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鳥籠 15
「明後日、12:05着の電車で行きます」
それだけ書かれたメールを、隣のクラスの宮原という生徒に見せられた。紫音が言っていた紫音の知り合いだ。
運動部らしくしっかりとした身体つきの、おおらかそうな人物だ。紫音の言う通り親切そうで安心する。
返事は?と聞かれ、「駅で待ってる」と伝えてほしいと答えた。
そんなやり取りを教室の前の廊下でしていると、斗士が教室から顔を出した。
「春、何やってんのー?」
「あぁ、うん。ちょっと頼み事があって…」
「よー宮原。春は俺のだから、手出ししないでな」
斗士は適当でいいと言ったのに、いつも春の動向に目を光らせてくれていて、下心を持って話かけてくる相手に必ずこう言う。
初めは驚いて否定したが、こう言うのが一番効果的だよと言われ、今では受け入れていたのだが…。
「斗士、宮原はそんなんじゃないよ」
「そうそう。俺はただのメッセンジャーだから」
「メッセンジャー?」
「そ。大事な友達との架け橋になってんの。さっきの伝言、伝えておくから」
「ありがとう。頼むな」
春が微笑むと、宮原は頬を赤くしてぎくしゃくと自分の教室に戻っていった。
「ただのメッセンジャーの癖に、顔赤くしてたよ?」
宮原を見送った斗士が言った。
「突然どうしたのかな?」
春は首を傾げる。
ついさっきまで調子良さそうだったのに。
斗士はそんな春を見てため息をついた。
「春は、自覚なさすぎ。ほんと危なっかしいんだから。もっと春が俺のって、皆に言いふらさないとなぁ」
「でも斗士…」
前から気になっていたことを聞いてみようと思った。
「俺はどう思われても構わないけど、斗士は困るんじゃないか?」
「俺が?なんで?」
「だって、普通男とそんな関係だって思われたくないだろ?」
「なんだそんなことか。そもそも俺バイだから、ぜーんぜん気にならないよ」
「そ…そうなんだ」
「人を好きなになるのに、男とか女とか関係ないだろ?」
斗士がニッと笑う。何の照れも後ろめたさもない、清々しい顔だ。
確かに、斗士の言う通りなのかもしれない。性別なんて、関係ない。
俺だって、もしも紫音に、斗士が言う様なことを言われたら…。
そう考えた途端、カーッと頭に血が登るみたいに顔が熱くなるのがわかった。
俺は何を考えてるんだ…!
紫音は純粋に友達として俺を心配してくれているだけなのに。
考えるな…考えるな…。
どれだけ言い聞かせても、頭の中から紫音が消えなくて、暫く頬の火照りは収まらなかった。
そんな春の様子を、斗士が冷たい目で見ていたことには、全く気づかなかった。
***
日曜日の12時。
春は改札前で紫音を待っていた。
もうすぐ紫音に会える。
そう思うだけで、表情が和らぐ。
やがて改札に人がわらわらと溢れてきて紫音の乗った電車が到着したのだとわかる。
改札を潜る前に紫音を見つけ、紫音もこちらを認めて眩しいくらいの笑顔で手を振ってくれた。
「待たせちゃいましたか?」
急ぎ足で改札を潜った紫音が駆け寄ってくる。
電車の到着が遅れた訳でもないのに、焦る紫音は律儀で微笑ましい。
「全然。俺もさっき着いたとこだから」
「夢みたいだ…」
「え…?」
「ハル先輩が、本当にちゃんと待っててくれて、これから一緒に過ごせるなんて、夢みたいで…」
紫音が感情を込めた声を漏らす。
「夢じゃないよ…」
春は少し力のない声で言った。
こんなに幸せな時間は俺にとっては数ヵ月ぶりだ。
これが夢であったとしたら、暫く立ち直れないだろう。
「あ、そうですよね!俺、変なこと言いました」
春の表情がやや曇ったのを見てとり、紫音が慌ててフォローする。
「まずは、お腹空きましたよね!飯行きましょう!この駅の近くに、美味しいイタリアンがあるみたいですよ」
***
紫音は予め調べていた様だ。地元でもないのに、春をリードして歩き、白い塗り壁が眩しいこじんまりとした一軒家風の店に入った。
店内は混んでいたが、丁度団体の客が帰る所にぶつかり、殆ど待たずに席に通された。
春が梅と大葉の和風スパゲッティを、紫音がボロネーゼを頼んで店員が去っていくと、二人は水の入ったグラスを挟んで今日初めてまじまじと向かい合った。
「なんか、緊張します…」
紫音が目線を逸らして言う。
「…だな。紫音と、こういう所に来るの、初めてだし」
「それもあるけど、俺、まだハル先輩のその姿見慣れなくて…」
春は首を傾げたが、何のことかすぐに理解した。
そう言えば紫音は、俺のこの色をどう思ったのだろう…。
気味が悪いとか、元の方がいいとか思われていたら、ちょっと…いや、かなりショックだ。
「…へん…かな?」
恐る恐る聞いてみると、紫音がガバッと顔を上げてブンブンと頭を振る。
