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鳥籠 24

「春!」 教室に入った途端、斗士が駆け寄ってきた。 「春、よかった!昨日の始業式来なかったから心配したんだよ!!」 「時差ボケが治らなくて…」 「あーよかった…。終業式の日の春、様子がおかしかったからホントに心配したんだから!」 「心配かけてごめん。ありがとう」 久しぶりに向田以外と会話をした。まともな会話を。 それでも、思っていた以上に普通の声が出て、自分でも少し驚いた。 心に暗いものが全くない訳ではない。 40日もの間に負わされた傷は癒えていないが、監禁から解放された喜びの感情の方が勝っていた。 学校に通える。斗士と勉強ができる。そして、週末には紫音に会える。 例え夜は向田に支配されていたとしても、それでも今の春にとっては充分だと思えた。 紫音に早く会いたい。頭を占めるのはそればかりだ。 6限のHRの時間。来月行われる宿泊研修のリーダーである斗士が黒板前に立っていた。 県内にある「青年の家」という研修施設に1泊して、仲間との絆を深め、協調性を養いましょうというのが趣旨らしい。 向田が行くのを許す筈がない。 そう思って朝担任に、家の事情で行けないと言ったが、これは強制参加だぞと軽く叱られた。 そして、HRが始まる前に担任が寄ってきて、お父さんから許可貰ったからと言われた。 向田に電話をしたのだろう。 余計なことを。 あの男に何を言われることか…。 「春、一緒の部屋でいい?」 先程まで黒板の前にいた斗士がいつの間にか目の前にいて、名前を3人分記入するようになっているプリントを示した。一番上には斗士の名前が既に書かれている。 それは宿泊研修の部屋割りの紙で、3人部屋なので、3人一組を自由に作って斗士に提出することになっているらしい。 親睦を目的にしている割にはなんとも適当な部屋割りだ。宿泊研修のクラスリーダーが、適当な斗士だからそうなったのだろう。 斗士が自分を好きだと言っていたことはやはり未だに引っ掛かったが、他にグループを組めるほど仲のいいクラスメイトもいないので、よろしくと名前を記入した。 書き終わった時にまた担任が寄ってきた。が、春ではなく斗士に用がある様だ。 「望月、笹原頼めるか?」 担任と斗士がチラと見ている方を確認すると、真ん中の席でポツンと一人座っている生徒がいた。斗士がたまに声をかけている大人しい生徒だ。 「あ、わかりました」 斗士は軽い調子で担任に返事をして、春に向き直った。 「もう一人、和希でいい?」 「いいよ」 話したことはないが、幼い外見の害はなさそうな人物だ。 斗士が春にしたようにプリントを笹原に示して何か言うと、笹原の顔がぱあっと明るくなって、いそいそと名前を書いていた。 クラスに馴染めていない笹原にとっては唯一斗士が心の支えなんだろうと春は思った。 *** 「ハル先輩!!」 紫音が改札を抜けて駆け寄ってきてくれた。 会えて嬉しい。そう語っているかの様な満面の笑みだ。きっと俺も今同じ顔をしてる。 紫音の変わらない態度が本当に嬉しい。俺は本当に紫音に救われている。 「紫音、元気だった?試合はどうだった?」 ずっと考えていた。紫音は全国に行けたのか。行けていれば、ほぼ確実に星陵のスカウトが紫音を目に留めるだろう。星陵に行ければ、プロになるという夢もぐっと近くなる。 「ハル先輩こそ、元気でしたか?全国には、一応行きました。緒戦敗退でしたけど…」 「そうか。でも、全国に行けただけでもすごいことだ!念願の星陵にもきっと行けるよ」 「ハル先輩が嬉しそうに笑ってくれて、それが俺にとっては一番嬉しいです」 紫音がニコニコ笑いながら言う。そんな言葉は照れるけれどとても嬉しい。 俺はまた紫音と会えているんだ。そう実感したら、じわじわと喜びが溢れてきて、自然と頬が上がる。 心から沸き立つものでこんな風に笑えるのは、紫音といる時だけだ。 紫音は夏休み、バスケ部のみんなと海水浴に行ったとのことだった。 夏休み前に見た時よりも焼けていて、健康的な小麦色の肌になっている。 いつからだろう。身体つきも男らしくガッシリとしてきていて、以前はあまり変わらなかった筈なのに、今では身長も体格も自分とは全然違う。 