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鳥籠 27

「春!!」 勢いよくドアが開かれ、斗士を含む数名が部屋に雪崩れ込んだ。 春の足はすぐに解放されたが、茶髪は呆然と春を犯そうとしていたその体勢で固まっていた。 駆け寄ってきた斗士に殴り飛ばされ、ベッドの下に倒れて、ようやく気を取り直したらしい。 ずり落としたズボンを上げると立ち上がって斗士の胸ぐらを掴んだ。斗士も睨み付けて掴み返す。 茶髪が立ち上がる前に斗士がさっと春にシーツをかけてくれていた為、それを半裸で傍観するという間抜けな状態は免れた。 「てめぇふざけんな望月!」 「ふざけてんのはお前だろうが!!俺の春に何してやがった!!」 「俺の?笑わせるぜ。向田はてめぇ以外の男と散々お楽しみの様だけど?」 「…そんなのお前には関係ない!」 「驚かねーんだ。お前、ほんとは彼氏でもなんでもねーんじゃねーの?」 「いいから出てけよ!」 「ふんっ。やっぱそうかよ。…じゃあ、またな春くん」 茶髪と2人の男がふてぶてしく斗士達を睨み付けながら部屋を出ていった。 斗士と一緒に部屋に乱入してきたのは隣の部屋のクラスメイト3人で、斗士の友人だった。 「お前ら、悪いけど…」 斗士が言うと3人は察したように目配せして部屋から出ていった。 部屋に残ったのは、両手をベッドに括り付けられ猿ぐつわを噛まされた春と、俯く笹原と、複雑な表情をした斗士だけだ。 *** 春の頭は混乱していた。既に助かったという安堵を通り越して、犯られそうになっていた姿を見られたことへの羞恥と、笹原に言われた事を必死に頭の中で整理していた。 「春、大丈夫…?」 斗士が枕元に駆け寄って跪くと、すぐに猿ぐつわを解き、唾液に濡れた布を取り去ってくれた。 先程まで怒りに歪んでいた筈の斗士の表情は、眉が下がり、春を心配そうに見つめている。 この斗士が、俺を…? 本当に? 「これも、すぐ外すから」 斗士の手により左腕のタオルが解かれ、手加減なく縛られて痺れていた左手に漸く血が通う。 斗士が右手の手錠を外そうとカチャカチャ言わせているが、鍵がかかっているのか外れない。 「この鍵、あいつらだよな?俺、取ってくる…」 「と、斗士くん、待って。これ…」 「お前まさか…!」 斗士の声色に怒気が混じるが、気を取り直した様に手錠に手が延びてきて、カチリと鍵が開くと右手もようやく解放された。 上体を起こそうとすると、斗士の手が背中を支えてくれた。 足元に丸まっていた下着とジャージに手を伸ばし、シーツの中で履くと、少し気持ちが落ち着いた気がした。 「春、ごめん…。俺、守るって約束したのに…」 斗士の声には悔しさと哀れみが滲んでいた。 もう少しで茶髪に犯られてた。斗士が来なかったら、確実に。想像するだけで身震いするし、それまでやられてた事を思い出すだけで心臓に何本もの棘を刺された様に苦しくる。 斗士のお陰で最悪の事態だけは免れた。お礼を言わなきゃと思うのに、笹原の言っていた事が気になって、斗士を見れない。言葉が出てこない。 「春……」 「斗士くん。そんな奴のこと、心配しなくてもいいと思う。そいつ、とんだアバズレなんだから」 「和希、お前!どういうことだよ!?まさか、お前が金子達を引き入れたのか…?」 「そうだよ。斗士くんが、なかなか当初の予定通りに動いてくれないから、僕が手助けしたんだ。こいつの身体見たでしょ?このくらいしないとこのアバズレには効かな…」 「黙れ!お前、頭おかしくなったのか!?俺はもうやめるって言った筈だろ!」 「僕はまともだよ。斗士くんの事を思ってしたんだから。斗士くん、こいつとヤリたくて媚びてるんでしょ?でも斗士くんにはそんなやり方似合わないよ。下僕は下僕らしく扱わないと…」 「和希、てめえ!!」 