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鳥籠 11
「ハル、先輩…」
薄暗い中でも、髪形や制服が全く違っていても、その人を見間違えたりしない。
「紫音……」
春は、同じ制服を着た生徒と並んで歩いていて、紫音とほぼ同時に相手の存在に気づくと、距離を保ったまま立ち止まった。
「ハル先輩、こんな所にいたんですね…」
向田春とハル先輩が同一人物じゃないことを祈っていた筈なのに、春と会えたことで、そんな気持ちはどこかに飛んでいった。
ただただ嬉しい。4ヶ月以上探し回って、ようやく大切な想い人に会えたのだから。
「なんで、ここに…?」
春は、紫音と違い喜んでいるというよりは、戸惑っている様だった。
「ずっと探してたんです。ハル先輩、突然いなくなるし、卒業式も来ないし、星陵にもいないし。ずっとずっと、心配してました」
「……紫音」
春が声を震わせて俯いた。
慌てて駆け寄ると、ハル先輩の隣にいた男が先に声をかけた。
「春、大丈夫?」
その男は身長が紫音よりも高く、整った顔をしていて、ハル先輩を心配そうに見ていた。
心のなかに、少しだけ黒い感情が宿る。嫉妬だ。
その感情がモヤモヤと渦を巻きそうになった時、ハル先輩が口を開いた。
「ごめん斗士、大丈夫。…俺、こいつと話があるから、斗士は先に帰って」
「…そっか。うん、分かった。また明日な?」
「うん、また明日」
斗士は帰り際、一度紫音に視線を寄越して、去っていった。それを見送って、春が紫音に向き直った。
「紫音。ごめん、心配かけて。わざわざこんなとこにまで来させてしまって…」
「いいっすよ!いや、よくないけど、いいです!ハル先輩にまたこうして会えただけで、もういいんです!」
真っ直ぐな紫音を見て、春は顔を綻ばせた。
「お前、変わってないな」
「そう言うハル先輩は、変わりましたね」
紫音が自分の髪の毛を指しながら言った。
色は、正直暗くてよく分からない。が、髪形が違う。髪質も違う。明らかに違う。
「あぁ、うん。これが地毛なんだ」
「そうだったんですね…。うん。すごく、似合います」
柔らかそうな長めの髪の毛に縁取られた春は、とても綺麗だった。
少し会わない内に、その貌に繊細さがより一層加わったような気がする。
会えた喜びに高ぶっていた心臓が、別の理由で高ぶり始める。
あぁ、やっぱり俺はハル先輩が好きだ。
ハル先輩といるだけで、こんなに幸せな気持ちになれる。
もう、絶対に見失いたくない。
紫音は、春を散策途中に見つけたカフェに誘った。昨日宮原と行った店の方が近かったが、こんな綺麗な人を、ファーストフード店に連れていくのは憚られた。
春は、腕時計を見て逡巡し、少しだけならと応じた。
***
カフェの明るい店内で初めて知った本当の春の姿は、紫音を硬直させた。
「ハルちゃん…?」
店の入り口で固まって動かなくなってしまった紫音の手を、春が引いて、ようやく席まで移動する。
案内した若い女の店員がそんな二人を見てクスクスと笑っている。
「お前なぁ。恥ずかしいだろ、あんな所でいきなり呆けて」
適当に2人分の注文を済ませた春が、少し顔を赤らめて小声で言った。
「だって、だってハル先輩がハルちゃん…」
「訳わかんないこと言ってんなよ」
「いいえ、言います!ハル先輩は、やっぱり俺の運命の人だったんです!今、ようやく分かりました!」
「はぁ?お前変わってないと思ってたけど、なんか、変になった?」
訝しむ様な視線を向けるハル先輩も、少し照れていたさっきのハル先輩も、なんて綺麗でかわいいんだろう。
光の下で見た春の鮮やかな銀の髪と碧色の目は、8年前に初恋した相手、ハルちゃんと同じだった。
その顔形も、まさにハルちゃんが成長したらこうなるであろう姿そのもので、ハル先輩は、疑いようもなくハルちゃんだった。