「変なんて、そんなこと絶対ないです!なんていうか、すごく似合うから、俺、ドキドキしちゃって…」
紫音が顔を赤らめながら言う。
必死にフォローしてくれる様が嬉しくて、笑ってありがとうと告げた。
気を遣っているのかもしれないが、紫音から誉められるのは素直に嬉しい。
今日は半日紫音といられるんだ。
紫音といるだけで、凍って固まっていた楽しいとか嬉しいとか幸せだとかいう感情がじんわり溶け出してきて、心がぽかぽか暖かくなる。
苦痛や悲しみの表情に凝り固まっていた頬も自然と緩んでいるのが分かる。
紫音はまだ慣れないのか、あまりこっちを見てくれないが、その分春は紫音をじっと見ることができた。
紫音の姿をこの目に刻みたい。
目を瞑った時に現れるのが、向田の残忍な笑顔ではなく、紫音の姿であってほしいから。
「ハ、ハル先輩、この後どうします?」
紫音が視線を彷徨わせながら言う。
「考えてなかったけど、紫音は何かしたいことある?」
「そうですね…映画でも観ますか?」
「いいよ。今、何やってるっけ?」
「俺、あれ見たいです。あのスパイシリーズの最新作!」
「いいね。そうしよう。映画館どこかな?」
「俺、ケータイで調べますね」
紫音が携帯…スマホを弄り、結構近いですよと言った所で、注文したスパゲッティが運ばれてきた。
美味しそうだな。
そう思ったのは本当に久し振りだ。
いつも食事は無理矢理あの男に食べさせられるか、倒れない為だけに義務的に摂取するだけだった。
「おいしい…」
フォークを口に運んで、思わず声が漏れた。
食べるって、こういうことだった。
楽しくて、幸せなことだった。
それを思い出して、泣けてきそうになる。
「ほんと、美味しいですね!」
紫音がニコニコ笑っている。
胸の奧が、ある感情で溢れる。
幸せ。俺は今幸せなんだ。
春は刹那的なこの感情を目を閉じて噛み締めた。
忘れてしまいませんように。そう祈った。
***
駅前のイタリアンは大正解だった様だ。
ハル先輩は、何度も美味しいねと言ってとても幸せそうに食べてくれたのだ。
紫音も暫し緊張を忘れ、春から発せられる緩やかで暖かな空気に浸り、幸せを感じていた。
帰り際、また伝票を奪われた紫音は、今日こそはと譲らない姿勢を見せたが、電車賃かけて来てくれてるから、これくらいさせてと言う春に押しきられ、結局この日もご馳走になった。
映画は…想像通り、緊張で内容が入って来なかった。
隣の春の身じろぎや息遣いにばかりが気になって、このシリーズに必ずあるラブシーンに差し掛かると、意識しすぎて身体がカチコチに固まった。
同時にいつになく興奮も覚えてしまって、思わず目線だけで春を盗み見たが、当然特段変わった様子もなくて、なんだかいたたまれない気持ちになった。
約2時間不自然な体勢だったのか、映画館から出ると筋肉が凝っているような感じがして、首や肩を回してほぐしていると、春が笑って言った。
「紫音はやっぱりじっとしてるより動きたいタイプなんだな」
どうやら集中していなかったことはバレているようだ。
「そんなことないですよ。動くのが好きなのは認めますけど、映画も好きです!」
ふーん、と春が面白そうに紫音を見上げる。
「そう言えば、紫音背伸びたんじゃないか?」
「4月の身体測定で180でした」
「やっぱり」
「ハル先輩は、あんまり変わらないですか?」
「中3から変わってない。174」
他愛のない話をしながら、店を見回ったり、ブラブラと街を歩いた。
春と並んで歩き、同じ物を見て会話をする。たったそれだけなのに、かけがえのない時間だと思った。
途中で2人組の女の子に一緒に遊ばないかと誘われたが、間髪入れずに断った。
俺とハル先輩の大切な時間を邪魔するな。
恐る恐る緑葉バスケ部の話をしてみると、春は殊更楽しそうに興味津々といった様子で聞いていた。
やっぱりバスケが嫌いになった訳ではないんだ…。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、18時になると春はそろそろ帰ると言った。
あわよくば夕飯も…と考えていた紫音はもう終わりかと気落ちした。
駅まで歩く道すがら、来週も来ていいですか?と聞くと、春は微笑んで頷いた。
紫音は確信した。この時間を幸せだと感じているのは自分だけではないのだと。
それを知ったら安心して、別れる寂しさが半減した。離れがたいのは変わりないが。
またな、と手を振る春に、熱い抱擁を交わしたくなるのを我慢して、また来週と言って電車に乗った。
そうだ。また来週会えるんだ。
ゆっくり、ハル先輩を知っていこう。その心の闇をいつか晴らす為に。
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