斗士の怒声に伏せていた顔を上げると、斗士が笹原の胸ぐらを掴んで、拳を構えていた。 「待って!」 春の声に、斗士の拳が途中で止まり、笹原はビクビクと震わせた瞼を恐る恐る開けた。 「斗士…。笹原の話、どういう事…?斗士は、俺を嵌めようとしてたの?」 *** 部屋はシーンと静まり返っていた。 斗士が無言なのが何よりも肯定を表している様な気がした。 笹原の言う通り、斗士は俺を下僕とやらにしたかっただけなんだ。 斗士と過ごした時間が、全部偽りだったなんて、そんなの―――。 強い脱力感に襲われて、抱きかかえた膝の上に額を乗せた。 友達なんていらないと強がっていた癖に、斗士はいつの間にか俺にとって大きな存在になっていた。 その存在が真実じゃないと分かって、これほど意気消沈する位に。 「春。俺、全部話すって決めた。だから聞いて」 何を? 笹原の言葉が真実なら、これ以上詳しくなんて知りたくはない。 「……勝手に話すね。俺は、春を嵌めるつもりも騙すつもりもない。ただ…俺が春に近づいたきっかけは、笹原の言う通り。大人しそうな春と仲良くしてあげて、言いなりにしたいって思ってた。でも、春は全然俺を頼らなかった。相変わらず一人だったけど、俺を必要としてなかった。だから、笹原を使って写真を貼り出した…。俺を頼るきっかけになればと思って…」 心がズキズキと痛い。 斗士の優しさは、俺を言いなりにさせるための演技だったんだ…。 「でもね、すぐに後悔したよ。春の信頼を得ようと近づけば近づく程、素の春を知って、どんどん惹かれていった。下心からじゃなくて、本気で仲良くしたいって思ったんだ。…春が学校で金子に襲われかけた時、守ってやりたいって強く思ったよ。あの写真が、狙われる一端になったのもあって、すごく責任を感じた。それで、彼氏のフリをすることにしたんだけど、そうしてる内に、どうしようもない程に春を好きになってた」 「……」 「春がだんだん普段でも素の表情を見せてくれる様になって嬉しかったけど、それを俺が引き出した訳じゃないって分かってたから、春にそんな表情をさせる誰かに――後輩くんに、物凄く嫉妬したりもした。俺は春が好きだ。この気持ちに偽りはない。…あの写真ことは、本当にごめん。言葉で言い尽くせない位後悔してる」 斗士の言葉は感情が篭っていて、とても嘘をついているとは思えなかった。 俺といた斗士は、偽りの姿ではなかったんだ。 そうわかった途端、力の抜けた身体がようやく動くようになって、胸の痛みも和らいだ。 写真のことなんて、正直今となってはもうどうでもいい。 斗士が俺に近づいたきっかけが何だったのかも、どうでもいい。 それ以降の斗士に、俺はすごく支えられていたから。その姿が真実だったのなら、それだけでいい。 *** でも…。 これだけの想いを話してくれたのに、俺は斗士の気持ちには応えられない。 斗士から優しくされて、気遣われることが当たり前になっていたけれど、やっぱりそれでは駄目だ。斗士の為にならない。 本音では、斗士の友情と紫音の愛情の両方を欲しがってる自分がいる。斗士の想いを見て見ぬフリをしたいとまで思ってる俺は、心底最低な奴だ。 でも、もう甘えちゃいけない。 斗士の事が大切だから。 だからこそ、ちゃんと伝えなきゃいけない。 意を決して口を開きかけた時、今まで黙りこんでいた笹原の震える声に遮られた。 「…そんなのひどいよ!向田に本気だって?…じゃあ僕は?ずっと斗士くんに尽くしてきた僕は?僕は何なの!?」 「俺はお前に尽くしてくれなんて頼んだ覚えはない。お前の好意を利用したのは認めるけど、相応の対価は払ってた筈だ。お前が春にしたことを、俺は絶対に許さないからな」 斗士の声は、先程までの声色とは全く違って、冷たかった。 見ていればわかる。 笹原は…きっと斗士が好きなんだ。 好きな相手にこんなに冷たい言葉をかけられたら、きっと辛くて辛くて堪らない……。 