俺は、ずっと一人の人に恋をしていたのか。何かが胸にすとんと嵌まって、とても晴れやかな気分になった。
同時に、春を想う気持ちがこれまで以上に加速した。
果して、この想いを止めることはできるのか…。
一人考えていると、アイスコーヒーが2つ運ばれてきて、気持ちを切り替える。
「ハル先輩、すいません。舞い上がりました」
「大丈夫かよ…」
ハル先輩が呆れたような視線を一度こちらに向けて、コーヒーにシロップとミルクを入れる姿をじっと見た。
まるで、スクリーン越しに映画を見ている様な錯覚すら覚える。
一つ一つの仕草がとても綺麗で、絵になる。
少し目を伏せてグラスを見つめ、マドラーを使う様など、なんだか物憂げで、映画のワンシーンとして使っても差し支えないと思う。
高校の制服もとても似合っている。
緑葉と同じブレザーだが、ネクタイの色がエンジの斜めストライプ柄になって、ズボンはグレーだ。緑葉のものより、大人っぽく見える。
少し会わない内に変わりすぎたハル先輩は、高校生になって垢抜けたなんてありきたりな言葉では済まない。
サナギが脱皮して蝶になったくらい美しく、魅力的になった。
ハル先輩の伏せられていた瞼が開いていく様が、スローモーションの様に見えた。光の加減で複雑な色を浮かべる碧色の瞳と視線がかち合い、卒倒しそうな程心臓が高鳴った。
***
いつまでも見惚れていてもしょうがない、と自分を叱咤し、高鳴る胸を抑え、普通を装って会話をした。
今は、藤本先輩もすごく心配していたという話をしていた所だ。
「恭哉にも、悪いことしたな…。元気にしてるかな…」
「最近は会ってないですけど、希望の高校に受かったみたいです」
「よかった…」
ハル先輩が心からほっとした様な優しい表情で言った。
「ハル先輩から連絡してあげたら、凄く喜ぶと思いますよ。本当に心配してましたから」
「うん…」
ハル先輩の様子は、前と余り変わらなかった。その表情はやっぱりどことなく陰があるし、元気もない。
今日こそは、ちゃんと確めよう。
聞きたい事は、沢山ある。
「ハル先輩、教えてください。何があったんです?どうして星陵を辞めてここに?」
「………」
春は俯いて黙ったままだ。
「ハル先輩、俺には、何かがハル先輩を縛って苦しめている様にしか思えない。ハル先輩、俺に話してくれませんか?」
ハル先輩の肩が、心なしか震えて見える。
「ハル先輩…」
心配になって肩に手をかけようとした
時、ハル先輩が俯いたまま口を開いた。
「何もない。…バスケはもう辞めたんだ。だから、星陵に行く意味がなくなった。それだけだよ」
「なんで!?なんでバスケを辞めたんですか?」
「…辞めたくなったから」
「そんなの嘘です!ハル先輩は、俺に夢を語ってくれたじゃないですか!将来は選手になれたらいいなって!」
ハル先輩の俯いていた顔がこっちを見た。
泣き出しそうな顔に見えた。
「もうそんな夢は忘れたよ」
「先輩…」
「俺の夢だったことは、紫音に託す。お前が、自分の夢を叶えてくれたら、俺はそれで満足だよ」
ハル先輩が儚げに笑う。
とても綺麗だし、スクリーンの中のヒロインみたいだけど、そんな顔はハル先輩には似合わない。
「俺、そろそろ行かないと」
春は言うなり立ち上がって、伝票を掴んで出口に向かった。
紫音も慌てて後を追う。
支払いをする春を見てまた慌てて財布を取り出した。
「今日は奢ってやるよ」
俺が誘ったのにとお金を渡そうとしても受け取ってくれないので、今度は奢りますと言って気持ちを収めた。
駅まで送ってくれると言うハル先輩に甘えて、並んで夜道を歩いた。
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