でこんな気持ちの悪い事するんだよ!もう嫌だよ!あの頃に戻ってよ!戻って……」
子供が駄々を捏ねるように溢した言葉は、春の本音であり願望でもあった。
こんな事が起こる前の昔の向田を春は信じきっていた。とってもいい人で、尊敬できる大人の男だと思っていた。憧れさえ抱いていた。
それが幻想だったという事は襲われる前から既に知っていたし、今起こっている事が覆すことのできない現実なのだとも解っていたけれど、あまりにも自分に与えられている現実が酷すぎて、願わずにはいられなかった。
全てが嘘であってほしい。何かの間違いであってほしい。これが悪夢であったなら、どんなにいいことか……。
心の奥底で眠っていた心情を吐露して威勢をなくし項垂れる春の肩を向田が抱いた。その口元は嗜虐的に微笑んでいる。
我が儘を言い、自分を拒絶した春にお仕置きを―――真実を見せてやるつもりなのだ。
俺から逃れることなど出来はしないことを再び思い知らされる春は、どれだけ落胆し、絶望するのだろうか。
愛する春の心が壊れ行く音は心地よい。
春が総てに絶望したその時初めて、俺は春の全てを手にいれる事ができる気がするから。
「春にいいものを見せてあげる」
向田は楽しそうにそう言うと、春に携帯を差し出した。
その画面に目を向けた春は呆然とした。
「な…に…これ?」
携帯に写し出されていたのは、見慣れないベッドに横たわる半裸の自分自身だった。
下半身は剥き出しで、部活の練習着として昔よく着ていたTシャツは首もとまで捲り上げられている。
そして、腹や胸は白い何かで汚れていた。
悲しい事に、それが何であるか心当たりはあって、今では毎日の様にそれに身体を汚されているけれど、こんな格好をしている時にそうされた覚えはなかったし、今日を除いては自室以外のベッドの上でこうなった覚えもなくて、春は混乱していた。
「わからない?これは去年の春だよ」
「え……」
「覚えてないのも無理はない。俺が注いであげたジュースを飲んだ後、春はすぐおねんねしちゃったたろ?その間にね、ちょっとイタズラしたんだよ」
思い出すまいとしていた去年の出来事が、ありありと甦ってくる。
確か、炭酸のノンアルコールワインを飲んだ後に常にないくらい眠たくなって、起きたら凄く頭が痛くて……。
「まさか、薬を……」
「そうだよ。ちょっと多目に飲ませたから、副作用出ちゃって悪かったね。まあ、ぐっすり眠っていてくれたお陰で、俺はたっぷり愉しめたけどね。この写真には随分と世話になったんだよ。何の世話かは、言わなくても分かるだろう?」
ニヤリ、と向田の唇が弧を描く。
―――人の弱味につけこんで言う事を聞かせるのみならず、信頼していた気持ちまで踏みにじって、自分の欲望を満たしていたなんて……。
「信じていたのに!」
「ああそうだね。春から信頼を得るのは簡単だったよ。初めは警戒心強かったけど、それさえ解ければ本当に楽勝だった。あんまりガードが緩いから、先に他に盗られるんじゃないなと心配したぐらいだ」
「どうして……」
「俺は出会った時からずーっと春が欲しくて、自分のものにしたくて、そういう目でしかお前を見てなかったんだよ。あの頃も結構露骨な目で春を見てたし、口説き落とそうと必死だったんだ。でも、春は全然その気になってくれない癖にニコニコ無防備に笑顔を振り撒くもんだから、欲望を押さえるのに随分苦労したんだから…」
春は本当に罪作りな子だ。向田はそう呟きながら春の髪の毛を手で梳いた。
あの頃の向田は、俺を口説き落とそうとしていた…?
