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鳥籠 9

次の日、春は重い足取りで学校へと向かった。 昨日の写真の事で、いつもより視線や囁き声が気になったが、自分にはここしか居場所はないのだ。 人に笑われようと、気持ち悪がられようと、ここにしがみつくしかないのだから。 教室に入り席に着くなり、後ろの席からおはよーと声をかけられた。 「昨日いつの間にかいなくなってたから、心配したよ!大丈夫?」 心持ち振り向くと、斗士が捲し立てた。 「大丈夫」 それだけ答えて前に向き直り、図書館から借りてきていた参考書を開いた。 もう自分の身体を取り戻すことは諦めた。 心まで引き摺られて、何もかもを諦めそうになったが、自分には今生きる目的があったことを思い出した。 勉強して、跡取りになるんだ。 いつの日か解放され、また父と母と笑い合うんだ。 他人には、こんな身体では、もう愛されないかもしれない。 それでもいい。俺は自由になりたい。父を救いたい。 真剣に参考書と格闘しだした春を見て斗士はため息をついて席を立った。 向かう先は、真ん中の列に座る目立たない生徒笹原和希の席だ。 「和希。ちょっといい?」 「えっ、な、なに?」 和希を連れてトイレまで移動した斗士が、誰もいないのを確認して口を開いた。 「あれさぁ、もっとインパクトのある写真ない?キスとかさ」 「ご、ごめん斗士くん。あいつら、ずっと個室に篭ってて、店の出入りくらいしか撮れなくて…」 「あれくらいじゃ、あの子に全然効果ないんだけど?」 「ごめん…。次は、次はちゃんとやるよ!あ、あとは、何したらいい?」 和希は斗士にすがりつく。そんな和希を斗士は引き剥がす様にして言った。 「別に、今は何も頼むことはないよ」 「ま、待って!待ってよ!」 トイレから出ようとする斗士に和希は尚もすがり付くと、肩を押して斗士を個室へと押し込んだ。 意外な力の強さに、身構えていなかった斗士はよろけた。 和希は後ろ手に扉を閉じて、カチンと施錠すると、斗士の前に跪いた。 「斗士くん、僕を見捨てないで…」 言いながら斗士のズボンの前を開いて性器を取り出すと、何の躊躇もなく口に含んだ。 斗士はその様子を無感動な様子で眺めた後、腕時計に目をやった。 「ホームルームまであと10分だから、それまでに終わらせてね」 和希は斗士を見上げてコクコクと頷くと、赤い舌を出して、愛おしそうに斗士の物に舌を這わせた。 *** 授業を受けて、勉強して、また授業を受けて…。繰り返していると1日はあっという間で、もう6時間目の授業も終えて、皆教室を出ていく。 春はその流れに反して鞄から問題集を取り出すと、ノートに難しい計算式を書き始めた。 ひとつ問題を解き終わった時に、後ろから声がした。 「春、今日も残るの?」 もう殆んどの生徒が姿を消したこの教室に、斗士が残っているとは思わなかった。少し驚いて首だけで振り返り、うんと返事をした。 すぐに次の問題を解き始めると、斗士が隣の席に移動して、ガタガタいわせながら机と椅子を動かし、春の席に横付けした。 その様子を怪訝な表情で眺めていると、斗士がニコッと微笑みかけて言った。 「俺も、春と一緒にお勉強する」 驚いてポカンと斗士を見たが、斗士は春の視線を躱して、開いた教科書に目を落とした。 暫くそんな斗士を見ていたが、どうやら本当に勉強をするつもりらしいので、諦めてペンを取り、春もノートに向かった。 *** 1時間ほど集中して問題を解いていたが、少し難問にぶつかり、集中力も落ちていた春はペンを置いて顔を上げると一度伸びをした。 隣で同様にペンを動かしていた斗士も、顔を上げてつられたように伸びた。 隣から視線を感じて斗士を見ると、じっとこちらを見ていて、視線が交わる。 「勉強熱心なんだな」 初めてまともな言葉を斗士にかけた。この1時間、同じ事に集中していた斗士に、少し仲間意識の様な物が芽生えた気がしたのだ。 「春の方が。俺はやってるフリして結構休憩してたし」 ニッと笑う斗士に、これまで感じなかった愛着すら感じる。 斗士が、顔を隠すように俯いて言った。 「…春は、笑うと随分印象が変わるね」 「え…?」 笑うと?俺は今は笑っていたのだろうか。 「雰囲気も、いつもと全然違うし」 「そう…かな?」 「うん。なんか、険が取れたっていうの?そんな感じ」 斗士と自分しかいない空間で、気を張る必要がないからか?それに…。 「勉強してると、落ち着くんだ」 「春は変わってるね」 クスリと笑う斗士に、つられて笑った。笑ったのは、随分久しぶりな気がした。 「春は勉強オタクだ」 ニコニコと笑いながら斗士がからかう。 「うん、そう」 春も柔らかく笑った。 それを見て微笑んだ斗士が、少し考え込むように視線をさ迷わせた後、春の顔色を伺うようにしながら言った。 「……あのさ、昨日の写真の人は、恋人…?」 春の穏やかだった顔が、一瞬で強張り青ざめた。 その表情を見た斗士が慌てて取り繕う。 「あっ!ごめん!変なこと聞いて…。でも、男子校に通ってると、そういうのにあんまり偏見ないっていうか、気にならないっていうか…」 斗士は、男同士であることを春が気にしていると勘違いしたのか、そんなフォローを入れた。 「……違う」 春の声は消え入りそうで頼りなかった。 「そうなの?でも…」 「もうその話はしたくない」 春はぴしゃりと言って、顔を逸らした。言葉と、身体全体で斗士の追求を拒絶した。 「ごめん…」 春はもう斗士に視線を合わせなかった。 黙ってペンを取ると、無心に問題を解いた。 *** 写真の事を忘れる様にひたすら問題に集中している内に、日も大分陰ってきていて、時計をみると18時半を示していた。 春は、どんなに残っても19時までと決めていた。 向田が、早いときは20時頃に訪ねて来るからだ。訪ねて来られた時に不在だったら、機嫌を損ねて何をされるかわからない。 春が問題集を閉じて帰り支度を始めると、隣の斗士もそれに倣った。 「春、ごめん」 支度を終えた斗士が、机を戻して春に向き直るなり言った。 「俺の方こそ。斗士が悪いわけじゃないのに…。ごめん」 少し冷静になった頭で素直に謝る。 そうだ。斗士が悪いわけではない。あれを見れば、誰だってそう勘繰りたくなる。 斗士は目に見えて安堵の表情になり、春に嫌われたかと思ったーと呟いている。 「じゃあさ、明日からも一緒に勉強してもいい?」 斗士の問いに、断る理由もなく、うんと答えると、斗士が満面の笑みを浮かべた。 まだ一緒に笑う気にはなれなかったけど、斗士と過ごす内に、また自分は笑うんだろうなと思うと、今まで以上に勉強の時間が楽しみになった様な気がした。 斗士と連れ添って薄暗い運動場横の通路を通り校門に向かうと、校門前に人影が見えた。 その人影は、春にとっては見慣れていた制服を身に纏っていて――。

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