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鳥籠 6

紫音にとって最後の頼みの綱だった星陵学園の入学式にも、春の姿はなかった。 今年の試合で春と共に活躍していた紫音の事を覚えていたという星陵バスケ部のコーチが声を掛けてきた為、春の事を聞いてみると、去年の10月にスカウトを断る連絡が入ったという事だった。 春を獲得しそこねたコーチが、「来年どう?」と紫音を勧誘してきたが、あんなに入りたかった星陵に、最早なんの魅力も感じなかった。 また10月だ…。 文化祭の日にはあんなに元気で、未来を見据えて晴れやかに笑っていたのに。 その文化祭の直後、ハル先輩の身に一体何が起こったのだろう…。 今更ながら11月に入るまでハル先輩の変化に気づけなかった自分に苛立ちを覚える。 そして、気づいた後の1ヶ月半の間に、もっと出来ることがあったのではないかと思うと、後悔ばかりが募る。 星陵に入るため、バスケのことばかり考えていた俺は本当にバカだ。 ハル先輩がいなければ、星陵も…バスケでさえその輝きを失うと言うのに。 一番大切な物を差し置いて、俺は一体何をしていたのだろう…。 次の日、新しく変わったばかりの3年の教室に入ってすぐ、どうだった?と駆け寄ってきた建志に、星陵にも居なかった事を伝えた。 建志は肩を落として紫音を気遣う様に見たが、紫音は大丈夫と頷いた。 「卒業式に来なかった時に、なんとなく覚悟はしてたから」 勿論、ダメージがなかった訳ではない。でも、本当に覚悟というか、予感はあった。卒業式にも出れなかった春が、明るく元気に星陵に入学している姿がどうしても想像出来なかったのだ。 「そんな顔すんなよ建志。俺は本当に大丈夫。もう諦めないって決めたから」 尚も心配そうな視線を向ける建志に笑って見せる。 もう手がかりはひとつも残っていない。でも、出来ることがないわけではない。 まずは都内の高校をしらみ潰しに当たってみよう。 希望さえ捨てなければ、きっと大丈夫。きっとまた会える。 *** 紫音が春の消息に関する重要な手がかりを掴んだのは、それから1ヶ月後。5月のゴールデンウィークのことだった。 小学校の頃に所属していたバスケのクラブチームのメンバーで久し振りに集まろうという話になったらしく、ゴールデンウィークにファミレスに集合がかかった。 紫音には暇な時間などなかったが、小学校卒業と共に千葉に引っ越した1年先輩の宮原が、わざわざ東京に出てくるということで、無碍にも出来ずに行くことにしたのだ。 「紫音お前中学でも大活躍してるらしいじゃん」 「ほんと。俺の学校にも追っかけやってる女子いるんだぜ?」 小中学生合同のクラブチームに、未だ所属している者も多くいるが、紫音は中学入学と同時に春とのバスケに夢中になって辞めていた。 紫音と同じ緑葉中のメンバーはいなかったが、小学校6年間を共に過ごしたメンバーとの絆は固かった。 「そういや、紫音の中学って緑葉だっけ?」 この春高校に上がったばかりの宮原が口を開いた。宮原は以前会ったときと比べると随分垢抜けて見えた。 中学生というのは多かれ少なかれ高校生に対して憧れがある。中学生の認識では、子供から大人になるようなものなのだ。 宮原もそんな自信に満ち溢れていて、中学生の目からはそれが輝いて見えるのだろう。 「そうですけど?」 「俺の入学した高校に、緑葉出身者がいるぜ」 「え…?」 ピクッと何かを察知した様に身体が動いた。 東京からわざわざ千葉の高校に入る人間は少ない。何か事情がない限り。 もしかしたら…! 「どんな人ですか!?」 「え、あぁ、隣のクラスだからよくは知らないけど、ハーフだよ」 突然身を乗り出して真剣な表情で問い詰める紫音に驚きながら宮原が言った。 ハーフ? ハーフなんて、緑葉の上の学年にいたか? ハル先輩は、日本人離れした人形の様に整った顔だが、ハーフだと思ったことは今までなかった。 ハル先輩じゃないのか…。 「ハーフなんて、いなかったと思いますけど」 「嘘だろ。だって銀髪だぜ?あれは目立つだろ」 「銀髪?そんなやつ絶対いませんよ。高校デビューで染めたんじゃないですか?」 