紫音はきっとこれからどんどん成長して、大人の男の身体になっていくんだろうなと思った。  対する春は華奢なままだ。肌は真っ白だし、ガッシリもしていない。男らしくも…ないと思う。 俺も、紫音の様にガッシリとしたかっこいい男になりたい。 「紫音、少し見ない内にすごく格好よくなったよな」 公園のベンチで汗を拭う紫音を見上げて言うと、紫音が一瞬固まって、すぐに狼狽えた。 「ハ、ハル先輩!いきなり何言うんですか!」 「ごめん、でも本当にそう思ったから…」 「…俺、ヤバいです…」 「え?」 「ハル先輩の事これ以上好きになったら、色々自制が利かないというか…」 紫音の顔は真っ赤だ。 自制って、また嫉妬しすぎるとかそういうことを気にしているのだろうか。 でも、俺はそんな事気にしない。寧ろ…。 「俺は紫音に好かれるのは凄く嬉しいんだけどな…」 「ハル先輩っ!俺をどうするつもりですか!」 紫音は耳の端っこまで真っ赤にさせてパタパタと手で顔を扇いでいる。 どうするって、俺は何もいかがわしい事を紫音にするつもりはないんだけど、何か勘違いさせてしまったのか…? *** 紫音の赤い顔はその後も暫くそのままで、微笑ましいなと思って眺めていると、紫音もこっちを向いて、赤い顔の紫音と見つめ合った。 「ハル先輩…キス、してもいいですか?」 リング以外遊具も砂場も何もない夕暮れの公園には春と紫音の二人しかいない。 それでも、人目につくかもしれない場所でそれをするのは憚られた。 でも…。俺も紫音とキスがしたい。 あの男の感触を忘れさせて欲しい。 紫音に、塗り替えて欲しい。 「いいよ。俺もしたい…」 言った途端に紫音に抱きすくめられ、唇には熱いものが触れていた。 暖かい…。 あの男の口づけはいつでもねっとりとしつこくて、舌は爬虫類の様に冷たく感じた。 紫音の温もりからは、紫音の優しさや気遣いが感じられる。そしてそれと同じくらい情熱を感じる。 熱い唇と力強い腕から、紫音が俺を欲していることが伝わってくる。それは狂暴なくらいに強い欲求だったけれど、相手が紫音なら恐くなかった。 紫音の物になりたい。 紫音に俺の全部をあげたい。 心の底からそう願ったけれど、叶わないことは知っている。 あの男に捕らわれてから、色んな事を諦めてきたけれど、紫音を愛する気持ちだけは諦めたくない。忘れたくない。失したくない。 どうか俺から紫音を奪わないで……。 *** 春と紫音は、会う度に人目を避けてキスをした。 日の陰った公園や、路地裏や、紫音に連れられて行った人気のない海で。 その殆んどが触れるだけのキスだ。 紫音の舌が唇を割ってきたこともあったが、深いキスには春があまり積極的に応じなかった。 キスのその先を求められる訳にはいかなかったから。 紫音に正面から求められたら紫音を拒絶しなければならない。 向田の痕跡を残した身体を見られる訳にはいかないし、それに…。 男とのセックスに慣れきった身体を紫音に知られるのが怖い。 きっと穢らわしいと幻滅されてしまう。 一体いつまで触れるだけのキスで満足してくれるのだろう…。 初めはそう不安に思っていたが、紫音が深いキスを求めたのは一度きりで、その後はいつも春のペースに合わせ、触れるだけに留めてくれた。 そして、そのキスが終わるといつも幸せそうに笑ってくれた。 その顔を見るのが、春にとって一番の楽しみだった。 こんな自分でも、紫音に与えられるものが少しだけでも残っていたんだと思うと、嬉しくて仕方なかった。 「ハル先輩…」 紫音が少し切なそうに名前を呼ぶのが、キスの合図だ。 ぎゅっと抱き寄せられて、目を瞑るとすぐに唇が温もりに包まれる。 数秒でそれが離れた後には紫音の笑顔が待っていて、何もかもを包んでくれるような優しい眼差しで見つめてくれる。 ああ、幸せだな…。 もしかしたら、紫音とはずっとこのままやっていけるのかもしれない。紫音は、俺があげられるほんの僅かの物だけでも、満足してくれるのかもしれない。 そう思える程に、紫音との時間は穏やかで幸福感に満ちていた。

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