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鳥籠 16
毎週末春と会うために千葉に通う生活が始まって2ヶ月が過ぎた。
春からは未だに何も聞き出せないままだった。
何を聞いても、はぐらかされてしまうのだ。
そんな中、紫音には新たな目標が出来ていた。
ひとつ目は、来年春のいる潮陽高校に入学すること。
紫音のバスケを応援している春に話せば反対されることは間違いない為、春には内緒だ。
紫音にとってはバスケよりも春といることが大切だった。
強豪校に入らずともバスケは続けられるし、自分が潮陽を強くすればいいと思った。紫音にとって春は、かけがえのないたったひとつの存在なのだ。
側にいたい。 そう願ったのだ。
そしてもうひとつは、バスケで全国に出場することだった。
春は相変わらずバスケの話をすると喜んでくれて、話をせがんだりもしたが、既に始まっていた中体連の予選を見に来ないかと誘っても、一向にいい返事はもらえなかった。その他にも東京方面に遊びに誘うと、全て断られるのだ。
まるで、東京に出てきたくないみたいだ、と思った。
東京に、ハル先輩を悩ませる何かがあるのか?だから。わざわざ千葉に…?
紫音は春にバスケを見せたかった。
バスケが、春の心を解きほぐす糸口に繋がるのではと思ったのだ。
今年の全国大会の試合会場は奇しくも千葉だった。
全国に行ければ、春に試合を見て貰える。
その為だけに紫音は文字通り寝る間を惜しんで勉強も、バスケも精一杯取り組んだ。
1ヵ月前、紫音はボールを持って電車に乗り、春を連れて公園に行って1on1に誘った。
初めはボールを持つことすら躊躇していた春だったが、不意をついてパスを寄越すと受け取って、ボールの感触を懐かしむ様にじっと佇んだ。
シュートを見せて欲しいと言うと、真っ直ぐな眼差しでリングを見つめ、ボールを放った。そのボールは綺麗な放物線を描いてネットを潜り抜け、春の腕は少しも鈍っていない様に見えた。
春はとても清々しい表情を浮かべていて、やっぱりまだバスケが好きなんだと思った。
それから二人は会うたびにバスケをした。
鈍っていなかったと思った春のバスケは、やはりブランクの分体力は著しく落ちていた。しかし、スキルはそう簡単に無くす物ではなく、すぐに勘を取り戻し、手強い練習相手となってくれた。
***
そして今日も、夏の熱い日差しの下、二人は汗を流していた。
体力のない春はすぐにバテてしまうため、あまり長くは出来ないが、それでも二人にとってこの時間は何にも変えがたい大切なものだった。
「紫音、ほんとに上手くなったな。もう俺じゃ相手にならない」
春が息を切らしながら嬉しそうに言った。紫音の成長を、我が事の様に喜んでいるのだ。
「ハル先輩は体力落ちただけだから、スタミナさえつけば俺と変わりませんよ」
春にスポーツドリンクを渡しながら言うと、ありがとうとニッコリ微笑まれる。
最近のハル先輩は、以前に増して、可愛いらしくなった。
紫音と一緒にいることが楽しくて幸せで仕方ないといった表情を見せる為、思わず両想いなのではと勘違いしそうになるし、紫音の春への想いも深まるばかりだ。
だが、そんな筈ない。
勢い余って決定的な事を言ってしまえば、柏木と同じように拒絶されるに決まっている。そしてそれはハル先輩を傷つけることにもなってしまう。
以前宮原先輩が言っていた事を思い出す。
ハル先輩が根暗のガリ勉だという話だ。
何らかの事情で今の学校に馴染んでいないらしいハル先輩にとっては、以前からの知り合いである俺と居ることが唯一心から楽しめる時間なのかもしれない。
それならば、尚更俺が友達としてハル先輩を支えなければならないのではないか。大きく膨れ上がり続ける自分の気持ちをぶつけて裏切るなんてこと、とてもできない。
そんな事をつらつらと考えているとき、携帯の着信音が響いた。
紫音の設定している音ではない。
不思議に思って春を見ると、かなり慌てた様子でポケットを探り、携帯を取り出してその場を離れて行った。
***
紫音は混乱していた。
何?どういうこと?
ハル先輩は、新しい携帯は買っていないし、買う気もないって…。
「……ごめ……今すぐ……」
春の声が微かに聞こえた。何を話しているのかはっきりわからないが、焦燥している様子だった。
携帯を耳から離した春が紫音の元に戻ってきた。
顔が強張っている様に見える。
「ハル先輩?」
「ごめん、紫音。俺もう帰らなきゃ。送れなくてごめん」
そう言うと春は紫音の顔もろくに見もせずに駆け出して行った。
あっけに取られた紫音は何も言えずにその場に取り残された。
しかしすぐに、紫音の胸の奧にドロドロと黒い感情が沸き上がってきた。
思い出さないようにしていた写真の事を、嫌でも連想させられた。
恋人同士のように仲睦まじく寄り添うハル先輩と、スーツの男を。
あの男に会いに帰るのか?
あの電話は、あの男専用の電話かなんかか?
ハル先輩にとってあの男は、俺をこんな風に放り出してまで今すぐ会いたい存在なのか?
そもそも、あの男はいいのに、なんで俺は友達でいなきゃいけないんだろう。
もしかしたらハル先輩は、昔と変わってしまったんじゃないか。
あの写真を見たときの違和感を思い出す。
こんなのはハル先輩じゃない。そうはっきり思ったあの違和感。
ハル先輩は、昔と変わって男を愛せる様になったのではないか。
そうして、全てが変わってしまった…?
バスケも、友達も皆切り捨てて、あの男と生きる事を決めて、敢えて誰も知り合いのいないこの高校を選んだのかもしれない。
そう考えれば全てに説明がつくような気がした。
俺は、一度切り捨てられたのか…?
そして、複雑に絡んだ糸が解けるように、ピンときた。
向田という名字。
ハル先輩は、あの向田という男に懐いていた。
向田と食事をしていたあの1ヵ月、ハル先輩はとても楽しそうだった。
ワンダーランドだって、俺があんなに止めたのに、それを押しきって行ってしまった。
俺が向田の事を思い出して、忠告した時も、聞きたくないと言った雰囲気だった。
テレビで見たことがある。
同性のカップルが養子縁組して新しく戸籍を作り、まるで結婚したみたいに同じ名字を手に入れることがあると…。
ハル先輩も、そういう事なのではないか。
そうするために、これまで持っていた物全てを切り捨てたのではないか。
その説が勝手に頭にストンと下りてきたが、とても認められない。
胸の中はどす黒い思いで一杯だ。
ギリッと歯を食い縛る。
なんで?
あんな男より、俺の方がよっぽどハル先輩を想っているし、大切にできるのに!
あんな男を受け入れるのなら、俺だっていいじゃないか!
これまでの人生で感じたことのない嫉妬心と独占欲がマグマの様に沸き上がる。
こんな自分、これまで知らなかった。
こんなに凶暴な感情は知らない。
ハル先輩を、誰にも渡したくない!
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