「そういう感じじゃない。俺は見てないけど、目も青いらしいし、あの肌の白さは日本人じゃないだろ」 もう一度考える。 銀髪に青い目?…そんな奴がいたら、例え関わりがなくても気づくだろう。 色白…と言えば、ハル先輩は雪の様に白い綺麗な肌をしていたな。それこそ、日本人離れした…。 「その人、名前なんて言うんですか?」 「えーっと、何だっけなー…。確か、向田…、向田春だ!季節の春って書いて、しゅん!」 *** 紫音の頭が一瞬真っ白になって、すぐに思考も感情もフル回転で働き出した。 ハル先輩!ハル先輩だ!! ようやく見つけた!!ようやく会える!! 春と書いてしゅんなんて、あんまりいない。少なくとも緑葉にはハル先輩以外いない。 髪の色?目の色?なんで千葉? たくさんの疑問があったが、一番ひっかかったのは…。 「先輩、苗字間違ってます!椎名でしょ?椎名春!!」 「椎名?いや、そんな苗字じゃねぇよ。向田で、間違いないと思うけど…」 「そんなはず…」 「向田」と頭の中で声に出すと、一人の嫌な男が浮かんだ。 ハル先輩の父親の知り合いという、あの怪しい男。 一昨年の夏の試合の後、ハル先輩を舐め回す様に見ていた気持ちの悪い男と、間違いなく同一人物だ。 もしも宮原先輩の記憶が正しくて、ハル先輩の苗字が向田になっていたとしたら、それは何故? 両親の離婚…?それによってハル先輩は苦しんでいたのか…? しかも、「向田」という苗字。 それだけであの男と結びつけるのは短絡的かもしれないが、あの男が関わっている様な、嫌な予感がする。 「宮原先輩!俺を宮原先輩の高校まで連れていって下さい!」 「は?」 「今すぐです!お願いします!」 「ちょっと待てよ紫音。お前どうしたんだよ!」 ガタンと席を立って捲し立てる紫音を、同席の皆がぽかんとした表情で見上げている。 紫音も皆のその顔に一瞬毒気を抜かれ、再び席に着いた。 少し、冷静にならねば。 *** 「すいません。あの、そのハル…春先輩に、俺、会わなきゃならないんです」 「向田に?」 「…はい。ずっと探してた人なんです」 「お前が、向田を?なんで?どういう関係?」 宮原は、なぜか信じられないといった様子で問い詰めてくる。 「俺の、バスケ部の先輩で、とても仲良くしてた人なんです。椎名って言えば、ほら、お前らも知ってるだろ?」 宮原の左右に座る、都内の中学に通う同級生にも話を振る。 「あぁ、椎名って人なら知ってるよ。すっげーバスケが上手くて、青木と同じくらいファンがついてる人気者ですよ」 宮原が、その話と紫音の話を聞いて少し考え込み、言った。 「お前、人違いしてると思う。そもそも椎名じゃないし、人物像も、違いすぎる。向田は、そんな運動のできる人気者ってタイプじゃねぇよ。紫音が仲良くするタイプでもないと思う」 「どういうことですか?」 「俺はクラス違うから直接は知らないけど、遠目で見てもあれはただの根暗なガリ勉だ。あんな見た目だから目立っちゃって、話しかけるやつも結構いるみたいだけど、ほぼ無反応らしい。顔は相当綺麗だって噂だけど、あの性格じゃ…な」 根暗?ガリ勉? ハル先輩は成績はよかったけど、ガリ勉ってタイプじゃないし、それに、根暗? あり得ない。 騒がしくはないが、決して暗くはない。 華やかな雰囲気を持つ、人に好かれるタイプだ。 髪と目のこともあるし、宮原先輩の言うように別人なのだろうか…。 でも…。 「人違いかもしれないけど、それでも、俺はその人に会いに行ってみます。やっと見つけた足掛かりですから」 宮原はもう否定もしなかったが、今日行っても、学校休みだから意味ないだろと言った。 確かにその通りだ。 会えるかもしれない喜びと、ハル先輩が心配で、頭に血が上っていた。 平日、学校を早退して千葉まで行こう。部活も、1日くらい休んでも平気だろう。 そして、その、向田春なる人物を、この目で確かめる。 宮原には、学校の名前と住所だけ教えて貰った。 その後もファミレスの席に座ってはいたが、頭はハル先輩とその向田春のことで一杯だった。

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