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鳥籠 4
「春、まだ寝るのは早い」
情事の痕跡を色濃く残したまま気を失った淫靡な恋人の銀の髪を少し乱暴に梳きながら声をかけた。
閉じられた瞼がピクリと反応し、少しずつ開いて、宝石のように輝く濡れたエメラルドグリーンの瞳が現れる。
いつ見ても、ため息が出る程美しい。
この全ては俺のもの。
だが…。
夫婦の蜜月を存分に味わえるのは、今日が最後なのだ。
その為向田は今日は仕事に行かず、朝から今まで何度も何度も春の身体をむさぼっていた。
明日は高校の入学式のため、春を千葉に送り出さなければならない。
家はもう決めてある。
ここ同様防音の効いたマンションだ。
本当は高校なぞ行かせたくないのに…。
向田に、春を跡取りにするつもりなど毛頭ない。
向田にとって春は、生涯の妻であり、かわいいかわいい愛玩人形なのだから。
野蛮な男の社会になど、入れるつもりはないのだ。
それでも春の高校入学を反対できない理由。それは、向田が夫婦の絆だと考え拘っている養子縁組にあった。
未成年者を養子縁組する場合、家庭裁判所から許可をもらう必要があるのだが、そこで法定代理人たる拓弥に条件をつけられた。「高校、大学と春の希望の進路を叶えるように」と。
おそらく春の進学状況は、家裁に見守られているだろう。
高校に入学させていないことが判明すれば、最悪縁組を解消させられるかもしれない。
今さら縁組を解消した所で春を縛る鎖は断ち切れないことは分かっていたが、完璧主義の向田は、それを認めることができなかった。
春に目を向けると、瞼をしばたかせながらこちらを見ていた。
生理的な涙に濡れた瞳は扇情的で、ただ見つめられているだけなのに誘われている様に感じる。
「春、わかってる?ここでこんなに沢山愛し合えるのも、今日が最後なんだよ」
「さいご?」
「そう。明日は高校の入学式だろ?」
監禁してからほとんどずっと虚ろだった瞳に、一瞬で光が宿った。
「明日…なのか?」
カレンダーもテレビもない家で、昼も夜も凌辱されていた春は日付感覚も完全に狂っていて、初めは指折り数えた入学式までの日も、途中から頭が考えることを放棄したようになり、全く解らなくなってしまっていた。
「本当に寂しいよ。今夜は泊まってあげるから、朝まで愛し合おう?」
これまで凍りついて何も感じないことで身を守っていた心が急速に解れて、向田の言葉にびくりと背中がひきつった。
「春、そんな顔してどうしたの?さっきまであんなに喜んで抱かれていたのに」
「…ちがう、俺は、」
「俺の為に啼くだけのかわいいかわいい春はどこに行っちゃったの?…仕方ないから久しぶりにあれ使う?」
向田が怪しい笑みを浮かべてベッドに備えつけられた引き出しを探る。
ギクリと身体が動かなくなり、冷や汗が出た。
確か、あそこには…。
「い、やだ孝市さん!あれはやめて!」
向田の手にはアルミのシートに包まれた白い錠剤がのっていて、嬉しそうにその包みを剥いだ。
「大丈夫だよ。恥ずかしがり屋の春が、素直に気持ちよくなるだけだからね」
言うなり向田は嫌がり顔を背ける春の頬をきつく掴んで口の中にそれを放り込むと、ベッドサイドに転がっていたペットボトルから水を一口含んで春に口移しでそれを注いできた。
「んっ、んんぅっ」
口の端から溢れた水が垂れて、春の首まで濡らしていく。
向田は春の口と鼻を抑えて、苦しむ春を眺めていた。
たまらずコクンと口の中の物を飲み込むと、向田の手がようやく離れ、酸素を欲して喘いだ喉に勢いよく空気が入り込んで、ゲホゲホと噎せた。
「すぐに我を忘れて乱れさせてあげる」
向田に乱暴で深いキスをされながら胸の突起をぎゅっと摘まれる。
痛みが甘い痺れに変わるのに、そう時間はかからない。
既にそういう身体にされてしまっていたから。
やがて、クリアになったばかりの頭がまた朦朧としてきて、向田に触れられる部分全てが熱を持つ様になると、あとは向田の予言通り、我を忘れてただ快楽に身を任せ喘ぐ人形と成り果てた。
***
宣言通り朝方まで揺さぶられて、声が嗄れるまで甘く乱れた声をあげ続けた。
千葉へと向かう為車に乗せられる前に軽くシャワーで身体を流されたが、途中で追加された媚薬の効果がまだ残る春の火照った身体は収まらず、車中でも喘ぐようにはぁはぁと荒く息をついていた。
新しい学校近くのマンションで車を降りて、玄関に入るなりその場で火照る身体を慰める様に抱かれて、ようやく乱れた呼吸は落ち着いた。
しかし、同時に戻った理性が、自分の痴態を激しく責めて、心と身体がバラバラになるような痛みを生じさせ、春を苦しめた。
媚薬を使われている間の事も、監禁されている間の自分の事も、全部知っている。
脳が停止したみたいに考えることは出来なかったが、記憶は淡々と刻まれていたのだ。
その記憶は、残酷に春の心を抉った。
入学式が始まるよと向田に急かされて、力の入らない腰と足を叱咤してシャワーを浴びた。
リビングに出ると、いつのまにかスーツに着替えた向田が立っていた。
「本当は夫として…と言いたいけど、今日は父親として出席するよ」
向田は入学式に出るつもりらしかった。
向田が奥の部屋から持ってきた見慣れない制服に身を通して、忙しく車に乗り込んだ。
程なくして学校に到着し、車の中でキスをされてカバンを渡され、別れた。
春はフラフラの足でようやく生徒玄関を見つけ出して、鞄の中に入っていた上履きに履き替え、案内の通りに体育館に向かった。
もう変装はしていない。するつもりもないし、もう何の意味もない。
四方八方から視線を感じて、長めの前髪をわざと前の方に垂らした。
ついさっきまで、卑猥に上気させていた頬が、赤く潤んだ瞳が、だらしなく弛んだ口元が、今もまだそのままの様な気がした。
そんな厭らしい顔を見られるのを恐れて、不自然に俯き、髪の毛で顔を隠して歩いた。
「なあ、それ地毛?」
体育館で隣の席の生徒が話しかけてきたが、顔を見られるのも、啼きすぎて嗄れた声を聞かれるのも嫌で、俯いたまま返事が出来なかった。暫くすると、シカトかよと言う声と、舌打ちが聞こえてきた。
式が終わり、1年生は並んで体育館を出て、それぞれのクラスの教室に移動した。
父母席の前を通るとき、向田の視線を感じた気がしたが、一切顔を上げなかった。
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