「なんで向田に優しくするの?向田は何も差し出してないのに、何で僕の欲しかったもの全部手に入れるの?僕は…僕は、全てを斗士くんに捧げたのに、なのになんで……っ」 笹原の涙混じりの悲痛な叫びが、とても他人事には思えなくて、また胸が締め付けられた。 笹原の気持ちが痛いほどよく分かる。 俺だって、紫音になら自分のあげられる物は全て差し出したいし、紫音の為なら何だってできるだろう。 笹原のやり方は歪んでいて、とても肯定できるものではないけれど、それでも、斗士を想う気持ちの強さはよくわかった。 俺の支えが紫音しかいない様に、笹原にも、斗士だけなのではないだろうか。 自分に幸福や温もりを与えてくれる唯一の存在が俺に奪われたと感じて、笹原は暴走したのかもしれない。 *** 笹原のすすり泣く声だけが耳に届く。 さっきあんな事をされたけど、とても笹原を責める気にはなれない。 出来ることなら、慰めたい位だ。 でも、笹原にとって俺は、一番憎むべき相手だろうから。同情することは、笹原の傷を更に抉ることになるのかもしれない。でも…。 「おい和希。泣いてないで春に謝れよ」 「斗士、もういい。笹原の事はもう責めないでやって」 「春、でも…」 「俺には笹原の気持ちがわかる気がする。俺も、後輩の…紫音の為なら何だってできる。その位好きたから。だから斗士、俺のことは忘れて。俺は紫音以外を好きにはならないよ」 「…やっぱり俺を許せない?」 「そんなんじゃない。斗士の気持ちが今まで以上によくわかったから、俺もちゃんとしなきゃって。俺は斗士のこと友達としか見れないんだ。だけど、友達の斗士を失いたくなくて、これまで強く突き放せなかった。そんな俺のことなんか想ってたって、斗士はいつまで経っても幸せになれないじゃないか。だから、諦めた方がいい。絶対に」 「春。諦めろとか忘れろとか、人の気持ちはそう簡単に切り替えられるものじゃないよ」 「でも、」 「僕も…斗士くんを諦められない」 「俺はお前を好きにならない。諦めろ」 「斗士くん、言ってること矛盾してる…」 「うるさいな!」 張り詰めていた空気が一気に動き出して、春は二人のやり取りを見て気が抜けた様になり、少し笑った。 笹原には睨まれたけど、斗士は少しぽかんとしていた。 ついさっき輪姦されかけたのに、しかも首謀者が傍にいるのに、余りに能天気すぎると自分でも思うが、本音で語り合えていることが、何となく嬉しかった。 「笹原、斗士のことすごく好きなんだな。俺の事を憎む気持ちもよく分かるけど、今回みたいなやり方じゃ、斗士の心は離れていくばっかりだろ」 少し上昇した気分のまま、思ったことを口に出してみたら、今度は笹原もぽかんとした。 揃って同じ表情をしている二人がおかしくて、また笑った。 被害者であった筈の春のあっけらかんとしたペースに、二人もやがて巻き込まれ、そこには本音を晒け出した同士の不思議な一体感が生まれ始めた。 恨みや妬みや怒りを超越した何かがそこにはあって、俺たち不毛な三角関係だったんだなと苦笑できるまでになった。 朝まで互いの思いをぶつけ合ったが、三角関係なだけあって話は平行線を辿った。 「恋愛って、難しいな」 誰かがぽつりと呟いた。 それが結論になり、3人の想いも結局変わらなかった。 ただ、斗士と笹原の間にあった歪な溝がなくなり、二人が初めて対等になった。 春の斗士への遠慮や戸惑いもなくなった。何を言っても斗士の気持ちを変えられないことが分かり、後ろめたさがなくなった。自分はやれるだけのことはやったと思えたのだ。 朝日が昇るに従い笹原の陰がなくなって、笑顔が見られる様になった。 笹原にやられたことはすぐに忘れられることではないが、偽善なんかじゃなくよかったなと思った。

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