春の頭の中にひとつの恐ろしい仮説が浮かんできて、春は震えながら口を開いた。
「もしかして、俺があの時にその気になっていたら、こんな事はしなかったの…?俺を脅す必要がないんだから、父さんの会社は無事で、今でも家族3人一緒に暮らせていたの…?」
「そう単純な話じゃないんだよ」
「何で!俺を言いなりにさせたいだけなんだろう!初めから、それだけが目的だったんだろう!そう言ったじゃないか!」
「そうだよ。よく解っているじゃないか」
「だったら、父さん達は関係ないじゃないか!父さんの会社を返して!父さん達を、日本に返して!」
「そんな事したら、春が俺の言う事を聞かなくなってしまう」
「聞くよ!聞くから!今まで通り、あんたの奴隷でいればいいんだろう!?」
「奴隷だなんて。春は俺の妻だよ。何度もそう言ってるじゃないか」
「そんなのどっちだって一緒だ!」
「違うよ。俺は春に妻としての役割の、しかもほんの一部しか与えてないじゃないか。家事だってさせてないし、子供が産めなくたって文句は言わないよ。春はただ俺と愛し合うだけでいいんだから」
それが一番嫌な事なのに……!
思わず反論しそうになった春だったが、その噛みつきたい衝動をぐっと堪えた。向田が、いつも春を言葉でいたぶる時の愉しそうな表情をしていたからだ。
深追いすると、墓穴を掘る。そう思った。
今は、自分の事より、父さん達の事を―――!
「何でも言うこと聞くから!お願い!父さん達を巻き込まないで!」
「そんな口約束は到底信じられないなぁ。それにね、春が去年の時点で俺のものになっていたとしても、俺は同じことをしたよ」
「どうして!」
「春の全てが欲しいから、身体だけじゃ満足できないよ。春の心も、その目に写るのも、その身体に触れるのも、その声を聞くのも、俺が独占したいんだ。春を愛するのも、春に愛されるのも、全部俺だけに。だから、春の大切なものは全部奪う必要があったんだよ」
「……そんな」
「両親の事はもう忘れなさい。書類上は俺が父親なんだし、もう会わせる気はないから。だからね、俺がそうである様に、春も俺だけを愛してよ。俺だけを見て、俺の事だけを考えていればいいんだ。簡単な事だろう?」
どうして―――。
力なく項垂れる様に俯いた春に、向田が手をかけようとしたその時、それを拒絶するかの様に春が顔を挙げた。
「何で俺なんだよ!どうして俺だったんだよ!」
春の瞳は攻撃的な色を失っていなかった。
もうそれは、向田に対する怒りややるせなさだけではなかった。
自分の運命を、巡り合わせを、切欠になったであろうこの容姿を、目立ってしまった浅はかな自分を、そして神を憎んだ。
自分は善良に、真面目に、人に害を及ぼすこともなく生きてきた筈だ。そしてそれは両親も同じだったのに……。
「そんなの簡単だ。春が俺の心を奪ったからだよ」
向田はまるで初恋の思い出を語るかの様にうっとりした様子で滔々と話した。
「春は俺の理想その物だったからね。春と出会うまで、俺は誰かを愛したことなんてなかったんだよ。春を見つけて、初めて俺は愛を知った。だからね、春が俺以外を愛するのも、俺以外に愛されるのも、今後俺が許さない。お前は、俺だけの物だよ」
春は今度こそ項垂れた頭を上げる事はできなかった。
―――神などいないのだ。
耐え続けていれば、いつか終わる。解放される時が来る。父と母にもまた会える。
そうどこかで信じていた希望は、辛くも打ち砕かれた。
神などいない。
誰も、神ですら助けてはくれない。
誰も……。
「大丈夫、何も心配はいらないよ。この先もずっと、俺が春を沢山愛してあげるから、寂しい思いはさせないよ。さあ春、頭を上げて。生涯のご主人様に、しっかりご奉仕をするんだ」
壊れかけのゼンマイ人形の様にぎこちなく頭を上げると、目の前には再び向田の物がつきつけられ、好色な笑みで見下ろされていた。
その光景は、まるで向田と自分との関係の縮図の様で、春の中で何かがプツリと切れたみたいに力が抜けた。
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