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鳥籠 14

まだ写真の余波が残っているのか、今日は教室内でのクラスメイトからの視線、廊下での不特定多数からの視線をいつもより多く感じた。 昨日までの春なら、羞恥やいたたまれなさで自分を責めて萎縮し、俯いて視線から逃げていただろう。 でも、心の支えを得た春は、自信が回復していた。 他人にどんな目で見られようとどうだっていい。 俺には…紫音がいてくれる。 紫音にも、本当の事は言えないし、逆に紫音には絶対に知られたくないけれど、それでもいい。 紫音さえいれば。 放課後。 参考書を開いてノートを準備していると、宣言通り斗士が昨日同様隣に席をくっつけてきた。 「化学?うわっ、すごい構造式。なんか見るからに難しそう…」 「今日はこれ暗記するんだ」 「げー。俺絶対無理」 「向田、ちょっといい?」 斗士と問題集を囲んで話していると、廊下から知らない生徒に呼ばれた。 かなり制服を着崩していて、髪の毛も茶髪だ。 今の根暗オタクと称されている春に関わってくるタイプでは絶対になさそうな生徒からの呼び出しに、多少戸惑いながら席を立った。 ドアの内側に立って、なに?と聞くと、ちょっとついてきてと言われて手を引かれた。 そのまま廊下をずんずん歩いて、隣の隣の教室に誰も人がいないのを見て、そこに春を引っ張った。 「ちょっと、何だよ?」 男の強引な態度に少し腹が立つ。 男は春の抗議にも関わらずニコッと笑った。 「やっぱお前、すげぇ綺麗な」 「はあ?」 「まじで。そこらの女より、よっぽど綺麗」 男が言いながらジリジリと寄ってくるので、春は後退して壁に背中をピッタリくっつけた。 なんだこいつ。 そんなことを言われても、ありがとうと言うのも違うし、なんと答えればいいのか分からない。 というか、そんなことを言うために呼んだのなら、もう帰りたい。 「用事はもしかしてそれだけ?俺、もう行くわ」 「ちょっと待って」 男は踵を返そうとした春の両側の壁に手をついた。春は壁と男に挟まれ身動きが取れなくなる。 「なんなんだよ!」 「ほんっと可愛い…」 男が春の髪に顔を埋めてクンクンと鼻を動かし、春の全身が総毛立った。 「ちょっ…やめろよ!気持ち悪い!」 春が身を捩ると壁に付いていた男の両手が春の両腕を掴んで、身体も密着させて壁に押し付けた。 「離せっ!」 「なぁ、お願い。1回だけでいいから、しよ?俺けっこー上手いよ?」 耳許で男に囁かれ、更に鳥肌が立つ。 こいつの目的はそれか…! 「いやだ!絶対いや!」 「つれないなぁ。彼氏に操立ててんの?」 一瞬遅れて言われた意味に気づくと、すぐに血の気が引いていくのがわかる。 男は抵抗がなくなったことで同意したと勘違いしたのか、頭を屈めて顔を近づけてきた。唇が触れそうになったその時――。 *** 「何やってんだよ!!」 バンと教室のドアが勢いよく開き、怒鳴り声が響いた。 春よりも先に我に返った男が、ドアを睨み付けた。 「望月…!てめぇ邪魔すんな!」 「春が嫌がってるだろ?見てわかんねーの?」 春は真っ青な顔で硬直していた。 興が削がれた男はそんな春をふんっと鼻で笑った。 「どうせあのスーツのオヤジと毎日の様にエロいことしてんだろ?清純ぶってんじゃねえよ」 言い捨てて男は斗士が入ってきたのと反対のドアを壊れそうなくらい勢いよく開けて出ていった。 男が立てたバァンという音が教室中に反響して、まだ鼓膜が震えているような気がした。 「春、大丈夫?」 斗士が心配そうに駆け寄ってきた。 大丈夫。大丈夫。 あれを見た皆にそんな風に思われているのは、もう分かっているし、諦めている。ただ、あの男を連想させられると、恐怖で身体が竦むのだ。これは条件反射の様なものだ。 それに…最後に男に言われたことは事実だ。否定することの出来ないただの事実。 「大丈夫。ありがとう」 思っていた以上にしっかりとした声が出た。 上擦っても、震えてもいなかった。 以前の自分なら、襲われかけただけでひどく動揺し、取り乱していただろうに。 あの男の言う通りだ。俺はすっかり擦れたし、間違っても清純なんかじゃない。 「何もされなかった?」 「斗士のおかげで」 「よかったー。春が遅いから心配で。探してよかった」 斗士にもう一度お礼を言って、連れだって教室に戻った。 *** 「春、あのさ…」 早速勉強を開始しようとしたら、斗士から声がかかり、参考書から顔を上げる。 「多分、これからもこういうことあると思う。ほら、男子校って、女の子いないから、そういう対象が自然と同性に向くんだよ。特に春は綺麗だし…あの写真のこともあるし」 斗士は我が事の様に気落ちしている様に見える。 「でも、俺って、根暗とかオタクとか思われてるんじゃないのか…?」 「見る人が見れば、春がそういう人種じゃないことはわかるよ。それに、言ったでしょ?春、今日雰囲気違うって。春の魅力が駄々漏れだから、今まで何とも思ってなかった奴らも惹き付けちゃってるみたい」 「斗士…。俺にそんな魅力とか、ないよ」 「あるよ。現に俺だって、メロメロだよ?」 斗士は手を組んで小首を傾げ、しなを作って見せる。 「冗談よせよ」 「ともかく。春は綺麗なんだから、注意しないと」 「…わかった。気を付けるよ」 この髪と目は、昔からそうだ。隠すのを止めた以上、仕方ないのかもしれない。 知らない奴から呼ばれても、応じない様にしよう。それくらいしか出来ることはない。 「…俺、潮陽中出身の奴らには結構顔が利くから、なるべく春の側を離れない様にするよ。それで、少しは牽制になると思う」 潮陽高には、併設の中学校もあり、そちらもレベルは高いが、高校入試で半数は振り落とされる。空いた半分の枠に、他中学からの生徒が入るのだ。 「そんな面倒斗士に頼めないよ。俺の問題なのに」 「面倒なんかじゃないよ。春といると、なんか成績上がりそうだし!」 「なんだよそれ」 「ともかく!俺は面倒じゃない。っていうか、寧ろ春といたいし!」 斗士はニコニコといつもの人のいい笑顔を浮かべている。 確かに斗士は、掲示板の時も、さっきも頼りになる助っ人だった。 人気者だから、皆無闇に逆らわないんだろう。 確かに斗士といれば面倒事は回避できそうだ。 少しだけ、甘えてもいいかな…? 「斗士、ありがとう。でも、適当にでいいから」 「やった!これで俺、春と一緒にいられる権利手に入れちゃった!」 「それはこっちのセリフだろ。人気者は斗士の方なんだから」 「春にそう言って貰えたら嬉しーなぁ!」 斗士は本当に嬉しそうに言ってくれた。俺に気を遣わせない為だろう。 斗士は、すごくいいやつだ。 友達なんてもう作れないし、いらないって思っていたけど、斗士と出会えてよかった。 *** その日の夜は向田が来た。 昨日1日空いただけなのに、気持ちの変化が激しかったせいか、心がいつも以上に向田を拒絶して、苦しかった。 向田に蹂躙されながら、目を瞑って逃避する様に紫音の姿を思い浮かべた。 いっそ、こうしている相手が紫音ならいいのに…。 一瞬でもそう考えてしまった自分の思考に驚き、思わず目を開く。 「春、気持ちよすぎて浸ってたな?」 向田が激しく腰を使いながら口元を歪めて笑みを浮かべている。 嫌だ。気持ち悪い。 こんな男に身体を好き勝手されるのは、嫌なのに。 口からはこの男を喜ばせる様な厭らしい声しか出なくて、こんな身体は捨ててしまいたくなる。 「かわいいね。愛してるよ。春も?」 言いたくない。 最近向田は、「愛してる」を殊更言わせたがる。 もう慣れきって、その意味すら考えずにただの記号として言えていた筈なのに…。 喘ぎながらも必死に首を振る。 いつも以上に頑なな春だったが、向田はそれすら楽しんでいる様だった。 どんなに嫌がっても、結局最後には自分の望むままになることを知っているから。 向田は挿入の角度を変えて春の弱い所をピンポイントで突いてくる。 「ぁッ…あっやだっ!」 「ほら、早く言って」 グイグイ強いくらいにそこを押され、気が狂いそうな程の痺れを感じた。 だらしない口がもう閉じてくれなくて、唾液がシーツに染みを作っていく。 やがて、理性が消えて、快楽だけに支配される。 「あっ、ああっ、あい、してるっ」 「聞こえないよ。誰を愛してるの?」 「っ…こういちさんを、あいしてるっ」 「よくできました。俺も愛してるからね」 向田はご褒美だよと言いながら、前戯で散々春を啼かせた小さなローターを 手にして春の胸の飾りに押し当てる。 「ひゃあっ!もう、だめっ…もうイクっ、でちゃうっ!」 「いいよ。一回出しちゃいなさい。今日は何回イけるかな?楽しみだね」 「ッ…あああぁっ!」 向田はイってる最中ですら緩く律動を続け、春の敏感な身体一溜まりもない。 その後も幾度となくイかされ、陸言を囁かれ、それを強制された。 こんな普通の交わり、もう慣れていた筈なのに、なんでこんなにも苦しいのだろう…。

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